第9章 裁判はなぜ負けたか?
平成30年6月11日、東京地裁で約3年にわたって審理されてきた、鈴木に対する裁判の判決が下った。A氏が原告として勝利する、と周囲の誰もが考えてきた訴訟。代理人に就いた弁護士でさえ「これだけの証拠資料があって、負けるわけがない」と判断したのか、原告や関係者の陳述書の提出を一部にしたり必要と思われる反論も十分にできていなかったために、裁判官は、ほぼ全面的に原告側の主張を認めず、請求を棄却してしまった。代理人弁護士が、証拠となる録音記録や書面等を軽んじたために的確な対処ができず、裁判官の心証に影響を及ぼした事実は一部認めざるを得ないものの、しかし、「負けるわけがない」とA氏の周辺関係者の誰もが考えていただけにショックは大きかったが、これで終わりではなく、逆に真相を徹底的に究明するとの意気込みに燃えて動き始めた関係者が数多くいる。
ところが、その後の控訴審でも、裁判官は新たな証拠資料も求めようとしないまま、審理の期間が数か月で終了し、同年11月28日に控訴棄却の判決を下した。裁判官が地裁の判決を丸呑みする格好で支持したために、原告の主張は東京高裁でも通らなかった。
いったい、なぜ、そのような判決が出たのか、不可解でならない。A氏の手許には、鈴木に貸し付けた金銭の証書や借用書があり、あるいは西と鈴木が持ち掛けて始まった株取引に係る「合意書」、そしてその約束が履行されなかったために改めて交わされた「和解書」もあった。さらに付け加えれば、A氏と西、鈴木の三者が面談した際の内容を録音したテープの他にも多数の録音テープや書面も存在していたが、実際には数多くの証拠物の一部しか法廷に提出しなかったのが敗訴の原因だったのか、裁判官は原告側の主張の根拠として認めなかった。というよりも、ほとんど無視した格好で判決に反映しなかったのである。さらに控訴審判決でも、裁判官は地裁判決に何らの疑念も持つことなく、判決文の誤字、脱字ほか文言の修正をしただけで自身の判決文としたのは、明らかな怠慢と言わざるを得ない。
「裁判官の眼はフシ穴か!?」
そんな怒りが裁判官に向けられるのは当然としても、しかし、地裁と高裁の裁判官の眼を狂わせた問題はどこにあったのか、全てを究明しなければ、解決策は見いだせない。何より「数多くの違法行為を犯してのうのうとしている鈴木という男を、人を騙してでも利得にしがみつこうとする男を、このまま放置することなど許されて良いわけはない」というのが、判決を受けた上での関係者全員の実感だったのである。
訴訟に至った経緯については、これまでに触れた通りだが、「鈴木という人間が、いかに人を騙したところで良心の呵責を覚えず、目先の利益をいかにして独り占めできるか、ということだけを考えて人付き合いをしてきたかが分かる」と多くの関係者は指摘する。
では、訴訟を不利に導いた原因は、いったい何だったのだろうか? 先ずはその検証を進めたい。
東京地裁、同高裁での審理で特徴的だったのは、被告側弁護人、長谷川幸雄による老獪で狡猾な法廷戦術で、その戦術に原告側代理人が翻弄されたのは間違いなかった。だが、その手法はあくまで法廷では通用しても、日常の社会では“虚偽”や“詭弁”にしか映らないことも確かだった。
○合意書を無効とした根拠が不明確
第一に挙げられるのは、原告の主張を裏付けるべき証言が必須だったはずの西義輝が平成22年2月に自殺し、「合意書」に基づいた株取引の実態を説得力をもって裁判官に訴えることができなかった点が挙げられる。
裁判官は、「合意書」には銘柄の特定が無いばかりか、合意書の有効性や継続性を規定するための、A氏、西、鈴木それぞれの役割分担、株取引を実行する期間、収支に伴う事務処理的な手続きの細目等が明示されておらず、あまりに無限定だと断じた。しかも、和解協議が行われ、「和解書」が作成されるまでの7年以上の期間で三者の「合意書」に基づいた株取引の経過報告や協議はほとんど行われておらず、わずかに15億円と10億円が西、鈴木によりA氏の会社に持参された事実だけでは、「合意書」の有効性や継続性を証明することはできない、として「合意書」を無効としつつ前記15億円と10億円は鈴木がA氏から借り受けた金の返済金と認定してしまった。
また、平成18年10月16日付けで交わされた「和解書」についても、合意書が交わされた平成11年7月から数えて7年間余り、A氏と西、鈴木の三者で具体的な報告や協議がほとんどなされていなかったのは、「合意書の存在を認めるにはあまりに不合理」と断じて無効とした。これは、完全に裁判官の思い込みによる判断ミスとしか言いようがない。約7年間空いた原因が何かを考えたことがあるのか。西に金を渡し言い訳をさせていた。「海外に行っていて帰れない」とか「頑張っているので十分な時間を上げてほしい」等の話をA氏に吹き込ませ、その後興信所を2カ所使ったり、関係者が父親の所に2年間通うなど、A氏の関係者はやれることはやった。
西はA氏に決定的な裏切りを働き、鈴木に言われるままA氏と鈴木の間の距離を意図的に作り出し、平成11年7月30日に15億円の利益金をA氏に納めて期待をさせながら、それ以後の株取引で利益が出ているにもかかわらず、西は具体的な報告も実情も語らないままA氏から株価の買い支え資金を引き出し続けたのである。さらに西が鈴木に乞われて実行した志村化工株の取引(これも「合意書」に基づく)で東京地検に逮捕、起訴されて後、鈴木が西を冷たくあしらうようになり、西ですら鈴木と連絡が取れなくなった、といういくつもの事情を裁判官はほとんど検証していないのである。
鈴木が所在不明となった平成18年11月末以降、西が平林弁護士とのやり取りで残した書面や、鈴木の指示で株式の売りを全て任された紀井の具体的な証言を裁判官はほとんど無視して、判決に反映させなかったのが不可解でならない。そして、そうした経緯を踏まえると、A氏が当事者として「合意書」や「和解書」の作成経緯を法廷で語り、証拠を揃えて正当性を訴えても、裁判官に正しい判断をさせることはできなかった。
「和解書」作成に至る経緯について、同書面作成前に協議されたA氏、西そして鈴木の面談録音テープ、その後、鈴木より郵送された手紙をA氏は証拠として提出したが、逆に鈴木は①「公序良俗違反」②「(利益提供の)脅迫、強要」③「心裡留保」であると主張した。そして、恰もA氏の背後には常に反社会的勢力が控えているかのごとき主張も繰り返して、前記3点が真実であるかのように誘導し、虚偽のストーリーを構築した。強迫や強要があったと言うのならば、それこそ「和解書」の作成直後にでも警察に被害届を出せば済むことだが、鈴木は逆に所在を不明にして逃げ回っていた。A氏側が鈴木の父親と妹を同行して父親の地元の警察に行って連絡を取っても、鈴木は逃げ回っていたことも調べたのか。
平成18年10月16日の和解協議で、紀井が株取引の実態を証言した事実を巡って、鈴木が西に対して「それじゃあもう命落とせば良いじゃないか今。そんだけの腹あるのか、お前」という発言をしたが、「強迫された」と言っている人間が、強迫しているという人間に吐く言葉ではない。このように、録音記録(証拠に出したのは途中で切れていたのと、反訳したのがプロではなかったために完全とは言えなかったが、西が録取したテープは最後まですべて入っていて、多くの関係者が聞いている)をしっかりと検証すれば、前記①②③の主張が利益分配を拒むために作った後付の主張であることが裁判官にも分かるはずだった。
中でも虚偽のストーリーの典型となっているのが、原審に提出された平成29年2月8日付の「乙第58号証」と平成29年8月5日付の「乙第59号証」であった。
乙第58号証は、平成18年10月13日(A氏と鈴木の面談)と同年10月16日(A氏、鈴木、西の三者面談と和解書作成)、さらに同年10月16日以降のそれぞれの経緯について、鈴木自身が書面を作成し、翌平成19年4月10日に弁護士の平林に提出したものとしている。また、乙第59号証は鈴木の代理人である長谷川弁護士と鈴木の質疑応答、特に平成14年6月27日に「借用書」が作成されたのは、平成11年9月30日付けの「確認書」をもって「完済された」と鈴木が主張してきたことと矛盾するため、どうしてもしなければならなかった釈明を書面にしたものであった。平成11年9月30日と同14年6月27日の件も、証拠から誰の目にも疑う余地が無いことは100%理解できるはずだ。
鈴木は、乙第58号証で出来事の詳細を述べているが、原告側で法廷には未提出となった10月23日の、A氏と鈴木の面談の録音テープにおいては、「和解書」に鈴木が自書した50億円の支払い方法を具体的に述べると共に、三者協議の内容を追認する場面が記録されていた。しかも、出来事の具体的内容と心情を述べていることから、鈴木の陳述と録音テープの内容をつぶさに比較検証すれば、鈴木が虚偽のストーリーを構築している事実(法廷での偽証)が判然とする。
鈴木は、この書面の中で「だいぶ以前から三人(A氏、西、紀井)で私を陥れるためにいろいろな計画をしていたんだということに、確信を持った」と述べているが、事実は全く逆で、鈴木が裏切り、海外のプライベートバンクに巨額の利益金を隠匿していたことを裏付ける証拠を、西が香港で殺されかけた事件をきっかけにして集め始め、そのために紀井や天野から聞き取りを繰り返し、A氏もその内容を確認したというに過ぎない。鈴木は最初の宝林株の取得資金の出所からして名義を紀井にして裏切り、宝林株で上げた利益に目がくらみ、その後、西を洗脳するなどしてほぼ全て虚偽のストーリーを構築した。
第二には、鈴木が自ら、あるいは代理人となった平林、青田両人が繰り返し吐き続けた嘘を法廷の場でさらに増幅させたことだった。例えばA氏の毎年の納税申告を引き合いに出し、「鈴木に巨額の貸付をしたと主張しているが、1000万円台の収入、財力なのに貸付資金の出所は何か?」と、過去の納税者の公報を下に、ほとんど言いがかりとしか言いようのない求釈明を連発した。この時、A氏は「一部ではなく、全てを調査してください」と述べている。
A氏が今までに資金的な協力をし、援助した人たちの中には成功する人も少なくはなかった。A氏はよほどのことがない限り、他人に資金の融通を頼むことは過去にもなかったが、止むに止まれず旧知の人間に資金融資を依頼した。だが、A氏自身が西と鈴木によって、よもやこれほどまでの裏切りが仕組まれているとは夢にも思っていなかった。利益分配や貸金の回収など、「合意書」に記載された内容が実行されることを信じて資金を出し続けていった。その総額は200億円を優に超えていた。
鈴木や代理人は、法廷で自分たちの主張が破たんしそうになると、A氏の人格までも誹謗中傷したり、A氏側の記憶違いや勘違い等に付け込んで、しつこく釈明を求めるような戦術を繰り返して、原告側が提出した証言や証拠資料等の信用性、信憑性を失わせようとした。こうした被告側の戦術に、裁判官が見事にハマり、騙されたのではなかったか、という点もあるが、多くの関係者の意見として長谷川と何らかのつながりがあるとしか考えられないところが多すぎるという指摘がある。
周知のとおり、鈴木の嘘は、これまでに溢れ返るほど指摘してきた。鈴木は、過去の取引や個人的な付き合いの中で、上げた利益や手柄を独り占めするために、関わった相手を徹底的に利用したことから、相手方との付き合いが2年はもたないというのが鈴木に対する定説となっている。それを考えると、A氏からの借入金をいかに返済せずに逃れるか、また、仮に返済するにしても金額をいかに損切りさせるか……。恐らく鈴木はそればかりを考え続けてきたに違いない。そして、そのようにみると、口はうまいが、交わした約束は決して守らず、自身が不利になると、その場しのぎの嘘を連発し、言い訳を繰り返したうえに行方をくらますという鈴木の本性が透けて見えるのだ。
ところが審理では、鈴木側がまっとうな主張ができないためにA氏側に主張の釈明を執拗に求め、辻褄の合わない主張を繰り返していながら、A氏側の弁護士が何故か反論を躊躇したり、鈴木の言い訳が二転三転している事実を重大と捉えて追及し、それを裁判官に心証づけるという場面もほとんど見られなかった。これが原告を不利な状況に導いた第三の原因である。残念ながら、原告側弁護士が「依頼人の利益」という最大の責務を果たしていなかったのが現実であった。
○鈴木は自分の発言を無かったことにした
平成11年から同18年までの隠匿利益は500億円に近いという巨額に上っていたが、A氏や西にとっては単に金額の問題ではなく、鈴木に裏切られた、嘘をつかれたということへの憤りが激しく沸き上がっていたに違いない。そうなると、誰だって、その真偽を確かめようともするし、「合意書」を作成した際の当事者であったA氏からすると、張本人の鈴木に確認を求めるのは当然のことだった。まして西が香港で巻き込まれた事件の原因が分配金の受け取りにあった、となれば、なおさらのことだったろう。語気が多少は荒くなったとしても止むを得まい。和解時もあれだけ悪の限りを尽くしていながら好き放題のウソを言っていた。鈴木という男は人間ではない、と双方の関係者が言っている。
乙58号証で鈴木は、10月16日の「和解書」に基づいた支払いについて、A氏から盛んに確認を求められたことに嫌気して、「どうでもいいこと」と思いながら、(本心ではないことを)「あえて答えた」などと自分に都合のいい説明を述べているが、本当にそうであれば、和解後に何回もA氏に電話をして、その中で「買い支えの損失」のことなど何度も確認したり、和解協議から1週間後の10月23日には一人でA氏の会社を訪ねたことを忘れたのか。この時も「海外に口座を作ってください」等と言っていたではないか。
鈴木は自分から支払いについて具体的に話を切り出し、半ば積極的に「海外に口座を作って欲しい」とまで述べたのである(このやり取りも録音されている)。これがA氏や西に“脅かされた”揚げ句の言動だったと言うならば、その言葉を信用させ期待もさせた鈴木という男は想像以上の「嘘つき」と言われても仕方あるまい。そもそも鈴木が自らA氏に面会を求めて10月23日にA氏の会社に来訪し、「和解書」に基づいた支払いを相談したのは、いったい何だったのか。鈴木の行動と主張が一致しておらず、不可解過ぎる。
鈴木は株取引を始めた当初、手っ取り早く身近の「宝林」や「エフアール」(なが多)などの銘柄でユーロ債の発行、第三者割当増資を行い、それで取得した株式を売りまくり、巨額の利益を獲得した。それに味を占めて、以後も数多くの銘柄で同じ手法を繰り返したが、その役割を担った紀井の証言さえ裁判官は軽く見てしまって、「合意書」には基づかない鈴木個人の株取引である、と誤った判断をしてしまった。判決文を読んでも、本当に判決の理由(根拠)が分からないし、二審の東京高裁の裁判官が指摘しているが、誤字、脱字が多いということは真剣によく見ていない結果だと思う。多くの人が理解し納得する判決を出してほしい。
紀井は裁判所に提出した書面の中で次のように証言した。
【鈴木は西に株価の買い支えを何回もやらせていた。西が買い支えで被った損失は約70億円と言っていたが、実際に私が判っている分で言っても58億数千万円だった】
【鈴木と西が最初に手がけた銘柄は宝林だったが、私は株式の売りぬけで得た利益の一部を何度か西に報酬として届けた。もちろん、それは鈴木の指示があっての事だった】(このことだけを取ってみても、鈴木と西がA氏を裏切っていることがよく分かる)
【「合意書」があることは何年も後になって分かったことだが、私が鈴木の下で売り抜けた銘柄や利益が「合意書」に基づいたものであったことははっきりしている。それに、鈴木は自分勝手にやってはいけなかったと思う】
これらの証言はあくまで一部に過ぎないが、これを見ても鈴木と西がA氏を裏切っていることが分かるし、仮に株取引を勝手にやったとしても合意書に反映させないといけない。2人は合意書に違反しているから取り分はない。前にも触れたとおり、金主が利益の半分以上を取り、残りを関係者で分けるというのが普通である。それは金主がリスクを全て負うからで、3等分するなど本来は有り得ないことである。そうした現実の“ルール”を西と鈴木のために3等分すると約定した「合意書」を裁判官は何故実感できなかったのか、それとも故意に無視したのか。いずれにしても裁判官が何故、紀井の証言をほとんど黙殺したのか、それが不可解でならない。
株取引が宝林株以後も継続して実行されていた事実は、西が記述した「鈴木義彦氏がユーロ債(CB)で得た利益について」と題するレポートでリアルに描かれており、そこに記載された銘柄は、一方で紀井が記述した「確認書」(鈴木の指示で売り抜けた銘柄とここに得た利益の金額を明示)に記載した銘柄と一致していた。
また、西は平成18年10月2日に香港に向かう際、妻に置手紙を残していたが、その手紙の中で宝林株で得た利益のうち30億円を受け取った事実を明らかにしていた。
西が株取引に係る資金支援をA氏から受けるに当たって、西は東京オークションハウスの名義で手形や小切手、念書等を差し入れていたが、それらが証拠として裁判所に提出されなかったのは手抜かりだった。これらの手形、小切手、念書等は明らかに西が鈴木と一緒に「合意書」に基づく株取引を実行し、A氏が資金支援をした事実を裏付ける重要な証拠になったはずである。
このように、西や紀井の証言の一つ一つを検証すれば、「合意書」に基づいた実態を裁判官は無視することはできず、「合意書」を無効にすることなど決してできなかった。そして、それ故に「和解書」の存在と有効性も必然的に認められることになったはずだ。
「和解書」には、「乙(西)と丙(鈴木)は、甲(A氏)に内密で本合意書に違反する行為を行った場合は、乙丙の利益の取り分は一切ないと決められているが、最近の経緯から乙丙が本合意書に反したことは明白である」と記されており、鈴木は2度、3度と読み返した上で真っ先に署名指印した。これにより、鈴木は「合意書」に基づいた株取引があり、しかし、「合意書」の約定に違反した行為を行った事実を認めたことになる。
裁判官は、鈴木が「合意書」や「和解書」に署名指印している事実を余りにも軽んじているのではないか。そうでなければ、故意に「合意書」と「和解書」を無効とするために全く説得力がない話をしていると言わざるを得ない。
ここまで挙げた、原告を不利な状況に導いてしまった3つの点それぞれについて、さらに詳しく検証する。裁判では、鈴木の嘘を明確にして、約束を実行させることは不調となったが、それで終わらせることなど、決してあってはならないことである。
○鈴木がついたウソの数々
鈴木がA氏への対応で吐いた嘘の数々は、全て株取引で上げた利益を隠匿して独り占めにする、という裏切りから発している。その中でも、特に許しがたい嘘を以下に挙げてみる。
- 平成11年9月30日付けで、A氏がエフアール宛に出した「確認書」は、鈴木が融資を受けるためにA氏に振り出した手形(13枚)を、同社の「監査の都合上、どうしても一旦お預かりしたい」と言う鈴木の依頼に応え、A氏の温情で手形の原本と共に渡したものだった。もちろん、それまでに貸付金の返済は西が「株取引の利益」と言って15億円を持参した際、3等分して、鈴木と西の取り分5億円をそれぞれの債務返済の一部(金利)に充てた以外は一切ない。
ところが、鈴木はこの「確認書」を悪用して「A氏に対する債務は完済された」という主張を法廷の場に持ち込み、「債務者はエフアールで、被告は関知しない」とまで主張した。しかし、A氏が貸したのは鈴木個人であって、エフアールではないというのは最初(平成9年9月)から分かり切ったことであった。A氏が「確認書」を交付するに当たって、西がA氏に差し入れた「お願い」という書面にも「(鈴木が担保に供した)手形は鈴木個人のことであるので」と明記されている。A氏は金融業の免許は持っているが、それを業としているわけではないから、融資の対象は特定の友人や知人たちに限られていた。したがって、貸付けに際し担保を取ったことはほとんどなく、手形は鈴木が持ち込んできたから預かったに過ぎない(西がA氏に差し入れた「お願い」の書面にも「取立に回さないで欲しい」という依頼があり、A氏はその約束を守った)。仮に債務者がエフアールであれば、天野裕(当時は常務)が対応しなければならなかったが、A氏は鈴木との対立が表面化する直前まで、天野との面識は一度もなく、電話でのやり取りさえなかった。
そもそも9月30日に金銭の授受は一切なく、平成19年に天野と面談した際に、天野は「『確認書』は便宜的なものだった」と認めていた。鈴木は返済金15億円を西に託したと言ったが、鈴木の債務は元本だけでも28億円超あったから、15億円では整合しない。そして、何より西が15億円をA氏の会社に持参したのは同年の7月30日のことで、それも株取引の利益金だった。A氏は翌日、西と鈴木を会社に呼び、15億円の処理について確認し、西も鈴木もそれぞれA氏からの心遣いとして5000万円を受け取ったことに礼を述べていた。
なお、鈴木はA氏の手元にある「借用書」や「預かり書」等の全ての書証類(原本)を「回収漏れ」と言ったが、鈴木を知る誰もが「鈴木は金を借りる相手方には『すぐに返す』とか『時間がない』と言い訳して出来るだけ書類を渡さず口約束だけをする。仮に書類を出すことがあった時には、100%回収することに執着する男で、回収漏れなど絶対にあり得ない」と多くの関係者は口を揃える。
- 平成10年5月頃、鈴木が資金繰りのためにA氏に言い値の3億円で買ってもらったピンクダイヤとボナールの絵画について、平成10年5月28日にA氏の会社を訪れ、「売らせてほしい」と言ってピンクダイヤを持ち出し、その後、売却代金も納めず現品も返却しなかった。ところが、鈴木は平成9年10月15日にA氏が3億円を貸し付けた際の借用書と合致させて「3億円は借りておらず、ピンクダイヤと絵画の代金3億円の借用書を書いた」と主張した。期日を確認すれば明らかな通り、3億円の貸付は平成9年10月15日で、ピンクダイヤの持ち出しよりも7カ月も前のことだった。鈴木は平成10年5月28日付けで「念書」まで書いているのだから、支離滅裂としか言えない。(しかも、鈴木は絵画を一度も持参しなかった。後日、他に担保に入っていたことが判明した)
- 前項に関連して、5月28日に鈴木がA氏の会社を訪れた目的は、借金の申し込みとピンクダイヤの持ち出しだったと思われる。鈴木は事前に話もなかったのに「念書」を用意していたが、「私から手形を受け取っているにもかかわらず、当時のエフアールの常務の天野に絵画やダイヤの念書を連名で書かせろ」とA氏が念書を要求したと主張した。もし本当であれば、一度も返済のない人間、しかも逮捕の3日前に貸すわけがない。鈴木という人間が、土下座をして「このご恩は一生忘れません」とまで言った人物と同一とはとても思えない。鈴木はまたA氏を「金融のプロ」「高利貸」であると強調した。しかし前述したとおり、A氏は金融業の免許は所持しているが、本業としているわけではなく、鈴木が予め念書を用意して持参したので預かったまでのことであった。A氏はその日、鈴木に逮捕情報(親和銀行商法違反事件)を伝えた直後に、鈴木の依頼に応えて8000万円を貸し付けた。それまで一度の返済も無く、しかも近日中に逮捕されると分かっている人間に金銭を貸し付ける金融業者などいない。鈴木側代理人が裁判の場でA氏を「金融のプロ」「高利貸」と呼称して、A氏に対する心証を悪くさせようとしたが、事実は全く逆である。
- 平成11年7月8日にA氏、西、鈴木の三者で交わした「合意書」について、鈴木は「A氏から資金提供を受けるために必要だという西に協力して、書面に署名したに過ぎず、それを実行するという認識はなかった。事実、その後、A氏とは株の話は一切していない」と主張した。しかし、西がA氏から宝林株800万株の取得資金3億円を預かり、その直後からの株取引で株価を高値誘導するための買い支え資金も全てA氏から出してもらい、実際に西が鈴木の指示する銘柄の株価を高値誘導し、そのタイミングで鈴木の側近であった紀井が売り抜けた事実は、西と紀井の証言からも揺るがない。最初の株取引である宝林株で160億円超という予想外の利益が出たことから、鈴木は西を篭絡して「利益を折半する」との密約を交わした。西は鈴木に言われるままにA氏に株取引の正確な情報を入れず、またA氏と鈴木の関係を故意に希薄にするような対応をしたために、A氏は蚊帳の外のような状況に置かれたが、そのことで『合意書』に基づいた株取引は無かったという鈴木の主張を正当化などできるはずは無かった。親和銀行事件で鈴木は被告人だったから、株の売り抜けはほぼすべてを紀井義弘に任さざるを得なかったが、何よりも紀井が何故宝林株を売ることができたのか? ということである。また、西が志村化工の相場操縦容疑で東京地検に逮捕された際、鈴木の側近であった武内一美も逮捕され、鈴木の関係先が家宅捜索されていた。取り調べで、検事が執拗に鈴木の関与を追及しても、西が頑なに否認し続けたからこそ、鈴木は首の皮一枚で助かったようなものだった。また、宝林株の売却利益について、鈴木自身が後述する平成18年10月16日の和解協議で「JAS(宝林)の件では、双方(A氏と西)に資金を渡しているはずです」と、「合意書」の効力(実績)を認めていた。後日、西は宝林株取引の利益分配で鈴木より30億円を受け取った事実を明らかにしたが、では、鈴木はいつ、いくらをA氏に渡したというのか?
- 前記「合意書」に基づいて、平成11年7月30日に西がA氏に納めた利益の分配金15億円について、鈴木はA氏に対する債務の返済金であると言って「確認書」との整合性を取るために支払日を無理やり9月30日と主張した。しかし、西が15億円をA氏の会社に納めたとき、A氏は「合意書」に基づいて、自分の取り分を5億円とし、残る10億円は西と鈴木のA氏に対する債務の返済金の一部に充てるという手続きをした。また、西の無心に応えて、「鈴木さんと分けなさい」と言って西に1億円を渡した。その翌日、A氏の会社に西と鈴木が訪れた際、15億円の処理と1億円を西に渡した件をA氏が鈴木に確認すると、鈴木は「有難うございました」とA氏に礼を述べた。15億円が鈴木の言うように返済金であるとしたら、そのうちから西と鈴木にそれぞれ5000万円を渡すようなことは無かったはずだ。ロレンツィ社が保有していた宝林株800万株の買取りについて、鈴木は「買取りではなく、海外の投資会社がイスラエルの大株主ロレンツィ社から、800万株を1株(20,925円)でバルサン(ママ。バオサンが正確な表記?)300万株、トップファン250万株、シルバートップ250万株と3社に譲渡された」と主張した。併せて、その購入代金をA氏が拠出したという事実を否認。しかし、西が株式買取りの作業を全面的に行ったことから主張を維持できず、主張が二転三転した。また、株式の購入資金についても「株式の買取り企業が直接出した」という主張が途中から「自分が調達した」とすり替わり、さらにその調達先も「ワシントングループの河野博昌」からと言い換えられ、全く辻褄が合わなくなっている。前記の外資3社は鈴木がフュージョン社を介して用意(取得)した、実体のないペーパーカンパニーであり、紀井がその事実を明確に証言している。また、前記の外資3社が大量保有報告書を金融庁に提出するに当たって、「紀井義弘からの借入」と虚偽の記載を行って、常任代理人の杉原正芳弁護士は当の紀井から抗議を受けたが、杉原からの回答は無かった。
- 西が志村化工の事件で逮捕、起訴され、保釈された直後の平成14年6月、A氏が貸金と株の話を西にしたところ、「株取引の利益がこれから大きくなるので(債務を)圧縮して欲しい」と西がA氏に話したため、A氏は了解し、鈴木への40億円超(金利年15%を含む)の貸付金を25億円に減額した。そして平成14年6月27日、A氏が鈴木と西を会社に呼び確認を進めた際、鈴木が唐突に「A氏への返済で西に10億円を渡した」と言い出した。驚いたA氏が同席していた西に確かめたところ、西が渋々ながら授受を認めたために、鈴木への債権25億円から10億円を差し引いて15億円とし、西も10億円の借用書を書いた。A氏は鈴木に対し「私に対する返済金であれば、なぜ直接来て話をしなったのか。もしそれができないときでも、なぜ『西に私への返済金の一部として10億円を渡した』ということを、最低電話ででも言わなかったのか」と言うと、鈴木は「済みませんでした」と言って謝罪し俯いた。ところが、西が鈴木から受け取った10億円はA氏への返済金などではなく、「合意書」の破棄を西に執拗に迫り、その結果、複数回にわたって西と鈴木の間で報酬名目の金銭の授受が発生したものであった。平成18年10月16日の和解協議の折に、西が鈴木に「これくらいは認めろ」と言うと、鈴木は言い訳の仕様も無く渋々認めた。
前記に関連して、鈴木はその後、法廷に提出した証拠資料(「乙59号証」)の中で、「6月27日に、原告(A氏)との間で債務合計金25億円とする準消費貸借契約の合意をしたことがあるか」という長谷川弁護士の質問に「全くない」と言い、続けて「原告に対して原告に支払うべき25億円のうち『10億円は西に預けている』旨を述べたことはあるか」という質問にも「ない」と言って、A氏からの借入金を25億円に減額する旨の協議など6月27日には無く、A氏への返済金10億円を西に渡したことさえも否定した。当日の借用書には確定日付があるから、鈴木の陳述は言い逃れに過ぎない。これまで触れている通り、A氏が「今後は株で大きく利益が出るから、鈴木への貸付金を25億円にして欲しい」という西の依頼を了承して6月27日の面談協議になった経緯があり、その場で鈴木が「西に10億円を渡した」という発言がなければ、さらに減額した15億円の借用書を作成することなどなかったし、西もまた10億円の借用書を作成してA氏に渡すことなどなかった。しかも、同日の借用書の存在は、明らかに鈴木が「確認書」を悪用して「A氏への借入は完済した」と強弁していることに矛盾している。鈴木は、「完済した」という債務が9月30日当時、いくらあったという認識だったのか。仮に百歩譲って、15億円が返済金であったとしても、A氏が有していた鈴木への債権は元本だけでも約28億円あったのだから、「完済された」などと言えるはずはなかった。 平成18年10月16日に作成された「和解書」について、鈴木は「西が香港で殺されかけたという事件の容疑者にされる、という不安と恐怖感、そして側近の紀井に裏切られたという衝撃(これについても違うと思う。何故ならA氏の会社を出た後、すぐに紀井に電話をして、100億以内で済んでよかった、香港の口座はバレないか等と心配していたくらいだった)から、書面に署名指印してしまった」と主張して、あたかもA氏と西に脅かされたからということを強調した。さらに、A氏の会社はビルの8階にあったが、そのフロアーに上がるエレベーターを止められ、監禁状態に置かれたとか、A氏と反社会的勢力の大物とのツーショットも見せられた、と言い、脅迫を受けたかのごとき主張をした。しかし、当日の面談は録取されており、A氏や西が鈴木を脅かした事実など無いことは明白だった。なお、「録音記録が編集、改ざんされている」(途中で音声が途切れたり不明な所はあったが)という点は明らかに言いがかりの主張であった。別に西が録音していた音源が見つかり、何人もの関係者が聞いている。また、前記にもある通り、紀井が鈴木の指示で取得株式を売り抜け、巨額の利益金を確保している事実を突きつけられたため、弁明が通らないと覚悟して、それでも隠匿資金の流出を最小限に食い止めるために、さっさと「和解書」に署名指印したことが推察される。なお、鈴木は「和解書」の文面を2度3度と注意深く読んでおり、「文言に不備があれば修正する」というA氏の言葉にも応じて署名指印したのである。
- 平成18年10月16日の「和解書」作成時に鈴木は「2年以内に20億円を払う」と約束したが、その後はこれを「贈与」と言ったり、最後には「20億を払うとは言っていない」と変わった。この証言が虚偽であることは、面談の録音記録から明らかだった。
鈴木の嘘を挙げれば、それこそきりがない。また、前にも触れた通り、現場を口約束程度の曖昧な状況において、いざとなれば言った、言わないという水掛け論に持ち込むのが鈴木の常套手段であるというから、その可能性があるものは避けたうえで、貸付金と「合意書」に係る重大な嘘を挙げてみた。
鈴木の証言や主張は場面が変わるに従って、どんどんひどく変転した。A氏、西との対応や発言、鈴木が所在不明となって以後の平林と青田の支離滅裂で不当な主張、そしてそれらを裁判にまで持ち込んでさらに増幅させた。裁判官が、そうした鈴木の主張や証言の変転に何ら目を向けていなかった。
鈴木のように二転三転するような証言を裁判官が証拠として採用することは先ずない、というのが裁判所の通例であるにもかかわらず、こうした虚偽の証言を裁判官は「合意書」と「和解書」の無効を理由として、「(鈴木が)明確に意思表示した事実は認められない」と判断する一方で、西が「株取引の利益」と言って持参した15億円、鈴木氏が持参した10億円をA氏への返済金と断定してしまったのは、明らかに誤審(誤判)としか言いようがない。それでは西に合意書破棄の礼金10億円を払ったり、その後も宝林株等の利益30億円を払ったのは、どのように説明できるのか。
これらの嘘を検証したうえで、鈴木が株取引を繰り返す中で、密かに海外に巨額の利益金を流出させ、隠匿している事実が裏づけられれば、鈴木に科せられる刑事罰は脱税を始めとして海外財産申告義務違反、外為法違反に問われ、逃れようが無いことは明白だ。
すでに触れたように、鈴木は住居登録地には長らく居住していなかったから、毎年の税の申告ひとつとっても不明な点が多いに違いない。そして、海外に隠匿しているとされる巨額の資金については、主にスイスの複数のプライベートバンク(以下P.B.と略す)にて、複数の口座を使って運用されていて、その口座名義人として、鈴木が第三者割当増資という手口を使い、外資を装うために用意したペーパーカンパニーの一部が生き残り、例えば、ホーリーマネージメントリミテッド、マジェスティック・インベストメンツ・トレーディングは今も存在している事実が確認されている。それ故、その一端でも表面化すれば、関係当局は鈴木の財産と見られるすべてに凍結の指示、要請を関係する政府、金融機関にかける。いったん凍結された財産は30年間(実際にはそれ以上)解除されることはなく、その後国庫に没収される。事は国税当局だけでなく、金融庁に設備されている20台以上のコンピュータ端末に蓄積されたデータにも共有されて実態の解明に向かうだろう。疑惑が持たれている隠匿資金は十数年間の利回りを含めると1000億円を超えるという規模になっていると思われるから、国税当局や金融庁が動くのは必至だ。
海外財産の申告義務は平成25年に導入された。これによって、富裕層が海外に保有する資産は、プライベートバンクにとっても危険な代物となった。富裕層が申告するかしないかで、その資産を管理するプライベートバンクにも嫌疑が及ぶからだ。今は、不祥事が金融機関の命取りになりかねず、アメリカでは有数の会計事務所だったアーサー・アンダーセンが粉飾決算事件で解散に追い込まれた、という例もある。
そうした一方で、国税当局は富裕層の国外財産に係る税制改正を行ってきたが、中でも注目すべきは、富裕層の海外資産を正確に把握するため、国家間の「自動的情報交換制度」を導入し、さらに海外への税逃れには「国外転出時課税制度(出国税)」を創設した点であろう。特に画期的なのは自動的情報交換制度で、平成29年以降、個人と非上場企業が海外に持つ金融口座の内容が、海外の税務当局を通じ、国税庁の「国税総合管理システム」に入力されることになっている。海外財産調書を誤魔化していても、国税庁に蓄積されたデータがものを言う。
この自動的情報交換制度はOECD租税委員会が主導したもので、英、独、仏、シンガポールなど、合意した101か国と地域の税務当局が非居住者の金融口座情報を相互に交換し合うことになっている。実施国はスイス、香港、ケイマン諸島、英領ヴァージン諸島、モナコなどタックスヘイブンも含まれている。
鈴木はA氏と西を裏切った瞬間から、検察や警察に逮捕されることを念頭に置いて、独自のストーリーを作り上げていったに違いない。そう考えると、鈴木の言動がA氏や西とのやり取りとはかけ離れて、辻褄が合わなくなってしまうのは当たり前のことだった。鈴木にとって少しでも弁明が破たんすると、その先にあるのは“刑事被告人”である。法曹界での判断によると、「海外財産調書制度」に基づく違反行為を軸にさまざまな法律違反が併合罪として適用される可能性が高いという。鈴木の資産形成の過程において、所得税法、金商法、外為法ほか複数の違反行為が認められ、仮にそれらの違反行為の中で時効にかかるものがあるとしても、「犯罪による収益の移転防止に関する法律」(平成19年より施行)の適用を考えると、資産の全額没収と実刑は免れず、量刑も懲役10年以上となることが想定される、とのことである。ちなみに事情を知る関係者によると、日本国政府が相手国と司法取引で没収という手続に入ると、鈴木を顧客としたプライベートバンクにも厳罰が下ることになるが、相手国にも事実上没収金が“分配”されるのが慣例という。
鈴木の常識を超えた金銭への執着も、嘘を吐く大きな要因になっているに違いない。A氏への15億円と10億円の授受を債務の返済にすり替え、「合意書」とは一切関係がないと言い張るのも、西を裏切らせて、A氏に株取引の情報が届かないように工作したのも、全て利益金を独り占めにしたいがためであり、「仮に『合意書』に約束されたとおりにA氏と西に分配金をその都度渡していたら、A氏はともかく西のラインから足がついて、刑事事件に発展しかねない。それは絶対に御免だ、という独りよがりのストーリーを鈴木が発想した可能性は大いにあり得る」と多くの関係者は指摘する。
宝林の株取引で、200億円を超えるような巨額の利益金が転がり込んできたことが、恐らくは鈴木にも想定外のことだったに違いない。そのことは、紀井も「鈴木は巨額の利益に目がくらんで、暴走したとしか思えない」と証言しており、関係者に共通する実感だった。
だが、問題の裁判では、前記の各項の事実関係と、貸金と「合意書」「和解書」との因果関係は重要視されなかった。敢えて言えば、A氏が訴訟を提起したのは貸金の回収は当然として、それ以上に鈴木が数多くの法を犯して海外に巨額のキャピタルゲインを隠匿している事実、さらには、鈴木がその目的を達成するために身近の少なからぬ関係者たちが変死や行方不明、あるいは自殺、殺人(未遂)等の事件に巻き込まれるような事態が起きており、その原因を作ったのが鈴木ではないかという強い疑念を明確にさせることにあった。それが事実であれば、絶対に放置して置くわけにはいかない、という想いから真実、真相を明らかにしたいためだった。
それ故、訴訟で負けたからと言って、真実、真相の究明が終わるわけでは決してないことを、改めて強調しておきたい。ここまでの悪党は前代未聞で、反省しなければ徹底的に追及すると、ここで断言しておく。
○鈴木が豹変した最大の理由は「強欲」か
裁判官の眼を曇らせた要因には、原告側の主張を裁判官に説得力をもって訴えることができなかった点があり、それが悔やまれる。
鈴木は、平成18年10月16日の和解協議と「和解書」の作成時点から「合意書」の内容をすべて否定した。それでいて「和解書」の作成には異議を挟まず、率先して署名指印したうえに、その後もA氏に頻繁に電話をして、「和解書」で約束したA氏と西に25億円ずつ(A氏にはさらに20億円)の支払方法などについて、より具体的な会話をしていた。つまり、鈴木は「和解書」の約束とその実行を何回も追認していたのだ。
それにもかかわらず、約1か月後の11月28日付けでA氏宛に手紙を送りつけ、25億円の支払を留保撤回し、青田と平林の両人を代理人として指名するから両人と協議をして欲しいなどと、一方的に自分の主張をA氏に押し付けたのである。
しかし、この二人は問題を解決するどころか、「和解書」の約束を反故にするために対応したとしか思えないような、ほとんど嘘だらけの話を並べ立て、さらに1年以上の時間を曖昧に終始させたのだった。
A氏も止むを得ず代理人として利岡を立て、青田や平林との協議に当たらせる中で、面談による協議に加えて書面のやり取りがお互いに繰り返されたのだが、法廷の現場を振り返ってみると、実は、協議中にやり取りされた書面に列記された双方の主張以上のものが、原告側弁護士が作成した「準備書面」(1~18)には見られず、訴訟への方針や戦術が、残念ながら実感できなかった。
その一方で、A氏の代理人となった利岡が平成20年6月11日、静岡県伊東市内のパチンコ店の駐車場で暴力団構成員ら2名に襲われ、全治3か月の重傷を負った事件について、利岡に対する襲撃事件は刑事事件だから、それは民事事件にはなじまないという判断を裁判官が確認したのは分かる。しかし、原告側代理人の不手際は、むしろ主張後の対応にあった。それは、救急搬送された当日の「診断書」では利岡の本当の容態は分からず、改めて伊東市民病院から「診断書」を取り寄せ、可能ならば担当医師の陳述を添えるなどの作業を、何故しなかったのか、という点。そして、何より、その主張を法廷で継続せず、おざなりな論述で放置してしまった点にあった。襲撃事件を主張するにしても、代理人弁護士が原告(A氏)とどれほど微細を詰めて協議したのか、という点もあったろう。
すでに、前章でも述べているように、鈴木の周辺では、周辺関係者の不可解な失踪事件や変死事件が10件前後も続発しており、しかも、利岡の襲撃事件が起こる2年ほど前には西が香港で同様の殺人未遂事件に巻き込まれていた。そうした情報や、鈴木の背後に潜む“暴力装置”を実感してきたA氏にとっては、「またしても」というやりきれない憤りを抑えられない気持ちが湧き立つのは当然だった。
弁護士という立場から、法廷に臨むに当たっての十分な検証がなされ、それを原告とどこまで協議していたのか……。「診断書」や主張の放置などの例を挙げれば、原告側代理人の不手際は否めず、結果的にも裁判官が「合意書」と「和解書」を認定しなかった理由として挙げた「心裡留保」に繫がった可能性は無視できない。
○聞きなれない「心裡留保」とは何か
心裡留保とは、あまり聞きなれない言葉であるが、日本の民法上は「表意者がその真意でないことを知ってした」意思表示と表現され(93条)、冗談として語られる戯言などがこれにあたるという。虚偽表示や錯誤とともに意思の不存在(意思の欠缺)の一種とされるのだが、原則として、意思表示は表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられることはない。しかし、例外的に「意思表示の相手方が表意者の真意を知り(悪意)又は知ることができたとき(有過失)は、その意思表示は無効となる」ということが民法93条の「ただし書き」にある。そして、相手方の悪意・有過失の立証責任は表意者側にあるとの解釈が通例になっているという。
鈴木が「和解書」に同意し、真っ先に署名指印したのは、西が香港で何者かに襲われ殺されかけた事件の容疑者にされそうになったことや、側近と思ってきた紀井に裏切られたことから激しい動揺を感じたために取った行動だった、と法廷で主張した。鈴木に言わせると、西が香港で襲われ、殺されかけた事件が事実あったとしても、それは鈴木とは何の関係もなく、西が「合意書」に絡めて「鈴木から分配金を受け取るために香港に行き、鈴木の関係者に会った直後に事件に巻き込まれた」という、在りもしない話をでっち上げた作り話だと主張した。そして、A氏と西に強烈なプレッシャーをかけられ、このままでは本当に容疑者にされてしまうと思ったとも主張した。
和解協議で西が鈴木に言ったのは、「合意書」作成時の初心に戻って考えるように、ということで、これを何度も繰り返して言った。香港の話は最初に出たが、それはわずか数分に過ぎず、それよりも「合意書を守れ」という一点を強調していた。
鈴木は西から聞いた話として、「A氏の背景には反社会的勢力が控えており、逆らえば命に関わる」などというありもしない作り話を証拠として平気で法廷に提出した(乙第59号証)。しかし、この言い回しは全て西が語っていたことという、まさに“死人に口なし”の作り話であって、A氏と西、鈴木の間でそのような会話がなされたことは一度もなかった。したがって、裁判官には確認のしようもない、極めて卑劣な誹謗中傷であることが分かる。ちなみに、A氏の会社は東京・新宿の高層ビル街に建つ新宿センタービルの43階に本社があったが、同ビルに入居するには厳密な審査があって、仮に鈴木が言うような経歴がA氏にあれば、決して30年も継続して入居などできなかった。鈴木の証言は西が死亡していることを奇貨としてA氏から反論されても「聞いた話」という逃げ道を作った、言いたい放題の証言で、裁判官がこうした証言をまともに採用したとは思えないが、少なからず心証に影響した点は否めないかもしれない。
鈴木は、A氏と西に最大の強迫を受けたがゆえに、不本意にも「和解書」に署名指印したという。すでに述べている通り、10月16日と同23日の面談の録音記録から、そんな事実はないことが一目瞭然で分かることだが、被告側代理人は、鈴木の主張を正当化するために、A氏が反社会的勢力とは極めて友好的な関係を有していて、かつ影響力もあるという虚偽の主張をいくつも並べ立てた。鈴木の友人である青田が「10月16日の面談中に、A氏の指示でビルの8階にあった会社のフロアーにエレベーターが止まらないように操作され、密室(監禁)状態に置かれた」とか「ビルの下で待機していた」、あるいは西が香港で事件に巻き込まれたことについても「西は香港へは行っていない」などという、これも嘘の話をでっちあげて、鈴木が不安と恐怖心に襲われたということを強調したのも、A氏を貶め裁判官に強迫や心裡留保を心証付ける戦術だった。
西が自殺した直後に、A氏が西の妻子と共に鈴木の実父の自宅を訪ね、その後、鈴木の実父と鈴木の妹が同道して最寄りの警察署に出向いた出来事を思い出して欲しい。鈴木が脅しという言葉をA氏に対して使うならば、警察署でその意思を明言する良い機会でもあったはずで、こうした重大かつ深刻な主張に対して、A氏の代理人は、何故か反論らしい反論をしなかったために、裁判官の心証に影響したことは否定できなかった。
鈴木の証言は、前にも触れているとおり、紀井が実態の暴露に及んだ事実を突きつけられて鈴木が動揺した中で宝林株の買収資金を原告が出した事実を認めたのであって、むしろA氏が宝林株の買収資金を出したことで、さらに西と鈴木が積極的に株取引の資金支援をA氏に持ちかけた、というのが正確な経緯だった。
鈴木が嘘まみれの証言ができたのは、西がすでに死亡していて、法廷での証言ができなかったからに他ならない。いわゆる「死人に口なし」ということである。西が存命で「合意書」を交わした後の「A氏を外して利益を折半する」という鈴木との密約、そしてその密約によって報酬10億円と30億円を受け取っていた事実を証言していたら、法廷での状況は天と地ほどの差が出ていたに違いなかった。
そのように見ると、西が死亡していることで嵩にかかってのことか、「乙第59号証」では、弁護士(長谷川幸雄)の質問に鈴木が答える形で、A氏の背後には反社会的勢力が控えている、という西の会話を引き合いに出し、「西のいろんな話を聞いているうちに、原告(A氏)の言うことを聞かなければ危害を加えられるのではないかと不安になり、恐怖に思った」などと、とんでもない嘘をついた揚げ句、「(西が)鈴木さんが支払った金15億円は、ほとんどが金主元の反社会勢力関係者に流れ、自分の取り分が殆どなかったので、原告は債務の返済が無いと言っているのではないか、と言っていた」とまで言及した。これも、全くの作り話だが、鈴木は法廷での尋問で「(全て)そのとおりです」と追認までしたのだ。間違いなく、これは法廷偽証に当たるのに、原告側弁護士はそれを追及しなかった。
先にも触れた通り、西が死亡している中で、西がそのような話を鈴木にしたのかどうかさえ、法廷で公に確認する術を失っていた。とはいえ、原告側の弁護士は、何故かこうした重大かつ深刻な鈴木の陳述に対して、A氏には陳述を最小限に抑え、弁護士自身も強く反論していない。そのことが、裁判官が「心裡留保」を採用した要因になった可能性は高い。
しかし、裁判官は何を根拠にしたかを明確にしないまま、鈴木の主張した“強迫”や“心裡留保”を採用して「合意書」と「和解書」を無効とする判決を下してしまった。鈴木からA氏に送られた2通の手紙には強迫や心裡留保に当たる文言は一切なく、支払の撤回は西と紀井の情報漏えいを理由にしていた。したがって、平林弁護士が鈴木の依頼に応え苦肉の策で作り出した強迫や心裡留保は後付けに過ぎなかったことは十分に分かるはずだった。整合性のない鈴木の主張を、裁判官が証拠として採用したのが不可解でならず、誰が見ても誤審を疑わざるを得ない。
こうして、鈴木が再三にわたって「A氏、西から脅かしを受けた」と主張した点を、裁判官が判決に反映させたのは見て来たとおりだが、被告側の主張の中で反論すべきものの多くを、原告側代理人は反論、抗議もせずに放置したことで、原告が被告代理人から被ったリスクは計り知れなかった。
○西が法廷で証言できないという痛手
鈴木は、A氏に対して繰り返し西を「嘘つき」呼ばわりし、「合意書」の内容を骨抜きにした。しかし、仮に西が嘘つきだからと言って、「合意書」に基づいた株取引が鈴木の言う通り全くなかったかと言えば、決してそうではなかった。
株取引の最初の銘柄となった宝林株800万株の購入、あるいはその後の株価維持に伴うA氏による西への資金支援、そして平成11年7月30日に西がA氏に持参した15億円(3人の分配金のうち西と鈴木の分はA氏への返済金の一部とした)という一連の流れを見ても分かることだが、宝林株以後も、鈴木の指示の下で紀井が売り抜けた銘柄の詳細を語っている事実は重いはずだった。
先にも触れたが、西が記した「鈴木義彦氏がユーロ債(CB)で得た利益について」と題するレポートではエフアールに始まりクロニクル(旧エフアール)、その他銘柄まで9件の個別銘柄に加え、その他銘柄は20件を超えたとしている中で、平成12年から平成18年頃までに鈴木が主導し西が株価維持を図った手口、そして西田晴夫グループが株取引に複数参加していた経緯を具体的に語っている。ここでも例を挙げると、例えば「昭和ゴム」は平成12年6月に発行金額が総額で11億3000万円(113円/1000万株)だったという。この銘柄は鈴木と西田グループの合同で発行されたもので、鈴木が8億円を、西田グループが3億円をそれぞれ引き受け、鈴木が得た利益は「約39億5000万円」だったという。
「IRにおいては私の名前を活用し、伊藤忠商事の元役員を社長に招いて、全面的に株価の吊り上げが行われた結果」だった。
ちなみに、西田晴夫は、平成19年に南野建設の相場操縦容疑で大阪地検に逮捕された後、持病の糖尿病が悪化して4年後の平成23年3月に死亡したが、自らの証券口座を持たず、株の取引は全て側近らの口座を使い、銀行口座すら自らのものを持たなかった。鈴木は西田のノウハウを真似たようにも思える。
西田の側近の口座等にたまった”N勘定”と呼ばれる潤沢な資金については、誰もその所在も行方も分かっていないが、西の前出のレポートによると、「(西田の側近だった)白鳥女史は、このユーロ債(アイビーダイワ)にて15億円以上の利益を上げることができました。ただ、白鳥女史にSEC(証券取引等監視委員会)および国税庁(東京国税局?)から内偵調査が入り、彼女は2002年(平成14年)にヨーロッパへ逃亡し、未だ帰国出来ない状況にある」と記しているが、鈴木が西田の“溜まり資金”を放置することなど有り得ないから、場合によっては白鳥女史と謀って運用に動いた可能性も考えられる。
こうした各銘柄での具体的な西の陳述があって、「合意書」に基づいた株取引が宝林以後も継続していた事実が明確にされていたにもかかわらず、裁判官がこうした証言や証拠資料を軽んじたのは、やはり西が自殺してしまい、株取引を進めていた当時の鈴木とのやり取りについて具体的に語ることができなかった点が、大きく影響したと思われる。
被告側弁護士は、平成11年7月30日に西が15億円をA氏に納めた件について、西の証言(平林との協議でやり取りされた際の書面)を虚偽だと主張した。
「西が、平成11年7月30日に『TAHの口座であった三井住友銀行(麹町支店)等から合計15億円を調達した(15億円のうち8億8000万円については甲41(同行口座の通帳コピー)参照)』ということである。
甲41の1を見ると、平成11年7月29日に『ホウセキノアムール』が…略…9億円を送金している。(中略)
宝石のアムールは、宝林の関連会社である。(中略)宝石のアムールはTAH と何らかの商取引があったと考えられる。したがって、9億円の送金も何らかの商取引に基づいた送金と考えられる」
と主張し、したがって西がA氏に納めた15億円は「合意書」に基づいた利益金の分配金などではない、と断じたのだ。そして、西が、その後に15億円の利益金についての詳細を陳述した部分を全否定したのだ。
こうした主張を一つ上げても、西が死亡していて反論できないことを前提に、さも合理性があるような論述を展開して、裁判官を混乱させた例の一つと見てもいいのではないか。
なるほど、西は鈴木が指定した青田と平林の二人の代理人との協議のさなか、複数の書面を作成して、鈴木による虚偽の主張を跳ね返す役割を負っていた。しかし、いざ法廷の場で西自身が陳述するのと、しないのとでは、裁判官が受け止める心証は大きく違っていたはずで、書面を残しただけでは、やはり弱かったのかもしれない。
それ故、鈴木の代理人は“死人に口なし”を逆手に取ったような戦術を使い、原告側代理人に「求釈明」を乱発したのであろう。
それは、A氏が株取引の内容をどこまで承知し、西からどれほど具体的な情報を取り込んでいたのかを確認するための作業でもあったろうから、鈴木がA氏に対しては一貫して主張した「合意書に基づいた株取引はない」という姿勢を、法廷でどこまで維持できるか、という点で役立てたに違いない。
西は株取引の当初からA氏を裏切り、宝林株の売り抜けで上げた利益の明細を誤魔化した。15億円をA氏に納めた翌日に、A氏の会社に西と鈴木が訪れた際に、株価維持のためにどれほどの資金が注入され、あるいは別にどのような経費がかかったのか、そしてA氏が西に提供した資金の使途などを明確にしたうえで正確な利益金額と、その次に予定する株取引のための予備金をどのように留保するかなどについての報告と打ち合わせが鈴木や西からあって然るべきだった。しかし、西と鈴木はその点を曖昧にしてしまい、鈴木はA氏に会うことも無く、特に西は鈴木の思惑に乗ってA氏への報告を故意に怠った。
これでは、いくらA氏が原告として「合意書」の有効性を訴えても具体的な経緯が説明できるはずはなかったに違いないから、西が法廷で真実を語っていれば、裁判官は「合意書」の有効性を無視することはできなかった。
○控訴審は何故独自の検証を怠ったのか
控訴審の裁判官が地裁の判決を丸呑みして支持した事実を「法曹界の馴れ合い」と前にも触れた。
「一人の裁判官が抱える案件は年に300件前後もあって、裁判所ではその処理のスピードで裁判官の能力が査定されているため、重要な事実、問題の検証を疎かにする裁判官が増え続け誤判、冤罪も起きる。しかし、ひどく閉ざされた世界の内実が表面化することはめったにない」
との指摘もあるが、そうであれば、とんでもない話だ。鈴木の証言が二転三転して、何が真実なのか不明だったこと、例えば、平成11年9月30日付けの「確認書」を盾に「債務は完済された」と言いながら平成14年6月27日に作成された「借用書」について何ら根拠ある説明ができなかったこと。あるいは、「合意書」の文面の解釈で、銘柄欄が空白だったからと言って「本株」と記された銘柄が「宝林」株であったのは明らかであり、A氏が同株式800万株の買取資金を出したことに加えて株価の高値誘導資金を必要として「合意書」が作成された経緯や紀井、西の証言、陳述を真摯に検証すれば、地裁裁判官が「余りに無限定」と切り捨てたような判決を高裁でも丸呑みできるはずはなかった。さらに、鈴木は宝林株の買取を引き受けた外資系投資会社とコンサル契約を結んだのを手始めに、他の外資系投資会社とも契約を結んで、日本での株式投資のアドバイスをしていたと法廷で証言したが、「合意書」には「今後の一切の株取引」と明記されていて、鈴木が「合意書」に署名指印した限りはこの制約を受け続けることになるから、当然、仮に鈴木のコンサル契約なるものがあったとしても、その情報はA氏にも共有させなければならなかったのではないか、という疑問に対する検証が何一つなされていなかった。
こうした、いくつもの重大な疑問に対する真実を見極めなければいけないはずが、裁判官が何も審理しなかったのは何故か。繰り返しになるが、以下に地裁裁判官の誤審を疑わせる重大な事実を列記する。
- 「合意書」は確かに銘柄欄が空白で「本株」という記述があるのみだったが、この「本株」が宝林であることは明白だった。また裁判官は「和解書」作成までの7年以上、株取引にかかる協議がほとんど行われていないと言うが、それは鈴木が故意にA氏に情報を入れない状況を作り、西も鈴木に篭絡され協議の場を作らせなかったからに他ならない。その事実を補完するはずの紀井の証言、西の残したレポートを裁判官が軽んじたことが不可解すぎる。しかも、鈴木が西に「合意書」破棄を執拗に迫った事実、宝林株取引が「合意書」に基づいていたことを鈴木が認めた事実を裁判官が重大視しなかったのは何故か?
- 株取引がその後も継続して実行されていた事実は、西が記述した「鈴木義彦氏がユーロ債(CB)で得た利益について」と題するレポートでリアルに描かれており、そこに記載された銘柄は、一方で紀井が記述した「確認書」(鈴木の指示で売り抜けた銘柄と個々に得た利益の金額を明示)に記載した銘柄と一致していた。
- 西は平成18年10月2日に香港に向かう際、妻に置手紙を残していたが、その手紙の中で宝林株を始めとする株取引により得た利益のうち30億円を受け取った事実を明らかにしていた。これとは別に「合意書」の破棄に絡み、それが実行されたと西から聞いた鈴木が報酬として10億円を西に渡していた事実も明らかになった。
- 鈴木は自分の行動を秘密にして、A氏が会おうとしても所在を不明にしたままだった。西がA氏を裏切り、鈴木との距離を置く工作をし続けたのが大きな要因だった。
- 平成11年7月30日、西が「株取引の利益」と言ってA氏の会社に15億円を持参した事実について、翌7月31日に西と鈴木がA氏の会社を訪れ、15億円の処理手続きを確認すると共に、A氏が15億円のうち1億円(西と鈴木にそれぞれ5000万円)を渡したことに西も鈴木も礼を述べた。
- 西が平成18年10月2日に香港に出向いたのは、鈴木との密約に基づいた利益の分配金を受け取るためだったというが、西は事件に巻き込まれ数日間生死をさまよった。西の証言によれば事件に鈴木が関与していた疑いが強く浮上したが、これをきっかけに西が鈴木との密約の一端をA氏に暴露したことから、鈴木による利益の独り占めと海外での利益隠匿の実態が紀井の証言により徐々に明らかになった。しかし、裁判官は何故か紀井の証言を軽んじ、鈴木による株取引は「合意書」に基づくものとは断定できないとして、利益の分配を求めたA氏と西にはその権利が無いとして「和解書」を無効とした。裁判官は、その根拠として鈴木が主張した「公序良俗違反」、「強迫、強要」、「心裡留保」を採用した。
- 「和解書」には、「乙(西)と丙(鈴木)は、甲(A氏)に内密で本合意書に違反する行為を行った場合は、乙丙の利益の取り分は一切ないと決められているが、最近の経緯から乙丙が本合意書に反したことは明白である」と記されており、鈴木は2度、3度と読み返した上で真っ先に署名指印した。これにより、鈴木が西と共に「合意書」に基づいた株取引を実行し、しかも「合意書」の約定に違反した行為があったことを認めた事実は重い。
- 和解協議を終えて、A氏の会社を出た鈴木は紀井に電話して、「100億円以内で済んでよかった。香港の口座はバレていないかな?」という話をした、と紀井が証言した。「香港の口座」とは紀井が鈴木の指示に基づき、株取引で吸い上げた利益を紀井が海外に送金する際の、鈴木にとって重要な拠点が香港だったことを意味していた。裁判官が紀井の証言を退けたのは何故か?
- 「和解書」作成後、鈴木は頻繁にA氏に電話を入れ、「和解書」を追認する言動を繰り返した。さらに、同年10月23日にはA氏の会社を訪れ、「和解書」に記した50億円の支払方法等について、より具体的な内容に触れた(当日の録音記録がある)。その点で「乙58号証」の鈴木の陳述は「強迫」や「心裡留保」を裏付けるためであっても、鈴木の証言が二転三転している事実から、明らかに信憑性を問われるものだった。
- 前記電話でのA氏との会話の中で、鈴木が「西が株を買い支えするために蒙った損害は70億円と言っているが、正確な数字を知りたい」と尋ね、2~3日後にA氏が58億円数千万円と伝えると、鈴木は「その損失額は利益から差し引いて3等分するべきですね」と言った。この発言は、まさに「合意書」に基づく株取引が実行された事実を鈴木自身が認めたものだった(買い支え資金のことは鈴木が一番気にしていたことで、株価の相場作りは全て西にやらせ、A氏にも会おうとしなかった)。
- 鈴木の代理人、平林と青田両人との交渉で、A氏は止むを得ず代理人を立てることにしたが、平林と初めて面談した際、平林がA氏に「社長さん、50億円で何とか手を打って頂けませんか? 50億円なら、鈴木もすぐに支払うと言っているんで……」と言ったが、「強迫」や「心裡留保」が事実ならば、そのような言葉を口にするはずはなく、もちろん鈴木の意思であった。
- 和解協議の場で、紀井が株取引の実態を証言した事実を巡って、鈴木が西に対して「じゃあもう命落とせば良いじゃないか今。そんだけの腹あるのかお前」(録音記録より)という発言をしたが、「強迫された」と言っている人間が、強迫しているという人間に吐く言葉ではない。
- 平成18年11月下旬、鈴木はA氏に宛てて手紙を送ってきた。そして、唐突に「和解書」の履行を撤回し、さらに今後、自らはA氏と直接会わず、代理人を立てると言い出した。しかし、その書面で鈴木が主張した撤回の理由は「強迫」や「心裡留保」などではなく、西と紀井の情報漏えいを理由にしていた。しかも、A氏に対して「男として一目も二目も置く人には、今までほとんど会ったことがない」とか「大変お世話になった」と述べていた。「強迫された」という人間が手紙で、このような文言を書き連ねることは有り得ない。
- 西が平成22年2月に自殺した直後、A氏は西の妻子と共に鈴木の実父(鈴木に頼まれ、西の会社で働いていた)の自宅を訪ねた。鈴木の実父と鈴木の妹が同道して最寄りの警察署に出向き、鈴木に電話を架けると、鈴木は言を左右にして「今は警察署には行けない」と言って拒み、「明日以降で必ずA氏氏に電話をするから」と言ったにもかかわらず一度も電話はなかった。強迫という言葉をA氏に対して使うならば、警察署でその意思を明言する良い機会でもあったはずなのに、鈴木は自ら拒んだ。
- 前記の和解協議で、鈴木はA氏に対し50億円とは別に20億円を支払うと口頭で約束した。しかし、その後はこれを「贈与」と言ったり、法廷での証人尋問では「20億を払うとは言っていない」と変わった。これらの証言が虚偽であることは、前記面談の録音記録から明らかだった。
- 「心裡留保」が採用された背景事情には、鈴木が西から聞いた話として「A氏の背景には反社会的勢力が控えており、逆らえば命に関わる」などというありもしない作り話を証拠として平気で法廷に提出した点が挙げられる。「原告、被告がそれぞれ、どれほどのウソを吐いても偽証にはならない」とはいえ、これは余りにも度を過ぎた被告の偽証だ。鈴木の言い回しは全て西が語っていたことという、まさに“死人に口なし”の作り話であって、A氏と西、鈴木の間でそのような会話がなされたことも一度もなかった。したがって、裁判官には確認の仕様もない、極めて悪質で卑劣な誹謗中傷であることが分かる。ちなみに、A氏の会社は東京・新宿の高層ビル街に建つ新宿センタービルの43階に本社があったが、同ビルに入居するには厳密な審査があって、仮に鈴木が言うような経歴がA氏にあれば、決して30年も継続して入居などできなかった。
- 鈴木への貸付は、手形による貸付け(約17億円)、ピンクダイヤと絵画、高級腕時計等の売却代金(約7億4000万円)、借用書を下にした貸付金(3億円)、そして鈴木が逮捕される直前に貸し付けた8000万円を加えれば、総額は約28億円となり、貸付け当初に約束された金利(年15%)を加算すると、鈴木が新たに借用書を作成した平成14年6月の時点では40億円を優に超えていた。これらの貸付に対して、裁判官は、時計について「合計45億円相当の価値を有するという本件腕時計を合計4億円で販売することを委託するというのは、そもそも経済的に極めて不合理な行為というほかないところ、前記約定書においても、販売価格の決定過程に関する客観的かつ合理的な説明はされていない」などとして、また「本件絵画等の委託販売については、エフアールが会社として責任をもって行うことが合意されていたとみるほかないから、原告から本件絵画等の販売委託を受けたのはエフアールであり、被告個人ではないというべきである」として「被告が本件腕時計本件絵画等の販売委託契約の債務不履行に基づく損害賠償債務を原告に対して負うことなく、同債務を旧債務とする準消費貸借契約が原告と被告との間で成立する余地もないというべきである」と認定してピンクダイヤと絵画、高級腕時計等の売却代金の約7億4000万円については債権の存在を認めなかった。A氏との関係はエフアールではなく鈴木個人である、という前提を裁判官は何ら考慮していない。「連帯保証」という立場で責任、義務を負う体裁を繕うのが鈴木の常套手段ではないのか。天野氏はこの件に関しても「ピンクダイヤの話は聞いたことがあるが、それ以外のことは全く知らなかった」と言った。
- 鈴木は「確認書」(平成11年9月30日付)を悪用して「A氏に対する債務は完済された」という主張を法廷の場にも持ち込み、「債務者はエフアールで、被告は関知しない」とまで主張した。さすがに裁判官は「債務完済」という鈴木の主張を認めなかった(平成14年12月24日に鈴木は10億円を持参していたので、辻褄が合わなかった)が、問題は、鈴木が同日に支払ったという15億円について、授受の期日を曖昧にしたまま返済金扱いにしてしまったことだ。この点で判決は同年7月30日に株取引に係る利益15億円を西が持参した事実についてほとんど言及していない。裁判官は「合意書」「和解書」を無効にしたために、A氏に渡された15億円と10億円の意味づけに窮して返済金としてしまったが、これらの金は、鈴木が一人で稼いだものではなく、少なくとも西が宝林株の買収で関わり、その資金をA氏が出したからこそ、紀井が売り抜けに成功した結果であった。裁判官はこうした金の出所についても検証を怠った。一部にはA氏の代理人であった弁護士による不手際が裁判官の心証に悪影響をもたらした事実は認めざるを得ないが、それ以上に裁判官は検証すべき重要なポイントを省いてしまったのではないか? という疑念が深い。
- A氏の手元にある「借用書」や「預かり書」等の書類の原本全てを、鈴木は「回収漏れ」と言ったが、金銭の貸借および処理で「回収漏れ」など、本来会ってはならないことではないか。まして、鈴木を知る誰もが「鈴木は相手方にある書類の一切を回収することに執着する男で、回収漏れなど絶対にあり得ない」と言う。
- ピンクダイヤとボナールの絵画、時計の販売委託について、鈴木は、平成9年10月15日付で3億円が貸し付けられた際の借用書を持ち出して「購入代金として渡したもので、金銭の授受は無い」と主張した。しかし、ピンクダイヤをA氏から預かる7ヶ月も前のことである。まったく支離滅裂な主張でしかなかった。裁判官が7億4000万円債権を無効にしたことは、鈴木の悪性を見逃した本末転倒と言わざるを得ない。
以上のように鈴木の疑惑に満ちた証言の数々を慎重に検証すれば、主張の矛盾や破綻がすぐに分かるはずで、それにもかかわらず裁判官は無視したのだ。そして、控訴審において裁判官は怠慢にも判決文を校正したに過ぎなかった。これが明確に誤審を疑われる理由であり、したがって判決も誤りと言わざるを得ないのだ。
青田光市が弁護士の平林英昭とともに鈴木の代理人としてA氏側との交渉に当たっていたのは前にも触れたとおりだが、その言動は全てが虚偽であるだけでなくA氏に対する誹謗中傷は度を過ぎていた。それが鈴木とA氏の交渉を混乱させ最悪の状況を作ったともいえる。それらの言動は本人が法廷で証人の宣誓をしていないから免れたが、明らかに法廷偽証に相当するものだった。
青田は、長年の付き合いがある暴力団との関係を維持するために鈴木の資金力を利用してきたが、「鈴木がF1チームのオーナーになる」という話まで吹聴して鈴木の資金力を誇示していたようである。F1チームのオーナーともなれば、年間で100億円からの資金が無ければ務まらないと言われるだけに、金にものを言わせ手足として使うには十分すぎる印象を暴力団員に与えていたに違いない。
「鈴木がF1チームのオーナーになるという話が出るのは、鈴木が『合意書』に基づいた利益分配を独り占めしたからに他ならない。『合意書』には違反をした者は取り分がないと明記しており、隠匿資金の全額が没収の対象になるのだから、青田が軽はずみに吹聴することではない」(関係者)
そうした一方で鈴木の所在が掴めず、行方を確認しようとした関係者が青田の住むマンションを訪ねた際、青田は何を慌てたのか、その関係者を指して「A氏が俺を殺そうとしてヒットマンを差し向けた」とか「A氏はヤクザ者でシャブ中だ」などとわめいて、ひどい興奮状態にあったため、周囲に集まってきた10人近くの近隣住民が驚き110番に架電して警官を呼んだ。そして、駆けつけてきた警官は放置できず関係者から事情を聞かざるを得なかったという。青田の対応は暴力装置と警察を自己都合で使い分けるような卑怯な発想から生じていた。青田は暴力団習志野一家のNO.2(楠野伸雄)とは20年来の付き合いがあったことから、利岡襲撃事件で教唆犯を強く疑われ(習志野一家の上部団体幹部数人の証言がある)、さらに香港から帰国した西義輝に尾行をつけるなど常に“闇の中”でうごめいているような日常を過ごしてきた青田だからこそ、同様の報復を受けるという恐怖感を持っていたのではないか。しかし、そうした発想を持たざるを得ないほど青田はA氏を始め関係者に誹謗中傷を繰り返し、時には暴力装置さえ動かした疑いを強く持たれており、それ故に告訴、告発が準備されているという。
また、鈴木のウソを正当化するために、杉原正芳弁護士は金融庁へ提出した大量保有報告書で全く実体のないペーパーカンパニーの代理人と称して虚偽の事実を平然と書き、名前を使われた紀井義弘から抗議を受けても知らぬ振りをするしかなかった。鈴木は一連の株取引で数十社のダミー会社を用意したが、杉原は書類を作成する必要があるたびに代理人に就いていた。今後、金融庁や国税局が鈴木の海外隠匿資金の解明に動いた時、実態のないダミー会社の代理人を引き受けてきた杉原は、それこそ只では済まされない。
長谷川幸雄(弁護士)は、それが戦術だったとはいえ、法廷で原告の人格攻撃をいとわず法廷での傍若無人さが際立ち、A氏の代理人に対して審理中にもかかわらず「うるさい、黙れ」などの暴言を吐いて裁判官からたしなめられるという場面があった。また、長谷川が事前に判決の内容を知っていたのではないかと疑うような発言を判決の当日にしていた。書記官が判決文を法廷に持ってくるまでの待機時間に、長谷川は同席していた被告側弁護士たちに「大丈夫、この裁判は負けない」と居丈高に言い放っていたのである。実際に判決もA氏の敗訴となったが、「負けない」と豪語した長谷川には何らかの裏づけとなる根拠があったかのように思われた。特に全国の地裁レベルでは現在でも裏取引があるという噂は拭い切れずに残っているという。判決が不可解で異状であったことは誰の目から見ても明らかだったが、真偽は今も不明だ。
同じく代理人を務めた平林英昭弁護士も利岡襲撃事件に関連して暴力団トップとの面談行為を繰り返すなどして、いずれも弁護士にあるまじき懲戒相当に当たる作り話を大々的に拡散させた。杉原、長谷川、そして平林の各弁護士が懲戒に相当することは明白であり、鈴木の傍にいて事件を誘発させた青田には赤坂マリアクリニックの乗っ取りで威力業務妨害、窃盗、有印私文書偽造・行使、詐欺ほかいくつ者嫌疑がかけられていたが、それらの嫌疑と同様の違法行為を繰り返している可能性は高く、いずれ名誉毀損、信用毀損等でも法的措置が突きつけられ、大きなダメージを受けることになる。
なお、裁判において鈴木が勝訴したからと言って、A氏が鈴木に対して有する債権が消滅したわけではない。これまで見てきたとおり、鈴木が巨額の資金を隠匿するために犯したと疑われる違法行為は数多くあり、その一つでも事件として公然化すれば、鈴木は間違いなく違法性を問われ、刑事罰の対象となる。その時には鈴木は隠匿資金をそっくり没収されることになるに違いないが、A氏にとっても再審の道も開かれるに違いない。