鈴木義彦ほか当事者たちの「偽証」「誤判」は何故罪にならないのか①

西義輝がA氏に鈴木義彦を紹介して以来、鈴木の言動には本当のことが一つもなかった。貸金はもちろん借りる一方で返済が一切なく、鈴木の言い値で買ってあげたピンクダイヤと絵画(一度も持参しなかった)を「売らせてほしい」と言ってピンクダイヤを持ち出し、これも返品も代金支払いもなかった。株取引に至っては、安定的継続的な買い支え資金が必要と一人熱弁を振るって合意書の作成まで行いながら、実際に上がった利益を独り占めして海外に流出させ隠匿している。こんな鈴木の犯罪疑惑を、代理人弁護士たちが報酬目当てで必死に擁護し、裁判官までもが何故かA氏側の主張をほぼ全面的に退けた。鈴木を始めとして青田光市や、平林英昭、長谷川幸雄、杉原正芳の弁護士3人、そして品田幸男裁判長など、当事者たちのあくどさに満ちた偽証、誤判を明らかにする。

鈴木義彦 

A氏の鈴木への貸付

鈴木に対する貸付は、平成9年9月8日から平成10年5月28日までの期間に手形13枚による貸付が16億9600万円、借用書による貸付が3億円と8000万円、超高級時計13本及びピンクダイヤと絵画の販売委託に係る準消費貸借が7億4000万円の合計28億1600万円に上るが、手形による貸付が開始された当初、西が「お願い」と題する書面をA氏に差し入れ、鈴木が担保に供したエフアールの約束手形を金融機関に取り立てに回さぬよう依頼し、返済期日の3日前までに現金で支払う約束をしている。A氏は約束を守り、手形を市中の金融機関に回さなかったが、鈴木は返際の約束を一度も守らず手形の期日が来るたびにジャンプを繰り返した。金利は最後にまとめて計算することになっていた。

平成10年5月28日に鈴木がA氏に電話を入れ、単独でA氏の会社を訪ねた際に、前述のピンクダイヤと絵画の販売委託を受けるための「念書」と8000万円の融資を受けるための借用書を用意していた。A氏はその3日後に警視庁が親和銀行不正融資事件に着手し鈴木を逮捕するとの情報を得ており、それを伝えると非常に驚き、しばらく何か考えていたようだったが、前述の念書と借用書を提示して、ピンクダイヤと絵画については販売委託を受け、8000万円については土下座をして涙を流しながら懇願したため、A氏が貸付に応じると、鈴木は「このご恩は一生忘れません」とまで言った。そして、「西会長には黙っていてください」と口止めをしたのでA氏はその約束を守った。ちなみに鈴木が持参した借用書には返済日を約1週間後の「6月3日」としており、A氏は返済できないことが分かっていても鈴木の心境を考え、鈴木に対しては何も言わなかった。

超高級時計の販売委託

平成10年12月28日、西が「鈴木義彦代理人」と明記した書面をA氏に差し入れて超高級腕時計の販売委託を受けた。同年5月31日に親和銀行不正融資事件で警視庁に逮捕された鈴木が半年後の12月中旬に保釈され、愛人サラの住むマンションに身を寄せる中で朝から酒を浴びるように飲んで自暴自棄になっている鈴木の身を案じた西が、鈴木の再起を期するためにA氏に資金支援を頼み、A氏は上代で総額45億円相当の超高級時計を4億円で販売委託をすることにした。超高級時計はバセロンキャラのペア時計4セット(1セットの上代が10億円)に加え、パティックやピアジェ等の時計5本(上代が各1億円前後)だった。鈴木は、知人の中村某氏の所にバセロンの時計3セットを担保として持ち込み6億円を借り受けたが、A氏には一切報告せずまた代金も納めず返却もしなかった。

ピンクダイヤとボナール作の絵画

平成10年5月頃、鈴木は資金繰りのためにピンクダイヤモンド(1億3000万円相当)とボナールの絵画(1億7000万円相当)を鈴木の言い値の3億円でA氏に買ってもらった。ただし、絵画は「後で持参します」と言っていたため、A氏は見ていない。後日、この絵画が別の債権者の所に担保に入っていた事実が判明しており、鈴木は一度もA氏の所に持参しなかった。

その後の同年5月28日に鈴木がA氏の会社を訪れ、ピンクダイヤと絵画を「売らせてほしい」と言って念書を差し入れピンクダイヤを持ち出したが、その後、売却代金も納めず現品も返却しなかった。

ところが、鈴木は裁判では平成9年10月15日にA氏が3億円を貸し付けた際の借用書と合致させて「3億円は借りておらず、ピンクダイヤと絵画を買うに当たって代金3億円の借用書を書いた」と主張した。鈴木はピンクダイヤと絵画をA氏に売ったのではなく、A氏から買ったと真反対の主張をしたのだ。しかし、期日を確認すれば明らかな通り、3億円の貸付は平成9年10月15日で、ピンクダイヤの持ち出しよりも7ヶ月も前のことだった。しかも借用書の但し書きには「日本アジア投資の投資証券」を担保にすると書いてあるだけで、ピンクダイヤと絵画の1文字もない純然たる金銭貸借であることが明白であるだけでなく、鈴木は平成10年5月28日付けの「念書」まで持参しており、そこにはA氏から販売委託を受けることが記されている。

また、鈴木は裁判で「私から手形を受け取っているにもかかわらず、当時のエフアールの常務の天野に絵画やダイヤの念書を連名で書かせろ」とA氏が念書を要求したと主張して、A氏が「金融のプロ」「高利貸」であると強調したが、A氏と西、天野氏が面談した際に、鈴木の嘘が証明された。A氏と西、鈴木の和解協議でも、鈴木は「A社長には本当に色々お世話になって有難うございます」という天野氏からの伝言を言っていたくらいである。A氏は金融業の免許は所持しているが、本業としているわけではない。鈴木の主張は支離滅裂としか言えない。

宝林株の取得

平成11年5月31日に西が宝林株800万株の買取契約を結んだ。買取資金の3億円はA氏が出したが、鈴木が、受け皿となる外資系投資会社3社(実体のないペーパーカンパニー)を斡旋したフュージョン社の町田修一を契約に立ち会わせて全株券を受け取らせ、また翌日に金融庁へ大量保有報告書を提出するに当たり、常任代理人の杉原正芳弁護士に指示して資金の出所を「紀井義弘」とする虚偽記載をさせるという工作を行った。紀井氏は鈴木から何も聞いておらず、その事実が分かった平成20年3月31日付で杉原弁護士に回答を求めたが、杉原弁護士から一切回答はなかった。

鈴木は裁判では3億円の出所について「受け皿会社が用意した」とか「ファイナンスのため資金は必要なかった」、「ワシントンの河野会長から借りた」、さらに「自己資金である」など主張を三転も四転もさせた。

合意書

*鈴木と西は宝林株を高値で売り抜けようとしたが上手くいかず、同年7月8日に2人がA氏の会社を訪ね、A氏に資金支援を頼んだ。いつもは寡黙な鈴木が一人熱弁を振るいA氏に懇願した結果、A氏が株価を維持するための買い支え資金を出すことを了解したことにより西の提案で「合意書」が作成されることになった。

鈴木は和解協議以降、合意書に基づく株取引は宝林株のみと言っているが、合意書では「今後の株取引の全て」となっている。万一、合意書を解除すると言うのであれば、10億円を払って西に合意書破棄を執拗に迫るようなことをするのではなく、3人での話し合いが必要であったのは当然のことだった。

株取引の利益

平成11年7月30日、西が「宝林株取引の利益」と言ってA氏の会社に15億円を持参した。A氏は「合意書」に基づいて15億円を3等分するものと考えたが、西の説明により自分の取り分を5億円、残る10億円は西と鈴木それぞれのA氏に対する債務の返済金の一部に充てるという手続きをした。また、西の無心に応えて、「鈴木さんと分けなさい」と言って西に1億円を渡した。その翌日、A氏の会社に西と鈴木が訪れた際、15億円の処理と1億円を西に渡した件について、鈴木は西と共に「有難うございました」とA氏に礼を述べた。

鈴木と西は、前述の宝林株取得から金融庁への大量保有報告書の提出、さらに紀井を株取引の専従としてスカウトした等の事実をA氏には一切報告していなかった。特に鈴木が紀井に対して「利益折半」を約束した事実からして、それを西がどのように承知していたのか、「合意書」に上がった利益は一旦A氏に預け、経費や西の会社(東京オークションハウス TAH)への手数料(10%)を差し引いた後に3等分すると明記していたが、鈴木は飽くまで利益の処理を自身が主導するという思惑をひた隠しにしていた。リスクがある場合は金主が70%以上の利益を取るのは普通であり、失敗すれば2人へのそれまでの貸金まで戻らない可能性が高かった。

宝林株取引の利益が160億円にもなったことに目がくらんだのか、鈴木は西に対してA氏を外して2人で利益金を折半するという密約を交わそうと唆し、A氏が保管していた「合意書」を西に破棄させようと躍起になり、結果として総額で10億円もの“報酬”を複数回に分けて紀井から西の運転手の花館聰を経由して西に渡していた。

A氏が西に三人での協議をしようと声をかけても、西は「(鈴木は)海外に出かけていて、しばらく日本には帰って来ない」と言って、話をはぐらかし続けた。

一方で「市場関係者の間ではA氏が100億円以上も利益を上げていると話題になっている」といった話をA氏の耳に入れ資金支援を頼む相場師たちが絶えず、A氏はそのことを西に何度も確認した。すると、西は「そうした話は噂に過ぎません。鈴木は今、1DKの部屋で頑張っているので、長い目で見てやってほしい」等と言って、具体的な経過報告をせずに誤魔化し続けた。全ては鈴木の思惑通りに西が動きA氏に対応したため、A氏は完全にカヤの外に置かれたまま買い支え資金を出し続けていた。

確認書

平成11年9月30日付で、A氏がエフアール宛に出した「確認書」は、鈴木が融資を受けるためにA氏に振り出した手形(13枚)を、同社の「監査の都合上、どうしても一旦お預かりしたい」と言う鈴木の依頼に応え、A氏の温情で手形の原本と共に渡したものだった。そもそも9月30日に金銭の授受は一切なかったため、書面の発行をためらうA氏に西が手形13枚の額面総額の借用書と「(鈴木に交付する)確認書はエフアールの決算対策のために便宜的に作成される」旨の「確認書」を差し入れることでA氏はようやく了解した。

鈴木が親和銀行不正融資事件で逮捕拘留中だった平成10年11月26日、エフアールの天野裕常務に依頼された西が「決算対策のため手形を一旦戻して欲しい」とA氏に懇願してA氏が鈴木から受け取っていた手形13枚を渡し、監査法人の監査終了後にA氏の手元に戻されたので、A氏が了解した経緯があった。

ところが、鈴木はこの「確認書」を悪用して「A氏に対する債務は完済された」という主張を法廷の場に持ち込み、「債務者はエフアールで、被告は関知しない」とまで主張した。仮に債務者がエフアールであれば、天野裕(当時は常務)が対応しなければならなかったが、A氏は鈴木との対立が表面化する直前まで、天野との商取引上の面識は一度もなく、電話でのやり取りさえなかった。

鈴木はA氏への返済金15億円を西に託したと言ったが、鈴木の債務は元本だけでも28億円超あったから、15億円では整合しない。そして、何より西が15億円をA氏の会社に持参したのは同年の7月30日のことで、それも株取引の利益金だった。

平成19年6月27日の天野との面談の際、天野は「平成10年当時にA氏に返済する資金的余裕な無かった(返済した事実はない)」と言い、「(A氏の手元にある)手形は鈴木が個人的に使っているもので、事実上会社の経理には反映していないはずである」と疑問を呈した。

裁判で鈴木が提出した物的証拠は「確認書」のみであり、貸金に係る書証類は全てA氏の手元にあった。エフアールの決算対策のために便宜的に作成された「確認書」で債務を完済したという主張が通る訳はない。しかも確認書の交付に当たっては西が手形13枚の額面総額の借用書と「確認書は便宜的に作成したもので、金銭授受はない」とする確認書をA氏に差し入れていた。

鈴木の虚言

鈴木はA氏の手元にある「借用書」や「預かり書」等の全ての書証類(原本)を「回収漏れ」と言ったが、「鈴木は金を借りる相手方には『すぐに返す』とか『時間がない』と言い訳して出来るだけ書類を渡さず口約束だけをする。仮に書類を出すことがあった時には、相手方から100%回収することに執着するので、回収漏れなど絶対に有り得ない」と多くの関係者は口を揃える。しかも返済は「今ならば知人から借りて返せるが、この先は分からない」と言って、1/10にも1/20にも値切るのが常套手段だった。

鈴木は、裁判では「西義輝に代理人を依頼したことは無い」と否定を繰り返したが、西が代理人や保証人にならなければ、被告の唯一の物的証拠である「確認書」(平成11年9月30日付)も鈴木には交付されなかった。西が代理で手形13枚の額面総額の借用書と鈴木への確認書が便宜上のものであることを記した確認書があって初めて交付されたのは前述の通りだが他にもいくつもの証拠がある。 

西はエフアールの存続に関連して、天野常務に頼まれ、鈴木がA氏に差し入れていた手形(13枚)を決算対策のために一時的に預かりたいとA氏に頼み、A氏は了解して手形を預けた。鈴木は裁判で「そうした事実はない」と否定した。しかし、和解協議の際に「天野より社長(A氏)には本当にお世話になったお礼を伝えて下さい、と言われました」と鈴木自身が述べており、それは西の録音したテープに入っていた。(以下次号)