鈴木義彦に読者は怒り爆発(88)

〔裁判というものは非常に解りにくいものだ。人が人を裁くということは、裁く人が裁かれる人より一段も二段も経験豊富で見識の高い人でなくては成り立たないのではないだろうか。司法試験という難解な壁を乗り越えていても人間的に未熟ならば人を裁くことは出来ない。六法全書を始めとした法律書は、一般的に使う以外の言葉や表現が多い。判例集には人の情の入り込む余地はない。特に民事裁判の法廷は裁判官の独壇場である。そんな独壇場で人間的に問題のあると思われる裁判官が判決を下すと、一度下された判決が間違いであっても修正されることは無い。被害者が控訴しても控訴審の裁判官は原審の裁判官に忖度して誤判であっても判決を覆すことは殆どないのが現状だと言われている。裁判の機能が果たされていないと言われても仕方がない〕

〔今回のA氏による貸金返還請求訴訟から言える事は、裁判は綺麗事では勝てないという事だ。被告側の長谷川弁護士は、全くの虚偽で構築した「質問と回答書」(乙59号証)を使ってパフォーマンスを展開し、裁判官を味方に付けた。勝てば官軍、負ければ賊軍で、戦いに勝てば、悪党も正義になり、負けたら被害者のほうが不義になってしまう。真実を見極める事が出来ない裁判官次第で、天国から地獄に突き落とされてしまう〕

〔鈴木は和解協議で強迫されて和解書を書かされたと言って、和解書の無効を主張したが、実際には「今、ここで死ねるのか」と西を脅かしているではないか。裁判に勝つためにA氏を反社会的勢力の人間であるかのように強調して、暴力団トップを名指しまでしているが、鈴木の神経は異常でおかしい。こうした主張や証言は長谷川が仕向けたに違いないが、鈴木も長谷川も裁判に勝つためとは言え、ここまでの嘘を構築して何とも思わないのか。その責任は解決するまではいつまでも逃れることはできない。決してまともな人間のやることではないことは鈴木も長谷川も承知しているはずだ〕

〔鈴木が今、自分自身が最悪の選択をしている事に気付いていない。世の中、先を見ようと思っても見えるものではない。ただ、何が起きても良いように準備するだけだが、何を準備していいかも分かりにくい。そんな世の中で1000億円以上という途轍もない資産を隠匿するという事は想像もできない重圧があるだろう。その秘密を共有できる人間がいない。鈴木は自分に、もしもの事が起こった場合の準備はできていないと思う。自分の秘密を守ることに精一杯だろう。自分がいなくなったら誰のものか分からなくなる莫大な資産がどこかに管理されていても意味がないのではないだろうか。今の時代、何処の国でも戦争が起きる可能性がある事も知っておかなくてはならないと思う。1000億円以上という資産は、鈴木にとって命より大切なものだと思うが、自分に取って最善の準備を選択しておかなくては元も子も無くなることになる〕

〔裁判ではあれだけ確定的な証拠類が揃っていたにも拘らず、原告の代理人弁護士中本は、法廷で裁判官を納得させられる答弁が出来ず、証拠類は宝の持ち腐れに終わった。一方被告側弁護士長谷川は、全くの出鱈目なストーリーを創作した「質問と回答書」(乙59号証)を使って、勝ち目が無いと思われた裁判を勝訴に導いている。裁判とは何なのか、真実を追求する場では無いのか。現実の裁判では常に正義が勝つとは限らない〕

〔警察に逮捕される3日前に鈴木はA氏に土下座して涙まで流しながら8000万円を借りた。西の妻から1800万円を借りていた事実を隠しており、A氏に「西さんには言わないでください」と口止めしたのは、計画的だったことが明らかだ。鈴木は西の妻には「急いでいるから」と言って借用書さえ書かなかったというが、それも鈴木の常とう手段であったから、あまりにも悪質過ぎる。志村化工事件では、自分が助かるために西に罪を被らせて逮捕を免れた。利益を独り占めするために西を切り捨て自殺にまで追い込んだことは人間のやることではない。鈴木こそ一生刑務所で過ごすべきだ〕

〔元福岡高裁のM裁判長の話で、M裁判長がある事情により人事面で冷遇されてきた。この裁判長は自分の意志を曲げない裁判官だったらしい。しかし、当時を振り返って語った言葉は、「意に沿わない人事を受け入れた自分に、不当な配置転換された人から、その撤回を求めた訴えが持ち込まれた時、果たしてその裁判を裁く資格があるのか」と自問したと言う。非常に痛ましい思いのする話だ。裁判所の「人事差別」は間違いなく存在するが、どんな言動に対して差別されるのかという具体的な事はどの本にも書かれていない。ただ「上司の意に沿わない言動」としか書いていないが、裁判所内部には不文律でもあるのだろうか。人事権を持つ上司が変わるごとに変わるのだろうか。裁判所の歪んだ伝統は廃止するべきだと思う。立派な信念を持った裁判官が育たなければこれからも国民の信頼を受けることが出来ない〕

〔現状の日本の司法界の堕落ぶりを世界中に認知してもらう為にも、今回の鈴木に関するYouTube配信は、良いキッカケになるのではないか。法の権力を牛耳る司法界のタブーにあらゆる方法でメスを入れる事により、冤罪判決を下しかねない品田の様な裁判官の一掃に繋がる事を期待したい〕

〔紀井氏は鈴木が株の売りを任せるためにスカウトした鈴木の人脈だから、杉原正芳弁護士は金融庁に提出する報告書に「紀井義弘からの借り入れ」と記述することができた。鈴木は、宝林株の取得に当たって「杉原正芳弁護士とは一面識もない」と言っているが、そんな嘘が通るはずがない。杉原が常任代理人に就いた外資系投資会社は全て鈴木が株取引と資金隠匿のために用意したペーパーカンパニーで、紀井氏の名前を大量保有報告書に書いたのは鈴木の指示以外には考えられない。、鈴木は杉原との接点について話したこともないし知らないとまで言っているが、ペーパーカンパニーのコンサルタントをどうして引き受けることができるのか、検証調査をすればすぐに分かることだ。鈴木という人間は金のためなら何人もの側近や西までが死んでも全く気にもせず平然としている。こんな人間は世界中探してもいないと言わざるを得ないが、長谷川と青田も同様だ〕

〔「人生、金だけではない。金と幸せは別物だ」と言う人がいるが、それは嘘だと思う。世の中、「金があれば何でも買える」と言う方が現実的だ。大病を患って入院し、手術するにも高額な手術代がかかる。その金が無ければ命を失うのだ。極端に言えば命も金で買えるという事だ。幸せもある程度までなら金で買える。新聞、テレビの報道でも金があれば助かった命があり、金があれば犯さなくてよかった犯罪もある。しかし、鈴木の様に人間としてやってはいけない方法で金を得てはいけない。鈴木の強欲は社会のルールを無視し、人間の道を外してきた。鈴木の一番悪いことは悪事を働いても反省せず、次々と罪を重ねる事だ。その行為は全ての人を敵に回すことになる。お前だけには「金が全てではない、お前の金欲がお前の全てを不幸にする」と言ってやりたい〕

〔鈴木のYouTube配信をキッカケに、今まで以上に世界中で認知度が上がるのは間違いないだろう。それに伴って、司法界も今までの様に特権の座布団に胡座をかいてはいられなくなるはずだ。少しでも不審を疑われる様な判決を下そうものなら、YouTubeで配信され、世界中の視聴者が陪審員となって裁判官をも裁かれる事になるからだ。誰もが疑う不当判決を下せば顔写真も掲載される事になるだろう〕

〔鈴木は自殺した西を裁判にまで利用して「西がA氏の金主元を暴力団と明言している」としたが、西が生きて証言台に立っていたら、鈴木のそんな証言を絶対に出来るはずがなかった。死人に口なしで好き勝手放題のことを言っているとしか思えないのは、西が鈴木に宛てた遺書にはそのような趣旨の文言など一つもないことでも分かる。あまりにも度が過ぎた嘘は命取りになりかねず、虚偽のストーリーを構築した長谷川は自覚するべきだ。長谷川が鈴木に対して横柄に振舞い、人前でも「おい、鈴木」と呼び捨てにしても鈴木は逆らうことなく長谷川の指示に従っていたという関係があったからこそ「質問と回答書」が作成された。しかし、2人の作り話が2度も3度も通用するはずはない。長谷川は弁護士を辞めたからと言って、今後、鈴木の犯罪隠ぺいに加担し、裁判で偽証した責任がどれほど重くのしかかってくるか、思い知ることになる〕

〔人間の欲望と感情は生きていくためのバネのようなものだと思う。しかし、むやみに突っ走るとケガをする。それを統制し調節するのが理性だと言われている。人間の心は知力、理性・情熱の三つに分けられるという。知力と情熱は他の動物にもあるが理性だけは人間だけが持つものなのだ。鈴木には理性という物がない。知力(悪知恵)と情熱(金銭欲)は他人の何倍も持ち合わせているようだが、理性(抑制力、ブレーキ)の欠片もない。人間以外の動物と一緒だ。しかし、犬や猫は3日飼えば恩は忘れない。鈴木は犬猫以下の愚か者だ〕

〔今回、鈴木のYouTube配信により、今まで事件化が難しいとされてきた犯罪で泣き寝入りを強いられてきた被害者達にとっての犯罪撲滅の一端を担うモデルケースにもなるのではないか。犯罪抑止効果も含め、鈴木の様な犯罪者の手口等を紹介する事により、昨今のコロナ禍の情勢を踏まえ、防犯意識の向上にも繋がるのは間違いないだろう〕(以下次号)