西義輝の遺書が語る鈴木義彦の虚偽言動②

鈴木による株取引が活発に行われたことで証券取引等監視委員会が鈴木と西に注目することになり、平成14年2月27日、西は志村化工株の相場操縦余技で東京地検特捜部に逮捕された。

「貴殿は、当時、FR社の役員でもあった武内一美氏を私に紹介し、志村株の買収に力を借して(注:貸して)欲しいともちかけ、購入してくれた志村株については、後に全株を買い取るとの約束のもと、私の信用取引を利用し、1000万株以上の志村株を買わせた。貴殿は一方で、海外で手に入れた志村の第三者割当株(1株約180円)、金額にして約20億円分を売却した。この20億円の購入資金も、貴殿が調達したお金ではなく、以前に宝林社に増資で入れた資本金を、私に宝林社の安藤社長を説得させ、年利回り3%で海外のプライベートバンクに預けて欲しいと依頼までさせ、了承させる役割までやらせた。その後、海外に送金させた20億円を志村株の第三者割当増資に流用し、ウラで多額の利益を出している。私は貴殿の言う事を信じて、Eトレード証券で1000万株以上の取引までして、貴殿と武内氏の約束に応じた。志村株についても、買い増す約束であり、私は信用取引を活用していたために、何度も買い増しをするよう貴殿及び武内氏に伝えたが、最終的に約束を守ってもらえず、私は、この志村株の処理に困り、海外の投資家に頼み、志村株を預け、コントロールしてもらった」

東京地検特捜部による捜査が身近に迫ると、鈴木は必死に西に土下座までして懇願し、自分だけ罪を逃れようとしたのだ。

「貴殿らは、私が志村株を買っている時に志村株の売却を同時にした事で、私及び武内(一美)氏は株価操縦(注:相場操縦)の容疑がかかり、その後、私と武内氏は東京地検特捜部に逮捕された。貴殿は私が逮捕される前に、自分に身の危険が迫っていることを分かっていて、何度となく私に会って、必死に口ウラ合わせを依頼した。私は、この時もまた、貴殿に騙されたと思ったが、私が本当の事を言って、貴殿が逮捕されれば、親和銀行で執行猶予の身でもあり、今まで貴殿と行ってきた三者合意による利益分の事も心配になり、私が全責任を取り、貴殿を逮捕から守る事にしたのである。私が貴殿の事を一切喋らないと約束した後、貴殿は私に頭を下げて言ったことを今でもはっきり覚えている。西会長の身の回りのことや弁護士費用、公判中の生活費用、そして三者合意での利益の分配のうち、少なくとも1/3の利益分に関しては、全責任を持って支払う事を約束したことだった。この志村化工事件でも貴殿を守りぬき、私だけが罪をかぶり解決したわけだ。ここまで貴殿のペースにはまるとは、私は大バカものだ」

西は、鈴木を庇うことで株取引の利益を守った点を強調しているが、もし鈴木が主犯であることを明らかにしていたら、果たしてどういう事態が想定されたのか。しかし、その後に西の有罪が確定すると、鈴木は掌を返して西を切り捨てにかかった。有罪が確定し執行猶予となってから1か月後に鈴木と西が西麻布の喫茶店で会うと、鈴木が「そろそろ西さんへの資金提供を止めようと思う」と切り出すと、西が驚いて利益分配の話を持ち出し、さらにA氏への借金返済もあると言うと、鈴木は「社長は俺には関係ないだろう、あんたがどうするかは勝手だが、俺は、清算は全て終わっているはずだ」と言って西の話を否定した。株取引が開始されて以降、西も鈴木もA氏には本当のことを隠し、鈴木はさらに西をいいように利用して利益の独り占めを画策してきた。それ故、西にも鈴木がどれほどの利益を確保して、それをどのような形で海外に隠匿しているかについて正確な情報を持ち得なかった。しかし、志村化工株事件の直前に鈴木が利益の少なくとも1/3以上を西に分配すると確約したことは間違いないことだっただけに、早期にそれを実行することだけを鈴木に求めることしかなかったと思われる。一方で鈴木は、A氏への清算は終わっていると嘯いたが、それは鈴木の独りよがりの身勝手な判断から出た言葉に過ぎなかった。

西が保釈された直後の平成14年6月27日、鈴木はA氏に対して15億円の借用書を作成して差し入れていたが、本来であれば鈴木の債務は40億円超(金利年15%で計算した場合。遅延損害金年30%で計算すれば60億円を超えていた)あったが、直前に西が「これからの株取引の利益が大きくなるので」と言って鈴木の債務圧縮をA氏に懇願し、A氏が了解した経緯があるが、鈴木の発言はこの前提を完全に無視していた。株取引の正当な分配が無ければ、鈴木の債務が減額されることは無かったのである。しかもA氏が西の懇願に応えて減額した結果は25億円だったが、鈴木が唐突に「西さんに社長への返済金の一部10億円を渡しました」と言い出し、A氏が西に確かめると西もそれを認めたため、さらに10億円を減額して15億円にした経緯があった。ところが、鈴木が西に渡した10億円は合意書を破棄させるために複数回で西に渡していた報酬であった。こうした嘘を鈴木は平然とついて、ゴリ押し同然に債務返済を最低限に抑えようと画策していたのである。西は何故、その時に抵抗しなかったのか。A氏を裏切って鈴木と利益の山分けを約束した事実がバレてしまうことを恐れたからと思われるが、そうした西の弱みを鈴木は巧みに突いた、あまりにもあくどい発想だった。

西は逮捕前に鈴木と交わした契約の履行を迫り、執行猶予が解けた後の平成18年10月2日に香港で利益の分配金を受け取ることになったとしたが、香港では鈴木の代理人と称するTamに勧められた薬物入りのワインを飲み意識を失ったまま翌朝香港警察に保護されたという事件が起きた。この事件については飽くまで西の証言以外に目撃者がいないため謎が多いが、香港警察や日本領事館が西に事情聴取しており、未解決事件となっている模様だ。

この事件を受けて、A氏が鈴木と面談する中で、改めて合意書の存在が問題となった。前述したように、鈴木は西に合意書の破棄を執拗に迫り、西も「破棄した」と曖昧な態度を取り続けたために、合意書が本当に破棄されたと思い込んでいたようだ。

「合意書の件についても、私が英文で書かれた合意書を貴殿からもらっていたため、社長と三人で交わした合意書については処分する約束で、常に貴殿に聞かれる度に処分をした事を伝えていた。そのため、貴殿は、ずっと合意書は残っていないと信じていたはずだ。この合意書の件については、貴殿も何度も有無を私に確認し、今思えば、本当にしつこかった。色んな事があって、その、無いはずの合意書を社長から見せられた貴殿は、さぞびっくりしたはずだ」

鈴木は、しかし、合意書に基づいた株取引は無かったことを強調して否定したため、A氏と鈴木は西が同席する中でもう一度協議を行うことにし、10月16日に3者協議の場を持つことになった。

「2006年10月16日に社長、私と貴殿で社長の事務所で会って、貴殿は新しい支払い条件を社長と私に提示したわけだが、私はこの時、貴殿の言っている利益金が50億円~60億円しか無かったと言ったことに反発をし、貴殿が提示した50億円プラス2年以内に20億円の金額支払確認書(注:和解書)にはサインをするつもりはなかった。なぜなら、貴殿が稼いでいた利益は470億円以上あったからだ。貴殿の下で働いていた紀井氏も茂庭氏も私に前もって教えてくれていたし、天野氏に確認した時も470億円の金額にも一切の驚きもせず、それぐらいはあると思いますよと平然と応えた。この時は、ただ言葉だけで確認をしたのではなく、紀井氏の利益明細書を見てもらった。しかしながら貴殿と三人での打合せの時にも、社長に私は本当の利益額を正直に伝えようとしなかったため、社長に貴殿の説明による利益金での判断をさせてしまい、あのような少ない金額の確認書(注:和解書)になったわけである。この三人の打合せの時でも、貴殿は利益金額を騙し、ウソの金額で押し通したわけであり、決して許される事ではない」

鈴木は和解書に署名指印して支払約束をしたが、結局はそれも反故にした。和解協議後に鈴木はA氏に何回か電話をする中で株取引で生じた西の損失分について尋ね、A氏が西と紀井から約58億円という正確な金額を伝えると、鈴木は「その分を差し引いて利益を3等分しないといけませんね」と言い、合意書の有効性を改めて追認した。また、和解協議から1週間後の10月23日にはわざわざA氏の会社を訪ねて和解書に関わる支払方法等を詰めるような面談をしていた。鈴木は日本国内に多額の金を持ち込むのは非常に厳しいと言って「海外での口座開設をお願いしたい」とまで言及したのである。それにもかかわらず、それから約1か月後に鈴木はA氏に手紙を送り付け、一方的に和解書の支払約束を反故にしてしまい、しかも所在まで不明にしてしまった。

「その後も、約束した確認書の金額を支払う事もせず、好き勝手に逃げ回っている。貴殿及び身内のことはすべて把握されていることだし、もっとよく考えて行動もすべきである。いつもそうであるが、貴殿は、自分は表に出ないで、私にずっと今までやらしてきた。同じ方法で何事に関しても引き延ばしをしているわけだが、私は貴殿にこれ以上、好き勝手な事をやらせる訳にはいかない。社長に大変辛い思いをさせている。これ以上貴殿も誤った判断をしてはいけない」

こうした鈴木のやり方は常套手段であることがA氏にも実感されたようだが、西もまた次のように述べている。

「私は貴殿の汚いやり方をやっと気づいた。貴殿は、どんな時でも、自分が弱い立場にいる時、あらゆる事を言ってでも助けを乞うが、自分が強い立場になった時には、まず一番重要な立場にいて、貴殿のパートナーに近い人間や色々貴殿の秘密を知っている人間を追い落とし、弱くさせながら自分の思うようにコントロールするやり方をずっとしてきている。私以外でも、過去に貴殿が利用した人たちに対して、全く同じひどいやり方をしている」

「死を決めた時から何も怖くはないし、何でもできると思うようになった。私をここまで追い込んだのは貴様だ。私は貴様を道連れにするつもりであったが、社長に話したらやめろと止められたので、仕方なく断念せざるお(を)得なかった。きっと社長の人柄で、以前三人で会っていた頃の貴殿のいい部分だけを思い出してやめろと言っているのではないかと思う。社長の言葉の端々にそれを感じた事があった。私も貴殿も、あんなやさしい人を裏切るとは本当に悪だと思わないか。社長の周りの人達は、社長が金を出し、三人で合意書まで作っているにも拘わらず一人占めするとは絶対に許すべきではないと思っている人も何人かいる」

西は、香港での利益分配金の受け取りで事件に巻き込まれたことについては遺書で触れてはいないが、その事件に前後して何者かに尾行され、いつ何事かが起きてもおかしくないという状況の中で日々を過ごしていた。西が尾行されていることを知ったのは紀井が電話で知らせてくれたからだったという。鈴木と青田が事務所で西を尾行する謀議をしているのを紀井が聞き、鈴木と青田には知られないように西に電話をして、「西さんに尾行を付けるという話をしているから、気をつけてください」と注意を促した。それ故、西は神経を張り詰めさせ、それらしき人を見れば振り切って尾行をかわすという日々が続いていた。そして、そのことも西を追い詰める大きな要因になっていたと思われるのだ。

A氏と西、そして鈴木の間で交わされた約束事を、鈴木は次々に反故にした挙句、株取引で得た利益(総額470億円)を独り占めにした鈴木の裏切りを品田裁判長がしっかりと認定することは、これまでに挙げた出来事をつぶさに検証すれば容易に判断できることだった。しかし、品田裁判長は逆にほぼ全てを排除してしまったのである。そのことで、一連の株取引を巡る鈴木の犯罪疑惑までも一旦は封印する結果を招いている責任を品田裁判長はどのように受け止めているのか。西は鈴木に腹の底から振り絞るように訴えている。

「現在の貴殿の置かれている立場では、沢山の資金を自由にでき、お金も自分の思うがままに使え、過去の事を忘れているか、忘れたいと思う気持ちであろうが、私のこの手紙の内容については貴殿が一番よく理解している事だ。社長及び私の助けだけで誰も協力してくれなかったころの貴殿を今一度しっかりと振り返りながら考えるべきである。貴殿は自分の事だけじゃなく、身内、彼女、関係者等の事を考えた事はあるのか。色んな事が調査済みであるし、(略)早急に社長と話し合いをして解決する事だ。私の人生で悔いが残る事は、貴様と知り合った事と道連れに出来なかった事が無念で仕方がない。私の死後、貴殿もそんなに時間の余裕は無いはずだ。お金も持っているんだから、命を無駄にしないでしっかりと解決する事だ。死んでいく人間の最後の忠告だ」(つづく)