間違いだらけの一審判決を「再審」で覆す(4)

③「確認書」(平成11年9月30日付)についての対応

一審判決「前提事実、及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められ」として、その(6)で「被告は、平成11年7月から9月までの間に、原告に対し、一度に15億円を支払った」という認定事実を挙げているが、この15億円は株取引の利益の一部であり、西と鈴木が実行した株取引の結果生じたものであるので、「被告は」とする表記は間違いである。

原告は平成11年9月30日付けでエフアール(実際には鈴木義彦)に対して「債権債務はない」とする「確認書」を交付した。鈴木は原告から融資を受ける際に手形か借用書を預けていたが、決算対策上は処理しておかねばならず、前年の平成10年9月にも手形の原本を西経由で天野常務に渡して、監査法人の監査終了後に問題なく戻ってきたため、同様に協力したものだった。それまで金利を含めた返済が一切ない鈴木に対して確認書を出すのを原告は躊躇ったが、西が手形13枚の額面総額の借用書を書き、さらに鈴木に交付する確認書は飽くまで便宜的なものであるとする確認書を書いて原告に差し入れたことで原告はようやく了解した。確認書を持ち帰り鈴木に渡した際、西が原告に電話をして鈴木が代わり、「この度は無理なお願いを聞いて戴いて、本当に有難うございました」と礼を述べた。 

鈴木義彦の虚偽の言動

鈴木は手形の原本が手元にあることと確認書を盾にして「平成11年9月30日に15億円を支払い、完済した」と主張した。しかし、元金が28億円以上で何故15億円で完済と言えるのか。しかも、鈴木の言う15億円とは、西が同年の7月30日に「株取引の利益」と言って持参した15億円を指しており、9月30日には金銭の授受は一切なかった。エフアールの代表者だった天野裕は、「前年の平成10年9月にも決算対策のために西さん経由で手形を預けて頂き、終了後に再び西さん経由で社長(原告)にお返しした。会社には精算するべき資金はなく、平成11年当時の確認書も便宜上のものと認識している」と鈴木の主張を否定した。 

④志村化工株取引で逮捕された西義輝への対応

品田裁判長の誤った事実認定と誤判

審理では志村化工株の相場操縦容疑で西義輝、竹内一美が東京地検特捜部に逮捕、起訴され、有罪判決を受けた事実関係についてほとんど検証されていない。合意書に基づいた株取引が実行された事実を検証するためには、この事件は不可欠であったはずだ。それ故、品田裁判長は鈴木が株取引を行って利益を出していたとしても、合意書に基づいた株取引とは関係ないと強引な認定に基づき判決した。その判断のもとに紀井の証言、陳述も軽視して「紀井は被告の指示に基づいて株式を売り、売買代金を保管するという立場に過ぎず、株取扱いに必要な資金を誰から取得し、どのようなスキームでこれを運用し、株取扱いにより得た利益を誰にどのように分配すべきかといった、株取扱いによる利殖活動の全体像を把握できる立場になかったのである」(判決文23P10L)と誤った判断をした。紀井の証言は鈴木と西が実行した株取引で利益が上がったという事実の指摘であり、鈴木と西の実行した株取引が「合意書」に基づいたものであった事実は「合意書」の存在そのものが裏付けている。 

品田裁判長が西を鈴木の包括代理人と認めず、また西が死亡したことで自身の証言と言えるものが記録しかないにもかかわらず、それらの証拠を排斥したのは明らかに故意としか考えようがない。

出来事及び経緯の事実

西は平成14年2月27日に志村化工株の相場操縦容疑で東京地検特捜部に逮捕された。その際、鈴木の側近であった武内一美(ジャパンクリサイスファンド)も逮捕され、鈴木の関係先が家宅捜索されていた。取り調べで、検事が執拗に鈴木の関与を追及しても、西が頑なに否認し続けたからこそ、鈴木は首の皮一枚で助かったようなものだった。

「西会長が仮に実刑となっても、出所後は西会長の言うことは何でも聞くので、私(鈴木義彦)のことは一切秘密にして下さい」と鈴木は逮捕直前の西に土下座をして必死に頼んだ。鈴木は、自分の身の安全ばかりを考えていたのだった。 

鈴木義彦の虚偽の言動

*西の拘留中や保釈後はともかく、西が平成15年7月30日に懲役2年、執行猶予3年の判決を言い渡された後、鈴木の西に対する対応が冷淡になり、相互に連絡を取り合うことさえ避け続けた。

*同年の9月、鈴木から西に電話が入り「一度ゆっくり話がしたい」と言うので、西と鈴木は西麻布の喫茶店で会った。

「その時、彼は私のことを『西さん』と呼ぶようになっていた。今まで私のことを『西会長』としか呼ばなかった鈴木が、裁判が終わった直後に態度を変えたことに対して私は非常に驚いたが、『西さんへの毎月の生活費の支払いをそろそろ止めたい』と言われたことだった。私は、その時鈴木にたった一つの事だけを言った。『執行猶予が切れた暁には、二人で交わした(利益分配の)契約を実行していただきたい』。私はその時約300億円以上の利益が積み上がっていることを伝えられており、(略)驚くことに鈴木が私に言った言葉は『原告は俺には関係ないだろう。西さんが取り分をどうしようと勝手だ、ということだった」(西義輝が残したレポートより)

⑤15億円の借用書作成を巡る対応 

品田裁判長の誤った事実認定と誤判

平成14年12月24日に鈴木が紀井を同行して原告の所へ10億円を持参した事実について、品田幸男裁判長は西が持参した15億円に対する認定と同様に合意書無効を理由に返済金と認定したが、同年の6月27日に鈴木が直筆で書いた15億円の借用書の存在について、借用書の作成経緯(金利を含め40億円超の貸金を25億円にしたのは、株取引の利益が大きく出るとの西の話によるもので、さらに西が原告への返済金の一部10億円を受け取っていたことを認めた等)をしっかりと検証しないまま文字通り金銭授受があった事実から返済金としたもので、合意書と和解書を無効にするとの誤った事実認定から導かれた誤判である。 

出来事及び経緯の事実

西が志村化工株の事件で逮捕、起訴され、保釈された直後の平成14年6月、原告が貸金と株の話を西にしたところ、「株取引の利益がこれから大きくなるので(鈴木の債務を)圧縮して欲しい」と西が原告に話した。鈴木への貸付は金利年15%で計算すれば40億円超であるが、遅延損害金年30%で計算すれば60億円を超えていた。原告は了解して鈴木への貸付金を25億円に減額した。そして平成14年6月27日、鈴木と西が原告の会社を訪ねた際に原告が確認を進めると、鈴木が唐突に「原告への返済で西さんに10億円を渡しました」と言い出した。驚いた原告が同席していた西に確かめたところ、西が渋々ながら授受を認めたために、鈴木は25億円から10億円を差し引いた15億円の借用書を書き、西も10億円の借用書を書いた。原告は鈴木に対し「私に対する返済金であれば、なぜ直接来て話をしなったのか。もしそれができない時でも、なぜ西に私への返済金の一部として渡したということを、最低電話ででも言わなかったのか」と言うと、鈴木は「済みませんでした」と言って謝罪し俯いたまましばらく顔を上げなかった。

鈴木義彦の虚偽の言動

西が鈴木から受け取った10億円は原告への返済金などではなく、「合意書」の破棄を西に執拗に迫り、その結果、複数回にわたって西と鈴木の間で報酬名目の金銭の授受が発生したものであった。実際は紀井が西の運転手の花館聰に複数回で渡している。平成18年10月16日の三者協議の場で、西が鈴木に「これくらいは認めろ」と詰め寄り、鈴木も「忘れた」などと言い訳していたが、最後には言い訳の仕様も無く渋々認めた。原告から受けた買い支え資金で莫大な利益を上げていたにもかかわらず、それを原告には隠し続け独り占めした、という鈴木の裏切りが決定的になった場面だった。(以下次号)