鈴木義彦に読者は怒り爆発(51)

〔長谷川弁護士の言った「大丈夫、この裁判は負けない」という言葉がどうにも受け入れ難い。しかも判決の当日に声高々と言い切っているのは余程の自信か確信があったとしか思えない。単なるハッタリではなかったと思う。この裁判の間、長谷川の高圧的で威圧的な態度は変わらなかったらしいが、弁護士は「毅然と真摯に冷静に」というマナーを重視し、やはり裁判官の悪印象を避ける事が必要と言う弁護士も多い。普通はそうだろうと予測がつく。それともそんな事を気にしなくても良い何かが長谷川と裁判官との間にあったという事か〕

〔今は、個人投資家となっている人達も、以前は、ファンドマネージャーやディーラーを経験し、一般投資家の資金を預かり、運用利益を出してマージンを稼いでいた人が殆どだ。鈴木はA氏の支援を受けて株取引を始め、買い支え資金の支援まで受けて楽な形で利益を上げることが出来た。株取引は実弾の量が勝負だ。鈴木は恵まれた環境で利益を積み上げられたのだ。それはA氏のお陰なのだ。金の魔力と言うが、思わぬ利益を獲得できたのだから合意書の内容通りにすることは容易であったはずで、鈴木からすれば宝林株の取引が終了した時点で合意書を解除する協議を持てたのに、なぜそれをしなかったのか。株取引を継続することでさらに巨額の利益を手に入れることが出来るという鈴木の強欲が勝ったからだろうが、最初からA氏を騙して利益を独り占めする計画であったとしか考えられない。こんな悪党は許しておいてはいけない〕

〔A氏の代理人である中本弁護士が、家族から「A氏の代理人を辞任してほしい」と哀願されていたという関係者からの投稿が以前にあったが、その理由は鈴木の過去の事件を知り、不安を感じて家族として自分達に何らかの危害が及ぶことを恐れたようだ。その情報が家族にもたらされたのはネット上でサイトが立ち上がる以前であるから、それだけ鈴木の悪行の情報が既に知れ渡っていたという事になる。想像以上に鈴木の悪行振りの噂は独り歩きをしていたと言う事だ。もっともこれだけの常識では考えられない事件を巻き起こしたのだから当然である〕

〔お金の貸し借りは、取引の一種である。従って他の取引と同様に、貸し手と借り手の双方に利益をもたらす。もしそうでなければ、そもそも取引は成立しないだろう。金貸しは他の商売と同様に真っ当な仕事をしている。金貸しは金を借りるよう客に強制したわけではないし、客はいつでも自由に断れる。勿論世の中には酷い金貸しもいるが、だからと言って職業そのものを非難してはいけないのではないか。酷い奴というのは何処にだっている。「闇金はやくざと同類であり、もしも債務者が借金を返済できなければ簀巻きにされて、東京湾に浮かぶことになる」と言われることもあるが、闇金から借りた人は、通常、合意の上で業者と契約を交わしているということだ。「お金はきっと返します」と約束しておいて、その後で契約を反故にした人間を被害者と呼ぶのは不適当であると思う。この場合、真の被害者は金融業者なのだ。にもかかわらず裁判所が債務者に借金の返済を命じず、債務者を救済してしまったとしたら、A氏と鈴木の裁判と同じだ。A氏と鈴木と西の3者の合意書契約について、裁判官はガチガチの頭脳と能力不足から「不自然」「役割分担が明確でない」という理由付けをして係争の基本となる重大な証拠書類を無効としてしまった。三人の当事者(しかも大人)が合意して署名指印している契約書を、鈴木の主張だけで無効にしてしまうという事こそ「不自然」ではないのか〕

〔伝聞証拠は刑事訴訟法では原則として証拠能力が否定されているが、民事訴訟では制限はなく、それをどのように評価するかは裁判官の自由な判断に任されているという。長谷川弁護士はずる賢くそれを悪用して鈴木に「西が言っていた」「西に聞いた」という証言を意識的にさせていた。西が死亡していて反論も証言も出来ない事を悪用して虚偽の主張を正当化しようとするなど許されないことだ。どこまでもあくどさが際立っている。生存している人物ならともかく、故人からの伝聞証拠を採用する品田裁判長にも問題がある。全く理解できない感覚だ〕

〔汗もかかずに濡れ手で粟の大儲け。何の生産性も社会貢献も無く、ただデジタル化された金融の世界の数字をいじって莫大なカネを得る。これが、個人投資家やファンドマネージャー、ディーラーへのイメージだと思う。しかし彼らは、世界中のマーケットを相手に24時間、不眠不休の生活を続け、肉体的にも精神的にも限界まで自分を酷使し、利益獲得のために命を削って生きていると聞くが、鈴木のように他人の褌で勝負を賭け、今や1000億円以上という考えられない程の資産を築き上げた投資家が他にいるのだろうか。約18年前には株取引で約470億円の利益を上げていたという確かな証拠はあった。そこから想定すると1000億円以上の隠匿資産はリアルな数字だ。今まで、投資で損失はあったにしても18年前の倍額にはなっているだろう。鈴木のような人間に浴びせる非難の言葉は無数にあるが、現実に鈴木は生存していて使いきれない額の資金を運用していて今現在もどこかで利益を上げていると考えるとA氏の心情は如何ばかりかと心が痛む〕

〔最近の投稿や様々な記事から、日本の裁判の在り方に疑問を投げかける人も多くなっている。一般人だけでなく、法曹界からでさえもその声は聞こええて来る。不当な判決によって悔しい思いをしている人達が大勢いるという事にもなるが、控訴しても受け入れられず、結局は泣き寝入りとなっているのが現状のようだ。鈴木を被告とするこの事件は世間の注目度もかなり高い。是非とも再審を勝ち取って、一審二審が間違いだったという結果を残すべきだ。それが今後、日本の司法の在り方に大きく影響する事は言うまでもないし、再審という高い壁を越え易くするだけでなく司法制度の改革につながるきっかけになるはずだ〕

〔警察や裁判所は法の番人であり、自らは法を厳守しなければならないのは当然の事だ。問題なのは、この二つが矛盾することがあることだ。麻薬、賭博、売春捜査で過剰な捜査をして悲劇が起って悪徳警官と呼ばれたり、裁判官が立身出世のために判決を忖度してヒラメ裁判官と呼ばれたりすることは、必ずしも法を犯しているわけではない。警察署や裁判所では「最も良い警察官や裁判官は目立つ動きをしない事」と言われているという。大多数は我々一般市民を守り、法を守る為には積極的に仕事をするよりサボル事が一番という事らしい。これには、すぐに中傷し批判する一般人にも責任があるが、これでは正義感が強く使命感が強い警察官や裁判官は育たない〕

〔他人は無責任なことを際限もなく言う。それは世の中の条理だと思う。他人が富裕層であろうが貧乏人であろうが自分には関係ない。しかし、人間というのは嫉妬深いものだと思う。自分より幸せそうな人の事を悪く言う傾向がある、それもよくある事だ。しかし、他人事とはいっても泥棒だけは見逃すことは出来ない。これは、貧富の差も、老若の差も、男女の別も関係ない。泥棒というのは黙って見過ごせないほど悪い人間のすることだ。鈴木よ、「泥棒の子供、泥棒の孫」とだけは言われない様にしないと人間の屑になってしまう。いくら莫大な資産を残してやっても子孫に汚名を着せては却って(かえって)本末転倒だ〕

〔鈴木はA氏の事を「一目も二目も置いている」と言い、「今まで会った事がない人」と手紙に書いているが、それは本心だったと思う。その気持ちを何故自分で直に伝えなかったのか。長谷川元弁護士、平林弁護士、腰巾着の青田らの言葉に惑わされ、考えが変わって戻るに戻れなくなってしまったのか。鈴木が和解後にA氏に手紙を送り所在を不明にしたことで、A氏は鈴木と2人で面談することを交渉の代理人に就いた平林弁護士に伝えた。しかし、これも平林と青田に阻まれてしまった。読者として非常に残念な場面だったように思う。西や紀井氏の事はどうでも良かった。A氏に3度目の救助をして貰える可能性があった。A氏の胸に飛び込むべきだった。この時に全てが解決していたと思うが、鈴木は金の魔力に憑りつかれてしまった〕

〔鈴木は、1000億円といわれる資産を隠匿していて、全てが自分の物と勘違いし、天下を取ったような気分になっているのか。所詮、人間は持って生まれた自分の器量以上にはなれない。自分の器を自覚していなければ、一時は大きくなれてもお前の器に入る水の量は決まっている。ただ、死力を尽くして努力して得たものであれば、自分が知らない間に器が大きくなる場合もあるかもしれないが今のお前は、自分の器の大きさを知らない、まして、死力を尽くして得た資産でもない。水は、器から溢れるか底が抜けてしまう。人力を尽くして器の水を元の流れに戻す努力をすれば、善い成果が実り、善い知らせが届くものだ〕(以下次号)