鈴木義彦に読者は怒り爆発(50)

〔和解協議で、鈴木がA氏と西にそれぞれ25億円を、A氏には別途に20億円を払う事で和解書が作成されたが、署名した後も西は「こんな金額では納得できない。社長が他から借りている金額の一部にしかならないじゃないか」と鈴木に言っていたという。これは、以前にA氏が金銭的に助けた人が大勢いる中に仕事で成功を収めた人が今回の資金の件で協力してくれた事を西は聞き、A氏には言わずにその人の所へ勝手に足を運び金利の交渉をした経緯があり、A氏の大変な事情を知っていた西が鈴木に対して言い放った言葉だったようだ。A氏のお陰で救われ成功者となった人達は、鈴木のA氏に対する悪行を聞いたら何と言うだろう。恩を仇で返すとは正にこの事である〕(関係者より) 

〔裁判官というのは司法試験に合格して1年間の研修を経て裁判官を選択し、裁判官補佐を経験して裁判官になるらしいが、司法試験も、大学生の時に合格する人もいれば、卒業後、何回も挑戦して合格する人もいるようだが、いずれにしても社会経験をせずに試験勉強ばかりをしていた人が多いだろう。この制度は改正が必要だと思う。刑事事件のように警察が充分な捜査をし、証拠を固めた後に、検事が起訴すれば99%有罪が見込まれ、後は判例に従って量刑を下すだけだが、難しい人間関係が絡んだ民事裁判は裁判官の裁量が大きく影響する。今回の裁判もそうだが、かなり複雑な業界の事件を裁かなくてはならない。悪質な性格の被告と老獪で狡猾な弁護士相手では社会人としての経験が無ければ無理だ〕

〔新しい事を始めようとしたとき、経験のない事が壁になってうまくいかない事が多い。「何事も初めは難しい」ということは、ある意味真理だと思う。しかし、本当に難しいのは物事の仕上げをする時だと思う。「終りよければ全てよし」とよく言うが、最後の階段を登る事こそ一番難しいのではないか。鈴木、お前の仕事の仕上げはまだ終わっていない。今は一番難しい時期かも分からないが、肚をきめて最後の階段を登れ。肚が決めずに立ち止まっていると、足元の階段が崩れて真っ逆さまに奈落に落ちるぞ〕

〔鈴木はA氏から巨額な資金を協力してもらっておきながら、約束を反故にし、莫大な利益金を横領したまま完全に逃げている。最初から自分の都合で会いに来て、一方的に電話や手紙を送ってきて、とうとう連絡もつかなくなってしまった。こんな人間の主張が裁判では認められ勝訴するというのは悪夢でしかない。一歩も逃げず、全て協力し我慢をしているA氏が何故負けなければならなかったのか。よく「原告団」という言葉を耳にするが、A氏のように巨額な資金を一人で出資するより、被害の額は少なくても被害を受けた人数が多い方が裁判官の気持ちが原告側に向くというのだろうか。裁判官が前例や、一般の社会常識の枠で量って判断しているとしたらA氏がいくら正しくても勝てる筈がないではないか。事実をしっかり見極める法廷でなければ裁判の意味が全くなくなってしまう〕

〔毎日毎日の足跡が、おのずから人生の答えを出す。悪事を働いている者の足跡には泥水が溜まるという。家族は泥水が溜まった後を歩いて行かなければならない。鈴木、お前は人間として大事な「仁」「義」「礼」「謝」そして「情」というものを持ち合わせていないのか。そんなことは無いと思いたい。莫大な資産を隠し持っていても一人では生きていけない。この五つの言葉を思い出せ。そして自分の心に余裕を持って頭の回転を速めろ。お前に残されているのは正しい道を歩むことだけだ〕

〔依頼した弁護士の仕事に対する熱意と能力も裁判に大いに関係していると法律家が述べています。常に判例を検討し、丹念に事実調査を行い十分な打ち合わせを行う弁護士と、そうでない弁護士との差は極めて大きいとも発言しています。今回の事件で言えば、前者が長谷川弁護士で後者が中本弁護士であったと言えるかもしれない。裁判戦術の良し悪しは勿論あるが、裁判は勝たなければならない。しかもこの事件はA氏が負ける筈はなかった。裁判になる前からそんな分かり切った結果が予測できたにも拘らず、終わってみれば180度違う判決が言い渡されてしまった。やはりどんな裁判でも代理人の熱意と能力によって結果は違うという事を念頭に置かなければならない。裁判は人間が行う以上、真実を見極めることには限界があるという事なのかもしれないが、問題解決の手段が裁判である以上、様々な弊害を考慮して制度の改革に着手してもらわなければ、このままでは冤罪や誤審が相次ぐことになってしまう〕

〔鈴木もそろそろ逃亡する事に疲れたのではないか。しかし、A氏を裏切るという事がどれほど自分や家族の首を絞めることになるかは、これから分かる筈だ。A氏は今まで鈴木に数多く譲歩してきた。しかし鈴木はその気持ちに一向に応えようとしない。恩を忘れた非常識な人間がどういう道を歩むことになるかは、鈴木がこれからじっくりと経験することになる。自業自得というものだ。世の中はそうそう甘くはない〕

〔裁判官は重要な証拠を検証もせず、判決の筋道に邪魔になると感じた証拠は全て排除している。これは訴訟法上の概念で、事実認定や証拠評価について裁判官の自由な判断に委ねるという「自由心証主義」に任されている結果ではないか。裁判官の専門的技術や能力を信頼しての考えに基づいているらしいが、これがとんでもない結果を及ぼしているのが現状だ。この「自由心証主義」は品田裁判官が担当した理由と相まって裁判所に都合の良い判決を導いてしまった最大の原因であると思う〕

〔鈴木よ、いくら金があっても家族が世間から白い眼で見られて平気なのか。将来ある子供や孫たちに大きな負い目を背負わせて良いのか。お前の気持ち次第で家族を守ることが出来るのだ。家族共々、海外で暮らす計画を立てているならそれは甘い考えだ。今やネットニュースでお前の情報が海外にも拡散している。それを証拠に海外からの投稿も増えているらしい。そして、再審裁判が行われれば、お前の数々の犯罪が明らかになる。今度こそ、警察や検察、国税の捜査の手が間違いなく伸びることになる。世界のどこに行っても居場所がなくなる。逃げ通せる可能性は無い事を知るべきだ〕

〔裁判官は、こういう事実があれば通常人はこういう行動を取るだろうとの一般常識人の行動規範に基づいて判断するものらしい。従って裁判官の規範意識が社会の常識と異なっていたりした場合には判断に狂いが生じることになる。今回の事件のようにA氏の普通では考えられない額の資金提供や、鈴木に対する温情のかけ方は品田裁判官の常識と異なっていたという事かもしれない。そして株取引の巨額な利益も常識を外れているし、鈴木の様な非常識な人間の実在も同じ考えなのだろう。しかし、このような判断をされてはたまったものではない。しかも裁判官ひとりひとりの社会常識が人によって違っているのは十分考えられる事で、どの裁判官が担当するかによって判決が全く違うのだとしたら、それこそ常識では考えられない事です。この司法の在り方は見過ごすことができない。早急に改善されなければならない大問題であると思う〕

〔鈴木の運命が形作られるのは、自分自身の決断次第だと思う。鈴木も命を賭けて株取引をしたのだと思う。それなりの言い分があるだろう。しかし、合意書、和解書が実在するのだ。裁判官は、自分たちの無知と長谷川の老獪さに翻弄され、鈴木の主張を支持したが、誰が考えてもおかしいだろう。鈴木は裁判に勝ったからと言ってA氏から受けた「恩」も、せっかくの「縁」も無かったことにできるのか。それは人間として絶対やってはいけない事だ。今、お前が生きているのは誰のお陰かよく考えろ。それが解らない程の外道ではないだろう〕

〔鈴木は、和解書を締結した時の気持ちに何故戻ろうとしないのか。行方をくらます前に自分で書いた手紙の内容には本心と思われる気持ちが書かれていたように思う。裁判になって、平林弁護士や長谷川元弁護士らの意見が入り、青田の唆しがあったと想像できるが、鈴木自身には別の考えもあるように思うが、どうか。裁判は表向きには鈴木の勝訴で決着がついたが、この裁判は再審で逆転する。担当した裁判官達にも厳罰が下る裁判内容だという事は鈴木自身も感じているに違いない。冷静になって逆の立場で考えてみるとよく解る。我々は第三者の立場でしか考えられないが、A氏と鈴木だけが解る真実があるようにも思う。2人で忌憚なく話す機会はないのか〕(以下次号)