間違いだらけの一審判決を「再審」で覆す(3)

(2)「合意書」締結並びに株取引を巡る経緯について 

①宝林株取得にかかる経緯での対応

平成11年2月から3月にかけて、勧業角丸証券(現みずほインベスターズ証券)の課長、平池某が西を訪ねてきて、宝林(現サハダイヤモンド)の筆頭株主が持ち株を売りたがっている、との情報を持ち込んできた。そこで西と平池某は1か月以上をかけて宝林の経営状況を調査、同社の幹部に会うなどして同社が倒産する危険性は無いとの確証を得た結果、筆頭株主が保有する800万株全株を買い取る決断をした。

西は筆頭株主側との交渉を進める中で原告の会社を訪ね、株買い取りのための3億円の借り入れを原告にお願いした。原告は西の懇願に応じ5月21日に5000万円、5月31日に2億5000万円を用意した。

西は鈴木が株の売買交渉に関係していることを秘匿した。それが発覚すると、エフアールが宝石金属を扱う会社であることを承知している筆頭株主側が交渉を中止する可能性があったからで、結果、西一人が売買交渉に臨み、売買契約にまで持ち込む結果をもたらした。

鈴木義彦の虚偽の言動

鈴木は、西が原告から宝林株買取資金3億円を借り入れる約束を得たことで、それまでに付き合いのあったフュージョンアセット社と謀り、宝林株の受け皿となるペーパーカンパニー3社をフュージョン社に用意させた。また、宝林株を売って利益を出すために以前から付き合いのあった証券マンの紀井に声をかけ「利益折半」を約束したことから紀井は話に乗り、鈴木の下で専従をすることになった。売買契約の際に宝林株の現株を受け取ることについてもフュージョン社の担当者(町田修一、川端某)にさせることを西に了解させた。さらに、金融庁への大量保有報告書を作成提出するに当たり、杉原正芳弁護士をペーパーカンパニー3社の常任代理人に就かせたが、杉原弁護士には宝林株の取得資金について原告から3億円を借り入れた事実を隠し「紀井義弘からの借り入れ」と虚偽の文言を書き入れるよう指示した。これにより、鈴木は宝林株を完全に手中に収める形となった。宝林株を売って利益が出ても、その収支の実態が西に知られなければ、利益分配で鈴木の好き放題の差配ができる状態にもなっていたのである。なお、鈴木は裁判では3億円の出所について「受け皿会社が用意した」とか「ファイナンスのため資金は必要なかった」、「ワシントンの河野会長から借りた」、さらに「自己資金である」など三転も四転もしていた。

②「合意書」締結と株取引を巡る対応 

品田幸男裁判長の誤った事実認定と誤判

一審判決「株取扱合意において定義されるべき分配対象利益の内容及び範囲は、余りに無限定というべきものである」(判決文21P13L)として、銘柄欄が空欄であること、宝林株以後に実行する銘柄の特定が無いこと、3人それぞれの役割と業務内容が規定されていないこと、利益の処理方法が明確ではないこと等を挙げたうえで「原告、西及び被告が具体的に協議したり、個別の契約を締結したりして、株取扱合意書の内容を補完したといった事実は認められない」(判決文22P1L)と断じて「被告に対して法律上の具体的な義務を負わせる上で最低限必要な程度の特定すらされていないものといわざるを得ない」(22P5L)と結論付け「合意書」の有効性を認めなかった。銘柄の特定が無いのは当然で、決まっていたのは宝林株だけであったために「合意書」には「今後本株以外の一切の株取扱いについても、本合意書に基づく条件をそれぞれに負う」と明記している。どの銘柄を宝林株以後に取り扱うかは状況次第であるから明記できるはずがない。

「(15億円の支払の充当先について)原告は、株取扱合意に基づく株取扱利益の分配債務に充当されたと主張するが、株取扱合意は無効であり、被告が原告に対して株取扱利益の分配債務を負う余地はないから、原告の上記主張は採用できない」(判決文16P25L)

「原告の主張によれば、原告が株取扱に関して、被告及び西に対して提供した金額は207億円に上っていたというのであるところ、仮にそれが真実であるとすれば、株取扱合意に基づく分配対象利益の分配が上記7年以上の間に上記の2回しか行われず、その額も上記の2回程度しかなかったにもかかわらず、平成18年10月16日の三者協議に至るまでの間に、株取扱合意の履行が適正に行われているかについて三者間で協議が持たれなかったというのであるから、一層不自然というしかない」(判決文22P22L)

としたが、原告が株価を維持するための買い支え資金を継続的に出した事実は西が書面等で確認していることである。株取引の実行にあたり鈴木は原告を避け続けて真っ当な報告をせず、長い間西に言い訳ばかりをさせていた。鈴木がそのたびに西に金を渡して懐柔していたこと、それに原告が何年にもわたり興信所を使って鈴木の所在を調査していたこと等について何ら検証していない。合意書を交わして以降、原告と西、鈴木が3人で会ったのは平成11年7月8日、同年7月31日、同14年6月27日、同18年10月16日の4回に加え、西が鈴木の代理として会った平成11年7月30日、同年9月30日、同14年6月20日、さらに原告が鈴木と会った平成14年12月24日、同18年10月13日、同年10月23日を合わせれば合計10回は面談を重ねている。裁判官が証拠類を真剣に検証していない証ではないか。

出来事及び経緯の事実

宝林株を市場で売却して利益を出すという作業は平成11年6月いっぱい行われたが、鈴木と西は株価を高値に誘導して維持させ、売るタイミングを作ることができなかった。資金が余りにも乏しかったからで、そのため西が改めて原告に資金支援を頼むと鈴木に話すと、鈴木は、原告には自分も西も大変な借金があるから無理だという反応を示したが、2人には他に資金調達ができる当てが全く無かったため、7月8日に原告の会社を訪ねることになった。

それまでは、原告の前では西が口火を切り鈴木は最後まで口を開かないこともあったが、その日はまるで逆だった。終始、鈴木が株式相場に係るノウハウについて熱弁を振るい、「株式市場で、ここ3~4年で20億、30億という多額の“授業料”を払ってきた経緯があり、ノウハウを学んできました。株の実務は私と西会長でやります。宝林の株式を売り抜けて利益を出すためには、その時、その時の株価を維持しなければなりません。そのための資金がどうしても安定的に必要で、それを社長にお願いしたいのです。とにかく、長い目で見て戴ければ、絶対に自信があります」などということを何度も繰り返し、一生懸命に原告に訴えた。また、鈴木は「これが成功しないと、西会長も私も社長に返済ができません」とも告げ、さらに株取引は宝林で終わらず、いくつもの銘柄で仕掛けていくとも語った。原告は鈴木の説得に応じた。

その日の面談で、原告からの資金援助に成功した西が、原告に対して「合意書」を作りましょう、と持ち掛けた。「それならば、弁護士に文案を頼もう」と言う原告に、西と鈴木は株取引はあくまで三人の取り決めで、それを破ることは決して無いからと強調したことで、その場で簡単ではあるが最低限の要件を整えた書面が作成されることになった。

「合意書」には、原告、西、そして鈴木が株式の売買、売買代行、仲介斡旋、その他株取引に関することはあらゆる方法で利益を上げる業務を行うことが第一の約定として記述されている。株式の銘柄欄は空白で、ただ「本株」とだけ書かれていたが、それが宝林株であることは原告も西、鈴木も承知していた。そして、「今後本株以外の一切の株取扱についても、本合意書に基づく責任をそれぞれに負う」こととして、「合意書」に違反した行為が判明したときは「利益の取り分はない」と明記することで、西と鈴木が継続的に株取引を実行するうえでの意思表示がなされた。

鈴木義彦の虚偽の言動

*鈴木と西は、前述の宝林株取得から金融庁への大量保有報告書の提出、さらに紀井を株取引の専従としてスカウトした等の事実を原告には一切報告していなかった。特に鈴木が紀井に対して「利益折半」を約束した事実からして、それを西がどのように承知していたのか、「合意書」に上がった利益は一旦原告に預け、経費や西の会社(東京オークションハウス TAH)への手数料(10%)を差し引いた後に3等分すると明記していたが、鈴木は飽くまで利益の処理を自身が主導するという思惑をひた隠しにしていた。

*「合意書」が作成されてから約3週間後の7月30日、西が「宝林株で上げた利益」と言って15億円を原告の会社に持参してきた。合意書に基づき一人の取り分は5億円だが、西の説明から、西と鈴木がそれぞれ原告への返済の一部に充てるというので、原告は15億円全額を受け取った。そのうえで原告は心遣いで「鈴木さんにも5000万円を渡しなさい」と言って二人分として1億円を西に渡した。ところが、西が「利益は15億円」と原告に語った話は実は嘘で、宝林株の取引はその時点でも継続中であり、後日、西が語ったところによれば、その時点での利益は約50億円で、最終的には160億円を超える利益が出ることになった。

*利益が160億円にもなったことに目がくらんだのか、鈴木は西に対して原告を外して2人で利益金を折半するという密約を交わそうと唆し、原告が保管していた「合意書」を西に破棄させようと躍起になり、結果として総額で10億円もの“報酬”を複数回に分けて紀井から西の運転手の花館聰を経由して西に渡していた。

*原告が西に三人での協議をしようと声をかけても、西は「(鈴木義彦は)海外に出かけていて、しばらく日本には帰って来ない」と言って、話をはぐらかし続けた。

一方で「市場関係者の間では原告が100億円以上も利益を上げている」といった話を原告の耳に入れ資金支援を頼む相場師たちが絶えず、原告はそのことを西に確認した。すると、西は「そうした話は噂に過ぎません。鈴木は今、1DKの部屋で頑張っているので、長い目で見てやってほしい」等と言って、具体的な経過報告をせずに誤魔化し続けた。全ては鈴木の思惑通りに西が動き原告に対応したため、原告は完全にカヤの外に置かれたまま買い支え資金を出し続けていた。

*なお、原告が心遣いで西と鈴木のそれぞれに渡した5000万円について、7月31日、西と鈴木が原告の会社を訪ね、15億円の処理が確認された後に2人が礼を述べたが、株取引に係る具体的な収支の状況、その後の株取引の予定などについて原告に説明しなければいけなかったにもかかわらず、鈴木はもちろん西も故意に避けた。

*宝林株の取得資金を原告が出した点についても、鈴木は「宝林株の買取り資金は原告から借りていない」と強調した。

当初は「買取り資金はワシントングループの河野氏から借りた金だ」と主張した。しかし、間を置かずして「宝林株は売買の話ではなく、ファイナンスの依頼だったので、買取り資金は必要なかった」と言い替えた。しかしこれも、宝林株を取得した「バオサングループ」などぺーパーカンパニー3社は鈴木が用意したペーパーカンパニーで実態がないことは明らかだった。さらに「買取り資金3億円は、自分(鈴木)が稼いで留保していた金を買主の会社に貸し付けた形で決済した」とまで言い替えたが、そもそも、平成10年の年末、鈴木は保釈中の身で自暴自棄になっており、借金を返す当てさえなかった事実から、わずか数カ月後に自己資金を用意できる訳がなかった。その後、鈴木は「西は、いい加減な人間なので、西と同席で交わした書類は無効」とも主張したが、それこそ論外の言い訳だった。(以下次号)