間違いだらけの一審判決を「再審」で覆す(6)
(4)鈴木義彦の虚偽の証言、陳述を巡る裁判官の対応について
*長谷川幸雄元弁護士と鈴木義彦による質疑応答をまとめた「質問と回答書」に象徴される鈴木の虚偽の証言と陳述、さらにその発覚(虚偽の露呈)を恐れた長谷川及び平林の両弁護士による原告に対する度を越した誹謗中傷について、品田裁判長は故意に判決では触れなかったが、原告側の請求を退ける形で意思表示を見せた。
しかし、原告側の主張を裏付けるべき決定的証拠が不足していると品田裁判長が判断しているとみられる記述が判決の随所にあるが、仮にそうだとしても、数多くの事実関係により主張は裏付けられたはずである。鈴木義彦の証言と陳述に疑念を抱かず、深く検証しないまま判決を下したことが、品田裁判長の最大の誤りである。
これまでに触れて来たとおり、長谷川弁護士は原告が鈴木の貸し付けた金員について、原告には貸し付けるべき資金の出所が不明であり、それゆえに鈴木に対する貸付は原告による捏造(創作)であるとさえ主張することに始まり、実際に起きた出来事と背景事実についてことごとく歪曲して鈴木の正当性を強調した。
*特に長谷川が質問者、鈴木が回答者になる「質問と回答書」(乙59号証)が証拠として提出されたが、これは交渉の場から審理に至るまで継続して鈴木が連発した虚偽の証言と陳述に対して、長谷川がそれまでの審理で鈴木側の主張で露呈した矛盾や変転、弱点等を補強するためにもっともらしく嘘で固めた作り話を構築して鈴木に証言をさせたもので、鈴木も長谷川も人間としてやってはいけないことまで記述した。
*鈴木は法廷での証人尋問で、平成14年6月27日に鈴木と西が作成した借用書について、「西さんに原告への返済金の一部10億円を渡した、とは言っていない」とか「その日は原告と西には会っていない」とまで虚偽証言をした。借用書は鈴木の直筆で書かれており、しかも確定日付まで取っているため、鈴木の証言が虚偽であることが明白である。
*品田裁判長は、高級時計の販売委託、絵画とピンクダイヤの販売委託に係る準消費貸借を、高級時計については上代価格と委託価格の落差を疑い、その決定過程について合理的説明がないとして無効とし、また絵画とピンクダイヤについては「念書」により鈴木に責任はないとしたが、単に西が包括的代理人ではないと断じることで原告と西(鈴木)が合意した契約を無効にすることは法的にも根拠が無く、また鈴木が自身と会社を厳密に使い分けていたことには「合理的な疑いが残る」としていながら、「念書」にもある天野が一度も鈴木に同行せず同席もしていない契約で鈴木に責任が全くないとする判断は一方的である。こうした品田裁判長による原告の主張の重要な部分の排除こそ、まさに公平性と公正性を大きく損なうものである。
*「合意書」と「和解書」を無効とする判断については、現に株取引が実行され、西が平成11年7月30日に宝林株取引の利益として15億円を原告の会社に持参している事実、翌日に鈴木と西が原告の会社に来て15億円の処理について確認し、さらに原告が心遣いで西と鈴木に渡した1億円(それぞれ5000万円)について2人が翌7月31日に原告の会社に来て礼を述べている事実、平成18年10月16日の和解協議において鈴木が「合意書」を破棄するために西に報酬として総額の10億円を渡している事実および少なくとも宝林株取引が「合意書」に基づいて行われた事実を鈴木自身が認めているにもかかわらず、それを排斥してしまって無効とする判断は故意としか考えようがない。
和解協議の場で原告と西が鈴木を強迫したことで、鈴木が「和解書」に署名指印したのは心裡留保に当たるとした判断は、明らかな間違いであって、和解協議の場で脅迫など有り得ず、鈴木がそのように感じたとしても、それは株取引の利益を独占したという事実が紀井の真相暴露によって明らかになり、「合意書」に基づけば利益の取り分さえ失いかねないという危惧を抱いたに過ぎない。品田裁判長の判断は独自の思い込みとしか言いようがなく、そのような思い込みで正当に交わされた「合意書」と「和解書」を無効とする権限はない。
それ故、判決は再検証されなければならない。こんな大きな詐欺横領、脱税等の事件がこのまま放置されれば、今後の日本の法曹界への信頼は全くなくなるとの意見は国内だけでなく海外からも本誌取材班に数多く寄せられている。
昨年6月15日付で鈴木の弁護を担当した平林英昭並びに鈴木が株取引で用意したペーパーカンパニーの常任代理人を務めた杉原正芳の両弁護士に対する懲戒を申立てた件で、2人の弁護士が所属する第一東京弁護士会(一弁)の対応に疑義が生じている。懲戒請求が起きた場合、当該の弁護士会は綱紀委員会で懲戒処分にするかどうかを審議した後、懲戒に当たらないとした場合にはその旨を請求者に通知して終了するが、懲戒に相当するとした場合には懲戒委員会に審議の場が移り、そこで処分の内容が決定する。懲戒には戒告、業務停止、退会命令、除名の4つがある。当該弁護士会が出した懲戒に当たらないという決定に不服がある場合には、請求者は日本弁護士連合会(日弁連)の綱紀委員会への異議申立が可能だが、そこでも懲戒に当たらないという決定が出れば、請求棄却が決定する(日弁連のHPより抜粋)。
一弁の綱紀委員会に疑義が生じているのは、綱紀委員会が平林と杉原から聞き取りをするために、平林と杉原から約半月後に答弁書の提出を受けていながら、それを請求者に一切開示しないまま半年以上も放ったらかしにしていたことだ。当然だが、平林も杉原も請求者の申立を否認しているが、それがどういう理由、根拠に基づいているかを請求者に知らせないまま懲戒にするしないの決定を出すことは明らかに公正さを欠いている。
杉原は宝林株800万株を取得した形を取ったバオサングループ、トップファン・セキュリティーズ、シルバートップ・プロパティーズのそれぞれがペーパーカンパニーであるという認識はなく、依頼は当該会社からあったもので、鈴木を知らないし会ったこともないと答弁書で否認しているが、それは明らかに嘘だ。その理由を以下に挙げる。
*紀井義弘はクレスベール証券に勤務時代に鈴木の担当だった関係にあり、鈴木が宝林株取引を開始するに当たって初めて紀井に協力を仰いだのであって、金融庁への大量保有報告書の提出は宝林株取得の翌日だから当該会社からの依頼という弁明には整合性がない。現に紀井自身が宝林株取得には関わっていない事実、また資金を出したこともない事実を平成20年3月31日付の杉原宛に送った抗議文で述べ、杉原から釈明を求めたが、杉原は一切回答しなかった。
*杉原が依頼を受けたというバオサングループほか2社は鈴木が宝林株の取得で自身の関与を隠し、かつその後の株取引でも自身の関与を隠すために、フュージョン社(町田修一、川端某)を介して香港の会計事務所から買い受けた実体のないペーパーカンパニーであり、当該各社が実態のないペーパーカンパニーである事実は紀井義弘が「陳述書」(平成29年1月17日付)で陳述している。杉原が当該会社から依頼を受けたと言うのであれば、それは鈴木義彦(仲介したフュージョン社を含む)以外には考えられない。
*杉原は鈴木が株取引で用意した100社前後にも及ぶペーパーカンパニーのうち多数の常任代理人を務めている事実を否認しているが、平成18年から同19年にかけてアポロインベストメント(旧エルメ)がステラ・グループに商号を変更し他の複数の株式公開会社を合併及び業務提携して事業拡大を喧伝する中で、同社の役員(監査役?)に就任しているが、同社の見せかけの事業拡大は全て鈴木義彦の差し金であり、鈴木の悪友である青田光市が日常的に同社本社に“通勤”していた事実が判明している。
また平林英昭は答弁書で「被請求者(平林)が、習志野一家の総長とされる人物と一度面談した際、鈴木氏が傷害事件に関係していないと強調したことは認め・・・」と述べているが、そもそも平林が何ゆえに総長と面談して鈴木が傷害事件に関係していないと説明する必要があったのか。請求者側が委任した代理人に対する傷害事件の実行犯は習志野一家に所属する構成員(小倉某と池田某)であったが、実行犯が所属する暴力団のトップであれば、傷害事件の教唆者は承知していたはずであり、わざわざ平林が釈明のために面談をし、事件に関係がないことを強調するというのは本末転倒である。
傷害を負った代理人が担ぎ込まれた病院に、実行犯の所属組織の組長が来て示談を申し入れた際に、教唆者を教えるとの約束をしたことで代理人は示談に応じたが、その後、組長は言を左右にして、遂には教唆者を明かさなかった。そこで代理人が実行犯への指示者(教唆者)を特定しようとする調査を進める過程で、青田光市が同一家No.2の楠野伸雄とは当時でも20年来の付き合いがあった事実を突き止めており、その事実究明の調査を進めてはいたが、だからといって、平林が習志野一家の総長と面談する必然はなく、面談は口止めに他ならないとしか考えようがない。
しかも、平林は総長との面談が平成23年2月15日の一度だけと述べているが、事実は最低でも2回以上の複数回であり、総長自身が面談の事実を認めている。代理人に対する傷害事件は平成20年6月11日に起きているが、何故、3年も後になって総長に会い鈴木の非関与を強調する必要があったのか。平林の答弁には全く整合性がない。
和解虚偽後に鈴木が原告に複数回架電してくる中で、「西の損失分は70億円と聞いているが正確な金額を知りたい」というので、原告が西と紀井に確認すると58億数千万円という損失額が分かり、それを伝えるなど和解協議での支払約束を追認する会話があった上に、1週間後の10月23日に鈴木が単独で原告の会社を訪ねてきて、支払約束に関わる支払方法等について話をするなどさらに追認する意思を明確に見せた。しかも、その後、2通の手紙を送ってきて和解書の支払約束を一旦留保撤回し交渉を継続するとして青田光市と平林英昭を代理人に立てると一方的に通告してきた。
平林からは原告に何度か連絡が入ったが、鈴木と直接話し合いができなければ意味がないと考えた原告はしばらく放置していたが、鈴木が所在を不明にして連絡がつかないため、止むを得ず原告も代理人を立て、同人と共に平林の事務所を訪ねた。
すると、平林は開口一番「社長さん、50億円で手を打ってくれませんか。それであれば、鈴木氏はすぐにも支払うと言っているんで・・・」と打診してきた。しかし原告は和解協議で鈴木が支払いを約束した70億円(50億円+20億円)を減額してきたことに加え、株取引に係る買い支え資金を出しているために平林にはその旨を伝えて断りを入れた。
裁判で、平林は和解協議で原告と西から強迫を受けたことで和解書に署名指印したので心裡留保だと主張したが、それが事実ならば交渉で最初に平林に会った際に平林が前述のような打診をするはずはない。平林は裁判で原告側の主張を悉く否認して、債権そのものが存在しておらず、株取引についても合意書に基づいた取引は実行していないという虚偽の主張を繰り返したが、上記2点以外の事案については本稿の特集(1~6)にある通りであり、以上の2件については、原告側が裁判で主張したにもかかわらず平林はどちらについても一切反論もせず無視をした経緯があるため、取り上げることにした。 (つづく)