懲戒請求者が平林英昭と杉原正芳の両弁護士に対して、所属する第一東京弁護士会(以下「一弁」(業界での通称である)という)に懲戒を申立てたのは昨年6月のことであったが、当の一弁と同会綱紀委員会が徹底した秘密主義を貫いて、平林と杉原の両弁護士から提出された答弁書さえ請求者側に開示しないという、極めて不見識な対応を約1年にもわたって続けていたことが判明した。

請求者側による懲戒請求に対して、杉原弁護士が答弁書を提出したのは昨年6月30日、平林弁護士は同年7月2日だった事実には非常に驚くとともに、綱紀委員会の対応は明らかに身内の所属弁護士の多くが弁護士に課される「信義誠実」という倫理規定を全くと言っても過言ではないほど順守していないことが窺えるのだ。

一弁及び同会綱紀委員会の対応については後述するとして、関係者によると問題の両弁護士の答弁書は、さらに悪質としか言いようがないほど好き勝手放題の主張が並べ立てられていた。恐らくは前述したような一弁及び同会綱紀委員会が徹底した秘密主義を貫いていることも要因として考えられ、場合によっては請求者側には両弁護士の答弁書さえ開示しないまま懲戒にするか、それとも懲戒にしないかの結論が出ることを想定したうえで答弁書を作成したのではないかとさえ思われるのだ。

(写真:平林英昭。弁護士。平成18年11月下旬、鈴木が和解書の支払約束を撤回するに当たり、その後の交渉の代理人に指名した。しかし、平林の言動はウソだらけで、特に和解協議をありもしない「強迫」や「強要」の場にして鈴木を被害者に仕立て上げた)

本誌では、以下、平林と杉原の両弁護士が答弁書で何を主張しているかを明らかにし、徹底した検証を進める方針である。

先ずは平林弁護士の答弁書について、平林は、周知のとおり鈴木が和解書で約束した支払を反故にして交渉を継続すると請求者に手紙で一方的に通告してきたが、交渉の過程で請求者の代理人であった利岡正章が平成20年6月11日に伊東市内のパチンコ店駐車場で暴力団習志野一家の構成員2名に襲撃され危うく命を落とすほどの暴行を受けた事件に関連して、鈴木の代理人の一人である平林が同一家の総長と最低でも2回以上面談していた事実が判明した。そして、裁判では請求者側が何度もその事実を指摘したにもかかわらず、平林は一切無視して回答しなかった。ところが、この答弁書では「平成23年2月15日に面談した」と言い、「鈴木氏が傷害事件に関係していないことを強調した」と面談の理由を挙げている。法廷では一切無視していた平林が何故答えることになったか。平林は「懲戒事由の対象とされる行為はいずれも平成18年から遅くとも訴訟が提起された平成27年以前のもの」と主張して、「除斥期間」(懲戒請求の対象にはならない)というが、一審でも二審でも繰り返し行っていることを、そんな言い訳で通るはずがない。  

 平林は「被請求者が、習志野一家の総長とされる人物と一度面談した際、鈴木氏が傷害事件に関係していないと強調したことは認め・・・」と述べているが、そもそも平林が何ゆえに総長と面談して鈴木が傷害事件に関係していないと証明する必要があったのか。懲戒請求者の代理人であった利岡正章に対する傷害事件の実行犯は習志野一家に所属する構成員(小倉某と池田某)であったが、実行犯が所属する暴力団のトップであれば、傷害事件の教唆者は承知していたはずであり、わざわざ平林が釈明のために面談をし、事件に関係がないことを強調するというのは本末転倒ではないか。

傷害を負った利岡が担ぎ込まれた病院に、実行犯の幹部である渡辺某が来て示談を申し入れた際に、教唆者を教えるとの約束をしたことで利岡は示談に応じたが、その後、渡辺某は言を左右にして、遂には教唆者を明かさなかった。そこで利岡が実行犯への指示者(教唆者)を特定しようとする調査を進める過程で、青田光市が同一家No.2の楠野伸雄とは当時でも20年来の付き合いがあった事実を突き止めており、その事実究明の調査を進めてはいたが、だからといって、平林が習志野一家の総長と面談する必然はなく、面談は口止めに他ならないとしか考えようがない。

しかも、平林は総長との面談が平成23年2月15日の一度だけと述べているが、事実は最低でも2回以上の複数回であり、利岡に対する傷害事件は平成20年6月11日に起きているが、何故、3年近くも後になって総長に会い鈴木の非関与を強調する必要があったのか。平林の答弁には全く整合性がない。

和解協議後に鈴木が請求者に複数回架電してくる中で、「西の損失分は70億円と聞いているが正確な金額を知りたい」というので、請求者が西と紀井に確認すると58億数千万円という損失額が分かり、それを伝えるなど和解協議での支払約束を追認する会話があった上に、和解書作成から1週間後の10月23日に鈴木が単独で請求者の会社を訪ねてきて、支払約束に関わる支払方法等について話をするなどさらに追認する意思を明確に見せた。しかし、その後、2通の手紙を送ってきて和解書の支払約束を一旦留保撤回し交渉を継続するとして青田光市と平林英昭を代理人に立てると一方的に通告してきた。

平林からは請求者に何度か連絡が入ったが、鈴木と直接話し合いができなければ意味がないと考えた請求者はしばらく放置していたが、鈴木は所在を不明にして連絡がつかないため、止むを得ず請求者も利岡正章を代理人に立て、同人と共に平林の事務所を訪ねた。

平林は開口一番「社長さん、50億円で手を打ってくれませんか。それであれば、鈴木はすぐにも支払うと言っているんで・・・」と打診してきた。請求者は和解協議で鈴木が支払いを約束した70億円(50億円+20億円)を減額してきたことに加え、株取引に係る買い支え資金を総額で207億円出しているために平林にはその旨を伝えて断りを入れた。

裁判で、平林は和解協議で請求者と西から強迫を受けたことで和解書に署名指印したので心裡留保だと主張したが、それが事実ならば交渉で最初に平林に会った際に平林が前述のような打診をするはずはない。

(写真:杉原正芳。弁護士。鈴木がタックスヘイブンに用意(取得)したペーパーカンパニーを実体のある投資会社に装い、常任代理人として大量保有報告書の作成、提出を担った。杉原の関わった会社は100社以上に及ぶとみられる。出典:弁護士大観)

また、杉原正芳弁護士は「鈴木を知らない(注:鈴木も裁判で同様に「知らない。電話で話したこともない」と口裏を合わせていた)」「紀井からの借入という表記についてはバオサングループからその旨の説明を受けた」と「答弁書」で述べているが、周知のとおり、紀井義弘はクレスベール証券に勤務時代に鈴木の担当だった関係にあり、バオサングループが紀井を知るはずはなかった。そして最も重要な事実は、バオサングループは鈴木が宝林株の取得とその後の株取引でも自身の関与を隠すために、フュージョン社(町田修一、川端某)を介して香港の会計事務所から買い受けた実体のないペーパーカンパニーであることは、当の紀井が裁判に陳述書(平成29年1月17日付)を出し証言もしている点である。つまり、バオサングループは鈴木そのものなのだ。杉原がバオサングループから依頼を受けたと言うのであれば、それは鈴木(仲介したフュージョン社を含む)以外には考えられない。

それに加えて、紀井が宝林株取得に関わっていない事実、また資金を出したこともない事実を杉原宛に送った抗議文(平成20年3月31日付)で述べ、杉原から釈明を求めたが、杉原は回答しなかったではないか。これについても、平林と同様に渦中の現場では一切対応しなかった杉原が懲戒請求には対応するという極めて不見識な人間であることが分かる。

杉原は鈴木が株取引で用意した100社前後にも及ぶペーパーカンパニーのうち多数の常任代理人を務めている事実を否認しているが、平成18年から同19年にかけてアポロインベストメント(旧エルメ)がステラ・グループに商号を変更し他の複数の株式公開会社を合併及び業務提携して事業拡大を喧伝する中で、同社の役員(監査役?)に就任しているが、同社の見せかけの事業拡大は全て鈴木の差し金であり、鈴木の悪友である青田光市が日常的に同社本社に“通勤”していた事実が判明している。その事実からしても、杉原が鈴木には会ったこともなく知らないという弁明は全くの虚偽であることが分かる。

平林と杉原に対する懲戒請求に、両弁護士が所属する一弁並びに同会綱紀委員会は、冒頭にも挙げたように完全な秘密主義を貫いて、一切の情報を懲戒請求者に明かそうとしていないが、それで本当に公正な審議を全うできるのだろうか。答えはノーと言わざるを得ない。両弁護士が同会綱紀委員会に提出した答弁書はすぐにも懲戒請求者に提示して、必要な反論を求めるのが当然であり、そうでなければ綱紀委員会のお手盛りで懲戒にする、しないの結論を出していると非難されても言い訳はできないはずだ。

平林は鈴木の交渉代理人に就いた時から鈴木の嘘を正当化するためにさらに嘘の主張を重ね、懲戒請求者を誹謗中傷しており、それは裁判でも継続された。しかも、利岡襲撃事件に関連して当事者であるはずの習志野一家総長と面談する行為は証拠隠滅と取られても仕方のない話であり、鈴木の犯罪疑惑への加担は濃厚である。また、杉原も実体のないペーパーカンパニーの常任代理人を鈴木から請け負い、裁判では宝林株の取得にかかる部分で虚偽の陳述書を提出しており、鈴木の犯罪疑惑に加担している事実は極めて濃厚だ。

こうした事実を踏まえて、第一東京弁護士会並びに同会綱紀委員会は、真実を明らかにするために公正な審議、開かれた審議をしなければならない。(つづく)