西義輝がA氏宛の遺書に「私は大バカ者」と綴った鈴木義彦への憤怒(1)

「社長、大変お世話になりました。心から感謝申し上げます。私の様な人間を今まで全面的に信頼をしていただき、沢山の資金を出していただき、本当に有難うございました」

平成22年2月初旬、西が自殺する直前にA氏に宛てて書いた手紙(遺書)の冒頭部分である。平成9年8月頃に鈴木をA氏に紹介して以降、A氏は西の様々な懇願に応えて鈴木への金銭支援を惜しみなく行った。その総額は約28億円にものぼる。鈴木が親和銀行を巡る100億円以上の不正融資事件で逮捕されると知った時にも8000万円を貸し、鈴木が保釈された直後には、鈴木の再起をかける資金作りのために上代で総額約45億円はするという高級時計13本を4億円で販売委託する協力もした。そして、西が宝林株800万株を取得するチャンスを掴むと、同株の取得資金3億円を出し、さらに一人熱弁を振るって懇願する鈴木の要請に応えて、その後の株価の買い支え資金を継続的に出した。それにもかかわらず、鈴木はA氏を裏切り、債務の返済をしなかったどころか、株取引でも総額で約470億円という利益を獲得しながら、それを独り占めして海外に隠匿する悪辣な行動に出たのである。西はA氏と共に鈴木に利益の分配を迫ったが、鈴木は頑なに拒否したまま行方をくらませてしまった。A氏に取り返しのつかない迷惑をかけたことで、西は死を選ばざるを得なかったと思われるが、A氏に宛てた手紙にはA氏へお詫びする文言が連綿と綴られると共に鈴木に騙され裏切られた怨みの思いがにじみ出ていた。以下、一部抜粋になるが明らかにする。

「私は二十三年前に初めて社長にお目にかかったおり、自分の人生でそれまで誰よりもすごいオーラとカリスマ的な存在感を感じました。絶対に大事にしなければいけない方だと思いました。お会いした後、社長に大きなチャンスや沢山の協力を与えていただきながら、私の片寄った生き方、考え方から、いつもつじつま合わせや自分流の考え方ばかり主張して押し通してしまい、社長の人生を台無しにしてしまいました。社長は考え方が大変まじめな方でいらっしゃいますのに、私は余りにもけじめのない事ばかりして、とりかえしのつかない大きな失敗ばかりしてしまったと思います。今まで、社長に資金を依頼して一度もことわられた事はなく、人から借りてでも私にだけは、必ず用立てて下さいました。私は、そこまでして用意してくださった多額のお金を投資に回して、成功できる事が沢山あったにもかかわらず、詰めの甘さや人を信じすぎて、最後にいつも大きな失敗をしたり、人を見る目がないために裏切られてばかりで、本当に申し訳ありませんでした。社長が毎日苦しんでおられる姿を見る度に、私は本当に辛くて、極力冷静にふるまうようにしておりましたが、自分の力不足な事ばかりで、本当に申し訳なく思っております。内心では、社長に対して自分でできる事があれば、何でもしようと心がけてはおりました。しかし、それでも、社長に安心感を与えるまでの事は何一つできませんでした。私が行った数々の失敗について、何一つ言い訳ができる事ではありません」

西がA氏と知り合ってから鈴木を紹介するまでの間にA氏から借り受けた資金は116億円にものぼる。これは西が経営していた東京オークションハウスに係る事業資金であるほか株投資資金も含まれるが、鈴木を紹介して以降の、特に株取引に係る買い支え資金が余りに膨大で、総額が207億円にもなった。もちろん、全てがA氏の自己資金ではなく、A氏が知人から借りて西に融通した資金が相当額あった。そのことを西は十分に承知していて、平成18年10月16日の和解協議の際に鈴木が株取引の利益を50~60億円と誤魔化し、A氏と西にそれぞれ25億円を支払うとしたことに西は噛みつき、「そんなものでは、社長が他から借りている一部にしかならない」と鈴木に詰め寄った場面があった。文中で西が「社長が毎日苦しんでおられる…」と記しているのは、鈴木が和解書で約束した最低限の支払さえ守らず逃げ回っているために、知人への返済を含めた対応を続けてきたことを指しているが、鈴木の誘いに乗ってA氏を裏切ってしまったこと、鈴木に改悛を求めても果たせなかったことをA氏に詫びている。

「私に一命を絶つ事で許される事は一つもありません。お借りしたり、投資をしていただいたお金につきましても、天文学的な数字(注:総額では323億円に上るが、そのうち株取引での買い支え資金の合計は207億円に及ぶ)ですし、誰以上に社長が私を信用してくださった事、(略)私はすべて解っておりましたが、それも自分勝手な理解でしか過ぎなかった事です。死をもってつぐなう事など何にも社長の役に立つ事ではない事も分かっております。しかし、あらゆる事がうまくいかない状況では、けじめをつけるしか他に道がないのです。社長を残して先に死んで行く事にしても、ただただ、自分に逃げているだけで、本当に無責任な事です。大好きな社長の側に、少しでも長くいて、力になれる事があれば、どんな努力でもするつもりでおりましたが、今回は、自分の頭でどのように考えても、生きていく方法を見つける事ができませんでした。私は本当に大バカものです。いつも、いつも社長に期待ばかりさせて、失敗ばかりしている。色々な事を、自分の中で最大限こなそうと努力だけはしても、いつも相手の方が一枚も二枚も上手で、最後にやられてばかりです。多額の資金の運用をしたり、まかせられたり、管理できるようになっても、後一歩のところで自分のやり方が悪いのか、(略)本当に悔しいです」

文中で「社長に期待ばかり…」とあるのは言葉足らずの部分があり、実際には「社長には相談もしないで自分に都合のいい話ばかり」とするのが的確だろう。西は鈴木をA氏に紹介して以降、鈴木への貸付の場面で鈴木の代理人としてさまざまに返済の便宜を図ってもらうほど心を砕いてきた。また株取引の合意書作成も鈴木が一人熱弁を振るった結果であり、A氏が了解し買い支え資金を継続的に出すことになったが、宝林株で巨額の利益が出たら、鈴木は掌を返すように西に利益の山分けを持ちかけ、合意書の破棄を執拗に迫った。西は鈴木の誘惑に飲み込まれ、A氏には嘘の言い訳をして、株取引に関わる正確な報告も上がった利益の分配も鈴木に促さなかった。それでも西は、鈴木が利益山分けの約束を守ると考えていたようだが、見事に裏切られた。鈴木のような恩も何も感じない大悪党にいいように利用されたのだ。

「私は、社長のお力に一番ならなければいけない立場なのに、チャンスが沢山あったにもかかわらず、いつも見すかされていて、それすら気づいていない。いつも、今度はかならず成功すると頑張り、結果を出せない自分がおり、この先、どんな努力をしても、あらゆる信用を失ってしまった現況では、もう、どうする事もできません。(略)どんな言い訳も説得もできない事を、自分が自分にしてしまいました。社長に対しても、本当に御迷惑ばかりおかけして、何一つお役に立つ事ができませんでした。どうか、どうか、お許しください。大好きな社長の思い出だけを頭にうかべながら、一命を絶ちます。本当に二十三年間の長い間、大事にしていただき、命と引きかえに御恩礼(注:原文ママ 御礼か)申し上げます」

文中に「お借りしたり、投資をしていただいたお金につきましても、天文学的な数字です」とあるが、この天文学的な数字は、前述したように総額323億円に達しており、そのうち207億円が西と鈴木の仕手戦に投じられた総額だった。もちろん、A氏にとっては全てが自己資金というわけではなく、友人や知人等から借り受けて用立てた分が過半数を占めているという。

また、「色々な事を、自分の中で最大限こなそうと努力だけはしても、いつも相手の方が一枚も二枚も上手で、最後にやられてばかりです」とあるが、ここで言う「相手」とは鈴木が一番メインになっていた。西は鈴木が平成18年10月16日の和解協議の場で「合意書」や隠匿した利益金の存在を認め、約束を履行することを強く迫った。しかし、その成果が得られなかったとき、A氏には繰り返し「命を懸ける」とつぶやき、そのたびにA氏から叱責された。西が「合意書」に係る鈴木との関わりや株取引の詳細を明示する“生き証人”であったことを考えると、A氏にとって最大に悔やまれる出来事になったに違いないし、鈴木は許されざる人間という思いが一層深まったに違いないと思われる。

A氏は西が自殺した後、西の妻と子息を伴って鈴木の実父の自宅を訪ねた。西は鈴木に頼まれ、実父を会社で雇用していた経緯があったからだ。妻は西の遺影を持参したそうだが、西を自殺に追い込む最大の原因を作ったのが鈴木である、という認識は西の妻にも同じくあり、鈴木の実父にも面識があったから、実父が西の自殺をどのように受け止めているか、それを確かめずにはおれなかったという。

鈴木が所在を不明にしている限り真相は何もはっきりしない、ということもあり、A氏と西の妻と子息、そして鈴木の実父と鈴木の妹が同道して最寄の警察署に出向き、そこで鈴木の妹が電話を架けると、鈴木が電話に出たので刑事が電話を代わり鈴木にすぐに来るよう促したが、鈴木は言を左右にして「今は警察署には行けない」と言って拒み、「明日以降で必ずA社長に電話をするから」と言って電話を切ってしまった。しかし、それにもかかわらず、A氏には一度も電話をしてくることは無かった。

鈴木は、平成18年10月16日と23日のA氏との面談内容を反故にした揚げ句、裁判で「和解書」は強迫されて書かされた、と主張するようになったが、そうであるならば、警察署での面談は鈴木にとって被害を訴える絶好の機会であったはずである。それを鈴木自身が拒否したのだ。鈴木が自らの悪事を認めているに等しい言動だった。