間違いだらけの一審判決を「再審」で覆す(5)

(3)「和解書」締結以降について 

①香港事件を巡る対応

西は平成18年10月2日より長男の陽一郎と共に香港に出向いたが、その目的は利益の分配金を受け取ることにあった。西によると、前年に西が鈴木と面談し、西の執行猶予が明けた後に利益分配を受ける約束ができていた。利益分配金は、銀行振り出しの預金小切手で約45億円分を用意して香港で受け渡しを行い、残りについては海外にペーパーカンパニー名義の銀行口座を開設して振込するとの話が、鈴木より香港に出向く直前に西に伝えられた。しかし、西が香港に出向くと、鈴木より電話があり、香港には行けないので代理人のTamという男が対応すると言ってきた。そして西はTamと会って預金小切手を受け取ったが、Tamから勧められたワインを飲んだ直後に意識がなくなり、翌朝、香港警察に発見されて病院に担ぎ込まれた。そしてその後の数日間、生死をさまよった。西が香港警察に発見されたとき、Tamから受け取った預金小切手や関連書類ほか携帯電話も無くなっていた。

西が香港で事件に巻き込まれたという連絡を受けた原告は、10月13日に紀井を経由して鈴木に連絡を取り、原告の会社で西が事件に巻き込まれた事実関係と「合意書」(株取引の実態を含む)について尋ねたが、被告鈴木はいずれも否定して、「合意書」についてはそれに基づいた株取引を実行しておらず、全て西の作り話だとまで言った。西を交えて確認をしなければ結論は出ないということで、3日後の10月16日に再び面談することになった。

鈴木義彦の虚偽の言動

*鈴木は周囲には海外に行っていることにして身を隠し、関わる人間も完全に制限していた。原告が紀井に電話をして「鈴木さんに連絡がつき次第、連絡を戴きたい」と依頼した。すると、時間を置かずに鈴木から電話が入り、日本にいることを原告に伝え、午後4時ころに原告の会社に来た。

紀井によると、「鈴木さんは、誰からの電話も無視していたが、A社長からの電話の時は相当に狼狽していた。部屋の中をうろうろしながら、何度も『どうしよう』と言いながら電話をするのをためらっていた。私が『社長にはお世話になっているので、電話をした方がいいのではないか』と言うと、ようやく社長に連絡を取った」と言う。恐らく、鈴木は自分の裏切り行為がバレ始めたのではないかと気が気ではなかったのだろう。

*原告は、西が鈴木から利益分配を受け取るために香港に出向き、殺されかけたことを問い質したが、鈴木は「全く知らない」とか「西とはこの数年、一度も会っていない」と言って全面的に否定した。

次いで原告が「合意書」の話を持ち出すと、鈴木は「そんなもの、残っているはずがない」と口走った。そこで、書面を鈴木に見せて、そこに書かれた項目について約束を果たすべきだと原告が告げると、鈴木は衝撃を受けた模様で、途端に口数が少なくなった。しかし、それでも鈴木は「合意書」に基づいた株取引など実際には行っておらず、「仮に社長が西に株取引で金を出したとしても、それは私には何の関係もないことです。西の話は全部作り話です」と言った。「合意書」を作成するに当たって、「株取引の資金を出して戴かないと、今までの借金の返済ができない」と言って原告を口説いたのは当の鈴木自身だったにもかかわらず、鈴木は必死に否定した。

②10月16日の協議での対応 

品田裁判長の誤った事実認定と誤判

一審判決「無効な株取扱合意に基づく債務、すなわち法的には発生していない債務に関する争いを解決するものとして、合計50億円の和解書に署名指印し、合計50億円の和解契約を締結したものである。したがって、合計50億円の和解契約における被告の意思表示は、表示意思に対応する内心的効果意思を欠くものであり、かつ、被告自身もそのことを認識しながら敢えてしたものというべきであるから、心裡留保(民法93条)に該当する」(判決文28P12L~ )

「20億円の和解契約について、原告が主張する事実に沿う客観的な証拠はない。     また、株取扱合意は無効であり、平成18年10月16日時点において、15億円の準消費貸借契約に基づく被告の債務は存在していないところ、そのほかに、被告が原告に対して2年以内に20億円を支払うこととする原因たり得る事実は、本件全証拠によっても認められない。以上によれば、原告及び被告が20億円の和解契約を締結したという事実は認められない」(判決文29P2L~)

出来事及び経緯の事実

品田裁判長は三者協議の場を、原告と西による鈴木に対する強迫の現場であったと認定したが、そのような事実は全くない。鈴木には懐に入れた金を一円も払いたくないという本音があり、そのために原告を裏切り、西を懐柔して利用し、最後には切り捨てて自殺に追い込んだ。それが真実である。三者協議の場で原告と西が鈴木に突き付けたのは株取引で得た470億円の利益を鈴木が独り占めして海外に隠匿している事実の一端であり、それに対して鈴木がギリギリで認めた範囲で和解書が作成されたものである。品田裁判長は飽くまで合意書と和解書の無効に拘ったあまり、それを否定する証言や証拠をすべて退けてしまった。

当日の協議は最初から西と鈴木がお互いに喧嘩ごしで罵り合い、協議どころではなかった。だが、西が紀井に会い、鈴木の指示で宝林以外の銘柄でもそれぞれ10億円単位の利益を出した事実について西に説明したとの話を聞いた原告は、鈴木に真実を語って欲しいと言い、その真実に沿って然るべき対応をするべきだと主張した。

しかしそれでも、鈴木は頑として「合意書」に基づいた株取引を行った事実を認めなかった。「合意書」には「今後の全ての株取引」と明記されているから、鈴木が単独で株投資を行ったとしても、全て「合意書」に制約されることになり、鈴木には原告や西に説明する義務があった。

しかし、鈴木は頑なに否定し、「書面どころか口頭での話も一度もないのに、『合意書』に基づいた株取引などあるはずがない」と鈴木は強調したが、西が「利益が出ている事実を証言している者がいる」と詰め寄ると、鈴木は激高して、「それは誰だ。そんな人間がいるはずがない」と言って強く抵抗した。鈴木の抵抗が強かったためか、原告と西は証言者が紀井であることを明かすと、鈴木は驚いて、「そんな筈はない」と言いながら「その録音テープを聞かせろ」と言い、その場で紀井に電話を入れた。すると紀井も西に会い株取引で利益が出た事実を語ったことだけを認めた。

その結果、鈴木はようやく宝林株取得の資金は原告が出したことを認め、さらに宝林株の取引が「合意書」に基づいたものであったことも認めたが、「ただ、その清算は終わっているでしょう」と言ったのみで、いつ、いくらをどのように清算したのか、具体的な話はしなかった。そして、鈴木が認めたのはそこまでだった。

鈴木が「社長には、これまで大変お世話になったので、西の話は受け入れられないが、この問題を解決するために50億円を払います」と言った。つまり、原告と西にそれぞれ25億円ずつを払うと鈴木は言ったのである。ところが、利益は470億円にも上るという事実を知る西が反発して「そんなもんじゃないだろう!?」と、再び喧嘩ごしになった。罵り合いが再燃しそうになり、原告がとりなした。「鈴木さんが言うのだから、先ずはそれでいいじゃないか」と説得された西は、予め用意しておいた「和解書」を鈴木の前に提示した。書面の内容を鈴木は何度も読み返し、「文言で気になるところがあれば修正しますよ」と言う原告に「いえ、問題ありません」と言って真っ先に自筆で空欄となっていた金額欄に50億円と書き、併せて住所と氏名を書き記し指印した。そして西も最後に指印したが、「あくまでも利益が60億円を前提にしたものだからな」と釘を刺した。すると、鈴木が原告に対し「社長には大変お世話になったので、2年以内にあと20億円を払います」と申し出た。西がすかさず「それも、この『和解書』に書け」と迫り、鈴木が「いや、オマエの言い方が気に入らないので書かない」と反発し、西と鈴木のいがみ合いは収まらなかったが、「社長、信用してください。私の男気を見てください」と言う鈴木の言葉を原告は信用することにして協議は終了した。

鈴木義彦の虚偽の言動

〇鈴木は原告の会社を出た直後に紀井に電話を入れ、「100億以内で収まり助かった。しかし、香港の口座はバレていないだろうか」と話した。鈴木の言う「香港の口座」とは、利益を香港にあるダミー会社に一旦は送金してプールしていたから、その実態が分かってしまうと、鈴木の嘘がたちまち発覚してしまうということを指していた。

③和解後の鈴木義彦の対応 

品田裁判長の誤った時事認定と誤判

品田裁判長は、利岡襲撃事件について一切触れていない。しかし、鈴木の周辺関係者が10人前後も鈴木義彦の異常な金銭欲のために犠牲になり、自殺や不審死、あるいは行方不明に追い込まれたといった状況を踏まえれば、襲撃事件を無視することはできなかったはずである。しかも、事件の実行犯が所属する習志野一家のNo.2である楠野伸雄と青田には当時で20年来の交流がり、事件直後に青田が口止めをしただけでなく平林英昭までが同一家総長と2回以上面談している事実から、「和解書」の支払約束を反故にした後の交渉と何らかの関連性があるとして検証し、その判断を判決に記載すべきである。しかし品田裁判長は、合意書と和解書を強引に無効としたために、故意に無視をして判決に触れなかったとしか考えようがない。

出来事及び経緯の事実

10月16日の協議の後、鈴木は頻繁に原告に電話を架け、「西の買い支え損は約70億と言っていたが、正確にはいくらですか?」と尋ね、原告が西と紀井に確認して58億数千万円と応えると、鈴木は「それを全体の利益より引いて3等分しないといけませんね」と、そこまで「合意書」の有効性を追認した。また1週間後の10月23日に鈴木が三たび原告の事務所を訪れ「和解書」で約束した原告と西への支払約束について、より具体的な説明をした。

「(50億円については)10月から毎月10億円ずつを来年2月までに、20億円については2年以内に…、出来るだけ早く」と鈴木は言いつつ、海外から多額の現金を日本に持ち込むには様々なハードルがあるので、支払いは分割になり時間もかかるが、何とか努力して遅くとも12月には実行すると言った。

ところが、それから間もなくして、原告宛に鈴木からの手紙が郵送され、「和解書」の件について「どうにも納得ができない」「原告には大変な恩義があるので、それには報いたいが、どうしても西の言動が許せない」などという文言を書き連ねた上で、支払約束についてはもう少し考えさせてほしいというものだった。そして、そのために鈴木自身は原告との直接の交渉に応じず、代理人として弁護士の平林英昭と友人の青田光市の二人を立てるので、代理人と交渉をして欲しい、という極めて無責任なものだった。

原告は、鈴木の手紙に「直接話をするべき」と呼びかける返書を送ったが、12月に入って改めて鈴木から手紙が送られてきて、「代理人と話をして欲しい」ということを繰り返し、加えて西や紀井が国税当局への告発や鈴木の関係者へ話をしたことで、原告、西、鈴木による三者協議はもはや意味はない、などと責任を転嫁するような理屈を述べていた。

鈴木義彦の虚偽の言動

*鈴木側の交渉の代理人に就いた平林英昭弁護士から原告に対して何度も面会の要請をする連絡があったが、原告は代理人と会っても意味はないと考え放置していた。しかし、鈴木の所在が不明で連絡が取れないまま数カ月が過ぎたために、原告は代理人(利岡正章)を同行させて平林の事務所を訪ねた。

平林は原告と初対面で「社長さん、50億円で何とか手を打って頂けませんか? 50億円なら、鈴木もすぐに支払うと言っているんで……」と言ったが、原告は即座にその申し出を断った。すると、平林は態度を変え、原告には追って連絡をすると言って早々に面談を切り上げてしまった。

*その後の交渉は書面によるやり取りとなったが、平林と青田による主張の内容は全てが嘘で言いがかりに終始しており、問題を解決するどころか逆に紛糾させるだけだった。青田は「原告と西に脅かされて怖くなり、和解書に署名しなければ、その場を切り抜けることができなかった」と言い出し、また平林も原告と西から“強迫”を受けて「心裡留保」というありもしない状況を作り出して「和解書」の無効を主張した。平林は「合意書」を指して「こんな紙ぺら一枚で」と、弁護士にはあるまじき言葉を吐いた。

平林が「和解書」を無効とする根拠に挙げたのは、事務所のエレベーターを止められ鈴木が監禁状態に置かれたこと、原告の会社には元警察のOBが別室にいて無言の圧力をかけられたこと(西の顧問であったが、階数が違う別室にいたので、鈴木は全く知らないことであった)、西が香港で襲われて殺されかけた事件の容疑者にされそうになったこと、さらに紀井の裏切りによりショックを受け動揺したこと、などであったが、原告はわざわざエレベーターのメンテナンス会社へ問い合わせまで行い、「エレベーターを止めることは出来ない」という回答書面を鈴木側に送付して、鈴木が監禁状態に置かれたというのは明らかな言いがかりであると反論した。青田と平林が強調する強迫についても、当日の協議の模様を録音したテープが存在しており、それを聞けばどこにも鈴木が強迫された事実は無い。鈴木と西が顔を合わせた直後から罵り合を始めた西と鈴木に原告は「下の喫茶店に行って、話をまとめてきなさい」と言ったくらいだ。青田は紀井に対して「西は香港に入っていない」と平然とウソをついたが、香港での殺人未遂事件については、西のパスポート、香港警察、病院、領事原告の書類が揃っていて、西が香港で殺されかけた事件があったことは間違いはない。そして、「鈴木より分配金の受け取りで香港を指定された」という証言がある以上、原因の究明を行うのは当然のことだ。もっとも、西が香港の事件に触れたのはほんのわずかで、話の大半は「原点(合意書)に戻れ」と強調していた。

*平成20年6月11日午後3時頃、利岡正章が二人組の男に襲撃される事件が起きた。利岡が住んでいた静岡県伊東市内のパチンコ店の駐車場で待ち伏せしていた二人の男たちが、突然、金属バットのようなものや素手で殴る蹴るの暴行を利岡に加えた。救急搬送された伊東市民病院の医師の診断によると、鼻骨骨折、腕の粉砕骨折、全身打撲等の瀕死の重症で、全治3か月とのことだった。

利岡によると、襲撃犯には明らかに殺意があったという。ただし不幸中の幸いで、利岡は格闘技の経験があったようで、咄嗟に頭部をガードしたために一命を取り留めた。同日付の報道によると、伊東署が傷害の容疑で逮捕した二人組は、暴力団稲川会習志野一家の幹部と千葉県船橋市在住の無職の男だったという。

利岡は鈴木(青田)が絡んでいると確信し、退院後に独自のルートで調べていたところ、青田が習志野一家の幹部(NO.2の楠野伸雄)と昵懇で、複数の幹部たちに多額の金を融通していることや、事件後、青田が幹部に対して「自分との関係(当時で約20年の付き合い)は一切ないということにして欲しい」と釘を刺した事実を前述の幹部自身から確認したという。さらに青田は事件前後に彼らを海外旅行に連れて行ったり、車を買い与えていることが判明した。この金は全て鈴木より出ていたことは容易に想像できる。また、鈴木の代理人である平林が習志野一家の総長と少なくとも2回以上面談していた事実も判明している。原告側から指摘を受けた平林は「私は鈴木氏の代理人で、青田氏は関係ない」と意味不明な回答をするだけで、総長と面談した事実には答えなかったが、青田が楠野に頼んだことは稲川会の他の組織の幹部数人より聞いている。 (以下次号)