間違いだらけの一審判決を「再審」で覆す(1)

(1)約28億円の貸付について

 貸付の内訳

期間:平成9年9月8日から平成10年5月28日

 手形(13枚)を担保にした貸付   16億9600万円

 借用書                   3億円 

 借用書                  8千万円

 準消費貸借(宝石、絵画)       3億4千万円

 準消費貸借(高級時計)           4億円       

              (=)28億1600万円

「西義輝は鈴木義彦の代理人」を巡る対応 

品田幸男裁判長の誤った事実認定と誤判

一審判決 「被告が西に対して包括的な代理権を授与した旨の原告主張事実を認めるに足りる証拠はない」(判決文17P14L)

品田裁判長は鈴木側の主張を採用して、西が鈴木の代理人として原告に対応していた事実を認めなかった。これは品田裁判長の重大な誤審である。以下の「出来事及び経緯の事実」にも述べる通り、鈴木に対する貸金についても、株取引の実行についても西が鈴木の包括的代理人でなければ、原告の鈴木への対応は全く違うものであり、そもそも鈴木との関係すら発生していなかった。判決では平成10年12月28日付けの約定書について「西義輝が鈴木義彦の代理人として原告から本件腕時計を預かり、原告との間で、平成11年3月末日までに4億円を支払うか、本件腕時計を全品返すかを約束した旨の記載がある」と触れていながら、西が鈴木の代理人であるかについては言及しなかった。下記の「出来事及び経緯の事実」にもある通り他にも裏付けはいくつもある。 

出来事及び経緯の事実

鈴木義彦(以下鈴木)は原告(以下原告もしくは社長)から融資を受けるに当たって、重要な場面で西義輝(以下西)に代理人の役目を負わせていたが、それは原告と西の関係を悪用したものだった。以下にそれを裏付ける出来事及び経緯の事実を挙げる。 

*鈴木に対する貸付が開始された当初、西が「お願い」と題する書面を原告に差し入れ、鈴木が担保に供したエフアールの約束手形を金融機関に取り立てに回さぬよう依頼し、返済期日の3日前までに現金で支払う約束をしている。西の行為は原告の鈴木に対する貸金に係る連帯保証責務を超えるものであり、包括的代理人であることを裏付ける。

*西は平成10年12月28日付で原告に「約定書」を差し入れ、高級腕時計13本の販売委託を受けているが、その約定書に西は「鈴木義彦代理人 西義輝」と明記している。当時、鈴木は100億円以上の不正融資を引き出した親和銀行事件で逮捕され保釈されたばかりであり、愛人の住居に身を寄せながら朝から酒を飲むような自暴自棄状態にあった鈴木を西は励ますために日参していた。それ故、鈴木の再起を図る目的で原告に懇願し、その一つとして時計の販売委託を受けたものであったので、肩書に「鈴木義彦代理人」と書き記した。鈴木はペア時計の3セットを元証券マンの中村氏に持ち込み6億円を借り入れた。

*平成11年5月31日に西が宝林株800万株の買取契約を結んだ。買取資金の3億円は原告が出したが、鈴木が、受け皿となる外資系投資会社3社(実体のないペーパーカンパニー)を斡旋したフュージョン社の町田修一を契約に立ち会わせて全株券を受け取らせ、また翌日に金融庁へ大量保有報告書を提出するに当たり、常任代理人の杉原正芳弁護士に指示して資金の出所を「紀井義弘」とする虚偽記載をさせるという工作を行った。紀井氏は全く聞いておらず、その事実が分かった平成20年3月31日付で杉原弁護士に回答を求めたが、杉原弁護士から一切回答はなかった。

*鈴木と西は宝林株を高値で売り抜けようとしたが上手くいかず、同年7月8日に2人が原告の会社を訪ね、原告に資金支援を頼んだ。いつもは寡黙な鈴木が一人熱弁を振るいA氏に懇願した結果、原告が株価を維持するための買い支え資金を出すことを了解したことにより西の提案で「合意書」が作成されることになった。(詳細後述)

*同年7月30日、西が原告の会社を訪ね「宝林株取引の利益です」と言って原告に15億円を渡した。原告は「合意書」に基づいて3等分すると考えたが、西が「私と鈴木の取り分は返済金の一部に充当してください」と言ったことから、原告が全額を受け取り、そのうちから1億円を西に渡し「鈴木さんと分けなさい」と心遣いを見せた。翌31日に西と鈴木が原告の会社に来て、15億円の処理について確認するとともに西と鈴木が5000万円を受け取ったことに礼を述べた。(詳細後述)

*鈴木に「確認書」(平成11年9月30日付)を交付するに当たり、それまでに金利を含め一切返済が無かったことから交付をためらう原告に対し西が約束手形13枚の額面総額の借用書、並びに「確認書についても平成11年9月30日に完済して一切の債権債務はないという書類になっていますが、これも鈴木義彦氏に頼まれ便宜上作成されたものです。平成11年9月30日は原告(原文実名)には一切返金されていません」とする「確認書」を原告に差し入れることによってようやく交付するに至った。原告から受け取った「確認書」を西は鈴木に渡し、その場で原告に架電し、電話を代わった鈴木が「この度は大変に無理なお願いを聞いて戴き、本当に有難うございました」と原告に丁重に礼を述べた。

*平成14年6月の時点で鈴木が原告に負っている債務総額は、年利15%で計算すると40億円超に、また遅延損害金年30%で計算すると60億円超になっていた。ただし、鈴木が平成9年10月15日付で3億円を借り入れた際の借用書には「年利36%、遅延損害金年40%」とあり、遅延損害金の40%で計算すると70億円超にものぼっていた。6月20日頃、原告が西に鈴木の債務返済について尋ねた際、西が「今後の株取引の利益が大きくなるので」という理由で鈴木の債務を圧縮して欲しいと懇願したことを受け、原告は25億円にまで圧縮することを了解した。西が鈴木を原告に紹介し、鈴木の資金繰りに協力することになった当初から、西は鈴木の債務について連帯保証をし、包括的代理人として原告に対応してきた。

鈴木義彦の虚偽の言動

鈴木は、裁判では「西義輝に代理人を依頼したことは無い」と否定を繰り返したが、西が代理人や保証人にならなければ、被告の唯一の物的証拠である「確認書」(平成11年9月30日付)も鈴木には交付されなかった。西が代理で手形13枚の額面総額の借用書と鈴木への確認書が便宜上のものであることを記した確認書があって初めて交付された。前記の「出来事及び経緯の事実」にある通り他にもいくつもの証拠がある。           (以下次号)