鈴木義彦に読者は怒り爆発(48)

〔ネットニュースサイトに「世直一揆メモ」というサイトがある。初めて見たサイトで、今まで掲載された記事については詳しく知らない。その点は了承いただきたいが、2019年11月6日~2019年11月13日に掲載された「司法改革、法務国家の構築が世直しの鍵である」と題して裁判所や法務省の腐敗を取り上げているようで非常に興味深く読ませてもらった。記事の中に品田裁判長を称賛している記事があったが、これには驚かされたと同時に、この記事は品田幸男裁判官の実態を取材していないのではないかと大きな不信感を持った。何故ならば平成27年7月8日(提訴)から平成30年6月11日(判決、敗訴、控訴)までの約3年間のうち、品田裁判官は平成29年8月より裁判長とした裁判を担当した。この裁判は当初は28億6000万円の「貸金返還請求訴訟」であり、その後、株取引の利益分配請求を加えている。この裁判は原告側に多くの証拠書類があり、陳述書も提出されていた。被告側は1件の物的証拠書類と弁明書のみであった。しかも、この1件の物的証拠書類も被告が原告に頼み込んで便宜的に書いてもらったものを後に悪用したものだった。それを証明する2つの明らかな証拠もある。その作業を担当した証人もいたが、残念ながら裁判の前に被告に追い詰められて自殺してしまった。勿論、証拠書類の多少で裁判が決まるとは思っていないが、品田裁判長他2名の裁判官は、原告側の訴状や陳述書の背景を理解せず、充分な検証もしていないと思われる事が何回もあった。原告にとっては、品田裁判官と被告との癒着があったのではないか、裁判所内で上司から何らかの指示があったのではないかと思わざるを得ない程一方的な判決であった。判決文も被告側の陳述書を「コピー&トレース」したのではないかとさえ思っている。この裁判の経緯は誰が見ても不自然で、不公平極まりない内容だった。品田裁判官が無能なのか、それとも所詮「ヒラメ裁判官」なのか、「世直一揆メモ」の記事をそのまま引用させてもらうと、品田裁判官評を「裁判所の秘蔵っ子でホープと言われている」と評価して「プライドばかり高く、能力の低い裁判官にはとてもできるものではない」「この事件だけでもバランスが認められる。いずれ裁判所の中で頭角を現すだろう」と持ち上げ、さらに「裁判所の次世代を背負うホープ」とか「能力と人格のバランスが取れている珍しい裁判官」等々、称賛の嵐である。余計なことかもしれないが、萩原秀紀裁判官に係る国家賠償請求訴訟での訴訟手続きに関しても、これが優秀でバランス感覚が取れた裁判官の判断とは思えない。明らかに裁判所の意向や上司の意向に影響されて早期終結を図っている。「世直一揆メモ」がこの様な裁判官を高評価することは、同サイトのスローガンとする「司法改革、法務国家の構築が世直しの鍵である」とは相反するのではないのか。品田裁判官のような人間が近未来の裁判所を背負うならば「司法改革や世直し」は有り得ない。誤審と冤罪が無くならないどころか増える世の中になる。「貸金返還請求訴訟」の裁判について原告は、当然判決に納得できずに控訴したが、2審の高裁(野山宏裁判長)では殆ど審議されず、ほぼ判決文の誤字脱字を修正するだけで1審判決を丸呑みして、約5カ月で終了し、結果は1審を支持して控訴棄却とした(平成30年11月28日)。原告はこの裁判の内容を最高裁長官宛に手紙を書いて長官の考えを確認中である。そして再審申立の準備も進めている。蛇足だが、被告代理人弁護士数名の懲戒申立も大きな影響を及ぼすだろう。「世直一揆メモ」は何と答えるか。意見を伺いたいものだ〕(取材関係者より)

〔世の中には数々の偉人や、宗教が説いた言葉が無数にある。「人を裏切る事は、自分の人生も終わりになる覚悟が必要だ」と書いている本があったが、言うのは簡単だ。どんな名言も間違った事は言っていない。ただ万人に通用するとは限らない。綺麗ごとでは世の中渡れない。私などは「少々の悪事を犯しても人生楽しく優雅に暮らして死ぬときは潔く死にたい」と自分勝手な事を考えていたが、それも無理だと解った。後悔先に立たずとは名言だと思う。しかし、それも綺麗ごとだ。鈴木は、他人が何と言おうが、汚れていようが、金を持てば何でも解決できると思っているのだと思う。確かに親族、家族が居なければそれもいいかもしれない。しかし、親兄弟、妻、子供、孫は唯一自分の味方だということに気付いて、その唯一の味方を裏切る事だけはしてはいけない。それが今のお前にとって何を意味するかを考える事だ〕

〔鈴木が人としてのルールを守れば周囲の人間を幸せに出来たはずだ。彼は馬鹿ではない。知力と胆力を持ち合わせていたような気がする。A氏も初めて会った時に直感的にそれを感じたのではないだろうか。バブル景気の日本は始まりから終りまで誰でもチャンスを掴める可能性がある時期だった。鈴木も成功する可能性を持った1人だったかもしれない。しかし、考え方に根本的な間違いがあった。それは、「上辺の口先だけの言動」を優先してしまった。何事にも「心」がなかったのではないか。周りはイエスマンだけで真実のパートナーがいなかった。所謂、「一匹狼の虚業家」であったという事だ。儲ける方法は知っていたが協力者がいなかった。私欲を優先して他人を騙すことに磨きをかけた。最悪のストーリーの中で悪戦苦闘したがそれは自業自得であった。その窮地を切り抜けられたのは西とA氏のお陰だった。この「縁」を大事にせず、感謝の「心」を持てなかった。空腹の獣が目の前に差し出された餌に貪りつき遮二無二暴走してしまった。「衣食住が足りて礼節を知る」という諺がある。人並みの生活ができるようになったら恩人に礼を尽くすべきだ。それを、しないままにしていたら最低の人間として地獄に堕ちるべきだ〕

〔日本ではいくら金を持っていれば「金持ち」と言うのだろうか。鈴木は1000億円以上の資産があるという。全てが現金でないにしても超のつく高級マンションに住んで、数台の高級車を乗り替えて、毎日、高級と言われるレストランや料亭で食事をして、最高級の酒を飲んで最高級ブランドの衣服を身に着け、高級ブランドの装飾品を身に着けていても減らない程の資産を持っている。それも他人を騙して得た資産だ。どんな気分なのだろうか。しかし、金と人格は別物だ。いくら大金を積んでもいい人間関係は作れないし、持って生まれた品性は変わらない。鈴木は人として一番軽蔑され、卑劣と言われる裏切りを犯して、そうまでして金に執着する理由が何処にあるのか、金はあるに越したことは無いが、使いきれない程に持っていても仕方が無いものではないのか。それは貧乏人で頭の悪い人間の言うことかもしれないが、鈴木はその財力に取りつかれ、思考能力が無くなっているのではないか。1000億円以上と言われる資産は後ろ指の刺される金であって表立って使えないはずだ。お金は札束を見せびらかしたりせず、上品に使う事が大事で、それが出来る男こそが一流なのだと思う。一流の男になるには1000億円もの資産は必要ない〕

〔刑事事件と違って民事事件のような権利関係に関する紛争の場合には白黒が曖昧のままに判決が言い渡される恐れがあるのではないか。今回の鈴木の裁判でそんな事を思った。証拠も主張も裁判官のサジ加減でどうにでも解釈されてしまい、その判断を審議する制度はない。これは非常に危険と言える。裁判官の人間性や資質によって同じ事件の判決が180度違うことも有り得るという事だ。3人の裁判官がいても結局は裁判長の権限が大きい事は言うまでもなく、真実とは程遠い捻じ曲げられた判決を仰ぐことになるのだから全く恐ろしい話だ〕

〔和解書を作成する時、その時点で470億円もの利益を上げていた事を西は承知していたらしいが、何故その事実をA氏、というより和解協議の場で明らかにしなかったのだろうか。鈴木は利益をA氏と西の前で最初は50億円と言い、その後60億円と訂正した。裏で鈴木と西の間でどんな事情があったというのか。実際の利益金額を隠し通した西でさえ、鈴木から約束の報酬は受け取っていないではないか。それにしても和解協議の場においてもA氏に本当の事を言わず、しかも実際の利益の約1/8の金額を言って騙すとは、鈴木という人間は悪質極まりない。西がこの時事実を話さなかった事が不可解だ〕

〔鈴木は昔暴走族だったが、富士流通を創業した頃、会社の幹部を全て暴走族時代の仲間で固めていたという。そして鈴木が絶対的立場にあったとの事だが何とも信じ難い。薄情で度胸もなく何より配下の人間を思い遣る優しさなど欠片もない人間がそのような重要な立場にいたとすれば、おそらく周りの人間は弱みを握られていた等、何かしら無理矢理に身を置くしかなかったのではないか。同じ暴走族だった天野氏に鈴木は怪しい資金繰りを指示していたらしいが、何か問題があっても部下を庇うどころか部下のせいにするような人間だった。鈴木の周辺で不可解な事件が取りざたされているが、こんなに多くの事件が身近で起こっているのに、鈴木の口から周りを心配するような様子は一切みられないのは何故か。自分が潔白ならば、自分の身にも起こるのではないかと警戒する様子や側近を心配する様子が伝わってきても良さそうなものだ〕

〔鈴木はいざとなると、保身の為に人のせいにして言い逃れをする非常識で品性下劣な人間だ。そして嘘をつき人を騙す。裁判での主張だけでなく日常においても虚言癖があって嘘ばかりついているのだろう。しかし鈴木の嘘は計画的で悪質であるから、嘘をつくことが癖になっている「虚言癖」とは性質が違うのではないか。そして意図的に責任逃れや責任転嫁をして逃げるという最も嫌われる人間性の持ち主だとも思う。出来る事なら「いや、鈴木はそんな人物ではない」と鈴木を擁護する書き込みを1件でも見てみたいと思うが全く目にしない。もし投稿があったとしたら本人だろう〕

〔今回の事件について、全くと言っていい程裁判官は検証を怠っていると思う。鈴木の主張に矛盾点が多い事にも疑念を持たず、裁判官が作り上げた判決のシナリオを優先したとしか思えない。鈴木が和解書作成後にA氏に送った手紙には「納得のいかない点に協力してもらい、和解金、支払い方法等の再考をお願いします」と書かれているという。それにもかかわらず裁判官が「合意書に基づく株取引はなかった」と判断してしまった事が大きな過ちであることは明白なのだ。鈴木がいくら裁判になってから否定するような、とんでもない陳述書や主張をしても全て言い訳であり、鈴木本人が書いた手紙は絶対的な証拠である。つまり裁判官は証拠と主張の照らし合わせと検証をしていないのだ。素人でも分かるこの重大な疑問を裁判官はどう説明するのか〕

〔世の中に「卑怯者」と言われる人間は最も忌み嫌われる人間であると思う。卑怯な人間というのはコミュニケーション能力が高く、相手を信用させ相手の心をコントロール出来るのだそうだ。詐欺師には相手の心をガッチリ掴める話術があるがそれとよく似ている。正に鈴木義彦の事だ。人を騙し、嘘をつき、保身に走り、責任転嫁して逃げるという悪質さでは、鈴木は異常に飛び抜けた卑怯者だ。この男には自尊心や羞恥心というものがないのだろうか。卑怯な人間とは関わりたくないというのが普通の人達の感情である〕

〔鈴木は和解協議の後、A氏の会社を出ると直ぐに紀井氏に電話して「100億円以内で済んでよかった。香港の口座はバレていないかな」と決定的な裏切りの発言をしている。しかし和解協議の流れややり取りの事実は裁判では認められずに、どういう訳か長谷川が主張した曖昧な「心裡留保」「強迫」が認められてしまった。この場合「心裡留保」が通るのは鈴木が全く株取引に関係なく、利益も上げず、全てが架空の話であったと証明出来た時だけであるし、「強迫」にしても、鈴木がそのような状況下にあった現場を見た人間がいてそれを証明出来なければならなかった筈だ。しかしそんな事は有り得ず、何の証拠もない上にこじ付けでしかない主張が一方的に認められるのは信じられない事だ。ここまで嘘が通り、株の利益に対する検証が実行されない状態で下された判決を「確定判決」とするならば既に司法は崩壊している。再審で不服申し立てを行い再び争うしかない〕

〔裁判では当事者である被告などには偽証罪が適用されないらしいが、これはおかしな法律だと思う。虚偽の陳述なのか記憶違いや勘違いなのかを見極めるのは非常に困難だからだ。鈴木や長谷川のようにこの法律を悪用し、平然と虚偽の主張や陳述をする者が当然いる。しかし、余りにも酷い偽証の場合にはペナルティを課せられるそうだが、鈴木と長谷川は何のお咎めもなく結審を迎えてしまった。細かく検証しなかった裁判官の怠慢が大誤判に繋がったが、A氏代理人も追及するべきだった〕(以下次号)