【エピローグ】
裁判官は、鈴木に対する貸金の返済請求はかろうじて認めたが、それは積極的な認定ではなかった。つまり、西が株取引の利益15億円をA氏の会社に持参した期日を曖昧にして「平成11年7月から9月」としたり、A氏が西を経由して鈴木に渡した「確認書」を悪用して「A氏への債務は完済された」という主張と平成14年6月27日付けの「借用書」の矛盾、さらに10億円を同年の12月24日にA氏の会社に持ってきた事実について何ら言及しておらず、裁判官なりの整合性を取るために鈴木の主張を退けたに過ぎない。果たして10億円は返済金なのか、利益の分配金なのか、という疑問の解明には踏み込んでいないのだ。
もちろん、この10億円も返済金などではなく、株取引に係る利益の分配金とするのが当然だったが、裁判官はA氏に支払われた15億円と10億円を全て鈴木の返済金と認定したために、A氏の証拠、証言は採用されなかった。敢えて言えば、A氏が訴訟を提起したのは、貸金の回収は当然として、それ以上に鈴木が数多くの法を犯して海外に巨額のキャピタルゲインを隠匿している事実、さらには、鈴木がその目的を達成するために少なからぬ身近の関係者たちが変死や怪死、あるいは自殺、殺人(未遂)等の事件に巻き込まれるような事態が起きており、その原因を作ったのが鈴木ではないか、という疑念を払しょくできないからである。そうであれば、絶対に放置して置くわけにはいかない、という想いから真実、真相を明らかにしたいとするのは当然のことである。
それ故、訴訟で負けたからと言って、真実、真相の究明が終わるわけでは決してないことを、改めて強調しておきたい。
西が自殺をしてから10年が過ぎ、鈴木本人からの連絡が途絶えてかなりの時間が経過していた。しかし、その間、鈴木は霜見誠やステラ・グループ(旧エルメ)などを株式運用のパートナーや拠点として利益隠匿資金をさらに膨らませ、「1000億円以上の巨利を得て悠々自適にしている」という情報が各方面から入ってきていた。
A氏は何故、何らかの行動を起こさないのか? と訝る周囲の知人や友人、元社員たちが大勢いた。その人たちはA氏とは長い付き合いがあり、過去にA氏にさまざまな形で世話になったが、「我慢するにも限度があるのではないか」と事あるごとに言っていたのである。
今までの経緯を見れば明らかなように、鈴木はA氏に世話になったことを感謝し、恩返しをするとまで言った。あるいは「海外に口座を作る検討をして欲しい」とまで手紙に書いて来たこともあった。
A氏の周辺関係者たちも、まんざら口からでまかせの方便ではなかったのではないか、と感じたこともあったようだが、合意書は、特に鈴木が「これに協力して戴けないと自分も西会長も返済ができません」とまで言っておきながら、合意書を破棄させようとしたりするやり方はまともな人間とは思えない。株取引に係る一連の経緯が公になれば、鈴木の犯した行為は間違いなく法的な処罰を受ける対象となる。
鈴木は、かねがねA氏に「私の男気を見せます」とか「これは私の男気です」「私の男気を信じてください」などと「男気」という言葉を多用していたが、実際には全く逆の人間であったと関係者全員が言う(確かに、青田や平林、それに長谷川との連携で嘘を重ね、特に乙第59号証はまさしく裁判でここまでやるのは並みの犯罪ではない)。
何よりも平成9年当時、鈴木は必死で西に縋り、西がA氏を紹介することにより高利の返済や日々の資金繰りでも救われた。西との出会いがなければ、鈴木は間違いなく自己破産はもとより自殺の道さえ選択肢にあったとさえ思われる状況をA氏が全面的に支援したことで窮地を脱したのであった。その事実の重さを何とも思わず、鈴木は後ろ足で泥を引っ掛けるように西やA氏を裏切り続け、遂には西を「信用できない男」というレッテルを貼り続けて徹底的に悪者にした。その言動は、まさに鈴木の本性を見せ付けるものだった。鈴木の言動は決して許されないことであり、そのような人間が“男気”という言葉をみだりに口に出すことすら許されない。
鈴木が、最初にしたはずの“男の約束”を守らず、約470億円とされる利益の隠匿がばれそうになった時にさえ、「利益は60億円くらい」と嘘をつき、「和解書」を交わしながら、事もあろうに一か月もしないうちにそれを手紙で撤回した。そして自らの所在を不明にして、音信も不通にしてしまった。何かを頼むときには涙まで流して土下座までするが、言い訳できないときには逃げ回る。これだけの事実を挙げても、鈴木には良心の呵責や男気のかけらも無いことが分かろうというものだ。
鈴木が友人から依頼され、オークションで1億2000万円で落札したネックレスを「少しの間借りたい」と言って持ち帰り、事もあろうに細木数子(占い師)にプレゼントしたという話は、業界では知る人ぞ知る。一部には細木が脱税の指南役になっているのではないかという話もある中で、細木も鈴木との出会いが命取りにならなければ良いが、という声さえ上がっている。
裁判官は、どうして鈴木の人間性を見抜こうとする発想が無いのか。鈴木が所在を不明にして後、弁護士の平林が実際には嘘だらけの主張を繰り返し、しかもそれが二転三転したうえに法廷にまで持ち込んで、嘘を倍化、三倍化させたにもかかわらず、その事実を裁判官は全く無視したかのように気づいていない。
ちなみに裁判官の実態を明らかにする書籍が少なからず出版されているが、「疑問だらけの裁判官」というキーワードでネット検索すると、問題判決を実例として取り上げて裁判官の姿勢を問い、原因を探る内容が描かれているので、いくつかの例を以下に引用する。
『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』ほか『民事訴訟の本質と諸相』『民事保全法』など多数の著書を上梓している瀬木比呂志氏は1979年以降裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務して来た経験から「日本の裁判所には、戦前と何ら変わりのない上命下服、上意下達のピラミッド型ヒエラルキーが存在して」いて、その結果、「何らかの意味で上層部の気に入らない判決」あるいは「論文を書いたから」という理由で突然左遷されるという。異動の辞令を受けた裁判官は何故左遷されたのかという基準が分からず、また、どの判決文によって反感を買ったのかを推測するしかないから、いつ報復されるかも分からない不安に駆られるために、多くの裁判官は上層部の顔色ばかり窺っている、というのだ。
「判決の内容は間違っていなくても、上層部の気に入らない判決を書いたという理由で人事に影響する。裁判所には“自分の意見を自由に言えない”といった空気がまん延しているので、組織が硬直してしまっている」
と瀬木氏は裁判所の状況を憂慮している。
「裁判所の服務規定は明治20年(1888年)に作られたもので、休職はもちろん、正式な有給休暇の制度すらない」「かつての裁判所は、平均的構成員に一定の能力と識見はあったので「優良企業」だった」が、今の状況では「ブラック企業」と呼ばれても仕方がないという。(以上ITmediaオンラインでのインタビューより)
「いい裁判官とは? 普通に考えれば、質の高い判決文を書ける裁判官のことだが、実際の評価基準がそうだと思ったら大間違い」と言い、その理由として「裁判官の人事評価の基準は、『どんな判決文を書いたか』ではなく『何件終了させたか』です」と中堅弁護士がコメントしている。
「裁判所では、毎月月初に前月末の「未済件数」が配られる。裁判官の個人名は記されず、「第○部○係、○件」とあるが、どの裁判官がどの事件を抱えているかは周知の事実。前月の件数との差し引きで、誰がどれだけ手掛けたかがすべてわかる」
と言うのだ。「事実上、これが彼らの勤務評定。判決文を何百ページ書こうが、単に和解で終わらせようが、1件は1件。和解調書は書記官がつくるから、同じ1件でも仕事はすべて書記官に押し付けることができる」(中堅弁護士) (PRESIDENT 2012年12月3日号より)
本来、裁判官は「準備書面を読んで、事実関係を整理し、理由と結論を書く」べきとしながら、「きちんとした判決を書けない裁判官が、準備書面をコピー&ペーストして判決文にしてしまうのが横行している」(前出瀬木氏)というが、本稿で問題にしている裁判官も「合意書」の有効性や実行性については鈴木側の主張を丸呑みした格好で西や紀井の陳述を軽んじたり無視をして否定した。さらに東京高裁の裁判官に至っては、第二審として独自の検証をせず、見解も示さないまま、ただ地裁判決文の誤字・脱字などの誤りの訂正をしただけという、余りにお粗末な判決を平然と出した。貸金返還請求訴訟の判決が誤審を重ねた揚げ句の誤判であるとする所以だ。
東京地裁の判決、そして同高裁での判決を受けて、A氏よりもむしろ周辺関係者たちの方が色めき立ち、さまざまに鈴木を糾弾するための調査を徹底している模様だ。とはいえ、いずれも金融当局(金融庁、国税庁ほか)や司法当局(検察庁、警察など)へ鈴木の違法行為を告発するという点では共通しているという。
実を言えば、本書を上梓するに当たっても、関係者から数多くの資料や証言の提供を受けた事実がある一方、別の関係者によると、「鈴木が海外に流出させ、プライベートバンクに隠匿している資金(利益金)は、今や1000億円を超えているというが、元になったはずの宝林株の利益金から始まり、およそ7年間で海外に流出させた金額は約500億円に上ったというから、それから数えても10年間で隠匿資金が倍増しているのは十分に考えられる。その隠匿資金がどこにあるのか。すでに、その端緒はつかんでいる」という。
鈴木を告発するに当たって、関係者たちの人脈はICPO(国際刑事警察機構)、OECD(経済協力開発機構)ほか、米国の歴代大統領や政財界トップの人脈につながるほど幅広く、多くの関係証拠資料が提出された時には、これまでの鈴木の悪事(マネーロンダリング他)は全て洗い出されるに違いないという。事が公になれば、海外資金は全て凍結され、同時に多くの刑事罰が科され、日本だけではなく世界のニュースでも取り上げられることだろう。
振り出しに戻る――。平成10年5月、親和銀行を巡る商法違反事件で逮捕、起訴された鈴木は、物心両面で身動きの取れない状況に追い込まれていた。それを救ったのがA氏だということを忘れ、裏切り、あくどい金銭執着の道を選んだ結果、鈴木は再び同じ状況に舞い戻る格好になる。
鈴木は証券界では評判が悪く、信頼できる人間関係もない。鈴木自身が極力表面に出ないようにしているために金銭的条件で誘惑して株の仕事を手伝わせる第三者がどうしても必要になってくる。今後は、その人間が不可解な死を遂げたり、行方不明にならないことを祈るばかりだ。
鈴木があくどい金銭への執着を実現するために、周辺の人間を不幸に陥れるような違法行為を繰り返し、許しがたい嘘をつき続けたことは断じて看過してはならない。
西義輝が東京オークションハウスを経営してマスコミに取り上げられ始めた頃に宝石、美術品のオークションに興味を持ち、数度、西と面識を持った人物からも話を聞いていた。その時には、まさか今回の事件の当事者としての西を取材するとは思っても見なかったが、親和銀行事件を始めとした鈴木の一連の事件を取材する中で再び会うことになった。西には以前の縁から非常に臨場感のある話を聞くことができた。
それだけに西の自殺を知ったときは非常なショックを受けたが、冷静に考えると、西は資金力もあり仏のような慈悲を持った人間と、大恩を仇で返すような、信義を全く持ち合わせていない極悪非道の人間との出会いを取り持ったことから、自殺にまで追い込まれたのではないか……。
及ばずながらではあるが、真実を追求することが供養にもなると思い取材を続けているが、人として生きていく中で「良心」を忘れてしまった鈴木と西という二人の男の生き様を垣間見たような気がする。二人の男は、母親の胎内から出てきたときには持っていたはずの「良心」を何処で落としてしまったのか。その答えを見つけ出すことは困難であるとしても、取材をさらにどこまでも続ける。
裁判での鈴木の勝訴は、鈴木の今後に重い負荷となる可能性が高く、裁判記録をより慎重に検証しているマスコミの記者が数多くいて、鈴木に対する関心が一層増すことになったことに対し鈴木はどのように認識しているのだろうか。前述したように、エフアールの経営破たん、あるいは自己破産の寸前でA氏に救われながら、その後周囲の関係者が10人前後も自殺や変死、あるいは行方不明等になっていることへの認識もまた同様である。鈴木は1000億円を超える資産を海外に隠匿しているとの疑惑が持たれているが、世界レベルで見ても、これだけの規模の事件は無い。
こういう言い方は適切ではないかもしれないが、事件の犯人の心情が理解できて、同情してしまうことも少なからず経験してきた。逆に、法律での裁きが手ぬるく、犯人が未成年者や精神障害者ということで被害者側の無念な思いに涙することもあった。しかし、今回の事件は、それらとは全く異質な出来事である。それは一般人としては理解できないほど想像を絶する多額な金銭の貸し借り、それに絡む株取引で世界を股にかけた外為法違反、脱税行為、詐欺行為、そしてさらに不可解な死、殺人未遂事件、自殺などが、我々が知らない所で複雑に絡む大事件として進行していたのである。(了)
【系 譜】
この事件は、約20年前の平成11年春、鈴木義彦と西義輝による大規模な仕手戦に端を発していた。その2年ほど前に西と出会った鈴木が、経営するエフアールの資金繰りを相談。その結果、A氏と西、鈴木が会うことになる。それから間もなく、親和銀行不正事件で鈴木が逮捕・起訴(平成12年に懲役3年、執行猶予4年の有罪判決)され、半年後に鈴木が保釈されると、西が鈴木の再起を手助けすることを口実に、A氏へ株投資プロジェクトの提案をする。3者での株式投資プロジェクトに関する「合意書」が作成された。
最初に仕掛けた銘柄(宝林)で160億円以上の純利益が上がったが、しかし、A氏への経過報告義務違反と利益金額の虚偽報告で、鈴木と西の裏切り行為が始まる。宝林に始まる仕手戦での裏切りは、最初からの計画だと思わざるを得ない。以下、主だった関連事実を時系列で示す。
1978.04 鈴木義彦が宝飾品の卸売・販売業「富士流通」を創業。
1984. 業態を小売主体に転換し海外ブランドの時計、バッグを扱う。
1989. 社名を「エフアール」に変更。鈴木を知る関係者によると「鈴木と天野は若いころに暴走族仲間だった。会社の幹部は全て友達で固めていたので、鈴木社長の決定は絶対だった」と指摘する。
1991. 株式を店頭公開。
1992. 9月期の売上高268億3200万円を計上。(粉飾決算)
1995. 西義輝と鈴木義彦が知り合う。鈴木がエフアールと鈴木個人の資金繰りで西に相談。西が旧知の田中森一弁護士を親和銀行顧問、監査役に据え、結果、鈴木は新たな融資を引き出した。
1997. 8月頃、西が鈴木をA氏に紹介。間もなく鈴木への貸し付けが始まり、短期間で手形13枚によりにより約17億円、借用書により3億円が貸し付けられた。加えて、鈴木はピンクダイヤモンドと絵画を持ち込み、A氏は言い値の3億円で買ってあげた(絵画は一度も持参しなかった)。また、A氏保有の高級時計(13本上代約45億円分)も同様に持ち出した。
1998.05 28日、鈴木がA氏の会社を訪れた際、A氏より逮捕情報を聞かされた。鈴木はピンクダイヤモンドと絵画を「売らせてください」と言ってA氏より預かり、予め用意していた「念書」をA氏に渡した。また、現金8000万円を借り受けた。
※鈴木は西の妻からも1800万円を借りていた。西に対してはエフアールの存続対策や愛人と子供の生活費への工面等を依頼し、西は鈴木の逮捕後、愛人に毎月50万円を渡した。
1998.05 31日、親和銀行不正融資事件で鈴木が警視庁に逮捕される。不正融資は1993年頃から始まっていた。
1998.12 鈴木が保釈され、都内の愛人宅に身を寄せた。西が朝から酒浸りの鈴木に早く日常を取り戻すよう説得し続けた。
1999.03 勧業角丸証券課長の平池より西に宝林株800万株の売却話が持ち込まれる。西は約1か月の調査の後、株購入を決断。
1999.5 20日過ぎより末日までに購入資金3億円をA氏より借り受ける。31日に宝林株を取得するが、鈴木は海外のオフショアにペーパーカンパニーを用意し、うち3社を引受の受け皿とした。宝林株を高値で売り抜けようとするが、株価を高値で維持する資金が続かず、鈴木と西はA氏に資金協力を求めた。
1999.07 8日。A氏、西、鈴木の3者で「合意書」を作成。西と鈴木による仕手戦の底支え資金をA氏が提供することが合意された。
1999.07 30日、宝林株で利益が出たとして西がA氏に15億円を届ける。実際の純利益は50億円を超えていた。なお、この時、西は「私と鈴木の取り分は借入金の返済に充てる」と言い、A氏は15億円を受け取り、西に1億円(西と鈴木に5000万円)を渡した。翌31日、西と鈴木がA氏の会社を訪ね、15億円の処理を確認するとともに、A氏より5000万円ずつを受け取ったことに礼を述べた。
※鈴木と西はA氏を外して利益を分配するとの密約を交わし、鈴木は西に「合意書」の破棄を執拗に迫った。西がそれに応じ「合意書は破棄した」と鈴木に伝えたことで、複数回に分けて報酬10億円が鈴木より支払われた。
※金融庁へ宝林株の「大量保有報告書」を提出するにあたり、外資系投資会社の常任代理人に就いた杉原正芳弁護士は資金の出所につき「紀井義弘」と虚偽の申告をした。2006年10月にその事実を知った紀井が杉原に抗議するも、杉原からは一切返事はなかった。
※鈴木は西に「今後はM&Aを専門とする会社を作る必要がある」と言い、ファーイーストアセットマネージメント(FEAM)が設立された。鈴木が西に申し出た要求の一つが専用の車と給料の提供で、「(車は)関西のグループとの付き合いでは見栄も必要となるので、黒のベンツに」とか「給料は社会保険付きで」と言った。ベンツの購入代金が1400万円、専属の運転手の雇用で1200万円、他にもガソリン代や維持費等で250万円がかかり、鈴木への給料に至っては2250万円を支払ったと西は言う。さらに鈴木の愛人と鈴木の実父にそれぞれ50万円と60万円の給料を支払う約束をさせられ、それに伴う費用が約2000万円を要した。
※エフアールの専務だった大石高裕の妻に5000万円の貸付を発生させたのも同社だった。「鈴木と大石は公判中でもあり、鈴木から『大石の口を封じたい』という要請があった」。これらの支出は、鈴木が責任を持って利益を積み上げるという約束の下に西は実行したというが、鈴木から返還はなかった。
※鈴木は親和銀行との示談交渉を進めた結果、2000年1月11日、和解金約17億円の支払いを約束して成立した。これにより、鈴木が判決で執行猶予となることが確実視された。A氏はこの示談交渉の経緯を知らされておらず、株取引の利益をもって支払いを約束し実行した行為は「合意書」に違反したもので横領に当たる。
1999.09 30日、鈴木の要請に基づいてエフアールの決算対策を名目に鈴木より預かっていた手形の原本と「債権債務は無い」とする「確認書」を渡す。「確認書」が鈴木に頼まれ便宜上作成したものであったことはいくつもの書類で明らかであり、債権者の側近であったエフアールの天野裕常務も認めていた。
2000.09 20日、鈴木に懲役3年、執行猶予4年の有罪判決。前後してエフアールが社名を「なが多」に変更(9月)。
2001. エフアールが9月期の売上高32億6100万円を計上。
2002.02 27日、西が志村化工の株操作容疑で東京地検特捜部に逮捕された。しかし、西は取り調べで鈴木の関与を否定。特捜部は鈴木の逮捕が最終目的であったが、西は逮捕前に鈴木に懇願され鈴木を100%かばった。
2002.03 この頃より霜見誠がジャパンオポチュニティファンド(JOF)のマネジャーとして鈴木の資金を運用か。
2002.06 A氏が西に鈴木の債務処理を確認。西は「今後は、株取引の利益が大きく出るので、鈴木の債務を圧縮してほしい」と依頼。A氏は鈴木への貸付金40億円超を25億円にすることを約した。
※6月20日、西がA氏に対して債務が323億円あることを承認する「確約書」を手交した。
※6月27日、改めて借用書の作成が行われたが、その際に鈴木が「社長への返済金10億円を西さんに渡している」と発言したことから、A氏が西に確認を求めると、西が10億円の受け取りを認めたために、額面が鈴木は15億円、西が10億円とする借用書をそれぞれが作成し、確定日付がとられた。また、鈴木が「年末までに返済しますので、10億円にしてください」というので、A氏は応諾した。
2002.12 24日、鈴木がA氏の会社に10億円を持参した。後日、A氏が西に金の出所を聞くと、西は「海外の投資家を騙して用意した金で、鈴木は身の安全に神経を使っている」と答えたが、それは全くの作り話だった。しかし、A氏は鈴木が株取引の利益を巨額に隠匿している事実を知らなかったため、西の話に頷いた。
2005.10 ホテルイースト21のラウンジにて西と鈴木が面談。株取引の利益分配金の授受について語られる。その際に西が「合意書」の話を持ち出すと、鈴木は「合意書及び借用書は、2002年末に破棄したと言ったじゃないですか」と反発した。分配金の授受は鈴木の提案で、香港で43億円分の銀行振出の保証小切手を渡し、残る約90億円は3か月以内に海外のオフショア口座を2社ほど開設して、そこに振り込むという約束が交わされた。実行は西の執行猶予が解けて、パスポートを入手できる翌年8月以降となった。
2006.02 「なが多」が社名を「クロニクル」に変更。同社は持ち株会社となる。
2006.10 2日、西が利益分配金の受け取りで長男を伴って香港へ行く。ところが43億円の保証小切手受領直後にワインを飲まされ意識不明に陥る。リパレスベイで瀕死の重症を負って意識不明のまま簀巻きにされた状態で香港警察に発見される。所持品全てを奪われていた。
2006.10 13日、西の事件を聞き、A氏が紀井経由で鈴木に連絡。A氏の会社を訪ねた鈴木にA氏が尋ねると、鈴木は一切を否定し「西とは何年も会っていない」点を強調した。また、A氏が「合意書」を提示して事実関係を尋ねると、西から破棄したと聞いていた鈴木は驚いたが、それも「株取引は行っていない」と否認し、すべては西の作り話だと強調した。そこで、改めて西を交えての協議をすることになった。
※西が紀井義弘と面談を重ね株取引で売りをかけた銘柄と利益を聞き取ってきたが、紀井はその後にその明細をリストにまとめた「確認書」を作成した。
16日、A氏、鈴木、西による三者協議が行われ、A氏が鈴木に株取引の状況説明を求める。鈴木の「利益は約60億円」という言葉を前提にA氏が了承し、「和解書」が作成される。鈴木は西とA氏にそれぞれ25億円を、毎月10億円ずつ5ヶ月で支払い、さらにA氏には別途で20億円を2年以内に支払う約束をする(テープに録取)。鈴木はその後も頻繁にA氏に架電して「和解書」で約束した支払いについて追認するとともに10月23日にもA氏を訪ねて面談を重ねた。
2006.11 鈴木がA氏宛てに手紙を送付し「和解書」の撤回を通告。平林英昭(弁護士)・青田光市を交渉の代理人とする旨を通知。それに対し、A氏は当事者間での話し合いが必要との内容の書面を平林経由で鈴木に伝えるが、鈴木は2通めの手紙をA氏に送り、代理人による交渉という考えを崩さなかった。以後、鈴木との連絡が完全に途切れ、鈴木は所在不明となった。
※交渉役に立った青田光市と平林英昭は、交渉を解決ではなく決裂させることを目的にしていた。
2007.03 A氏が初めて平林と面談した際、平林が開口一番に「社長さん、50億円で手を打ってくれませんか? それであれば、鈴木はすぐにも支払うと言っているんで……」と言ったが、A氏は株価の買い支え資金として総額207億円を出してきた経緯から「それは応じられません」と拒んだ。以降、青田と平林の対応はことごとく「合意書」「和解書」を無効にするための発言や主張に終始した。青田は「鈴木はA氏と西に脅されて、その場を切り抜けるために止むを得ず和解書に署名指印した」「会社のあるビルのエレベーターを止められ、事実上の監禁状態に置かれた」などという虚偽の発言を繰り返し、平林もまた「合意書」を指して「こんな紙切れ一枚で」と極めて不謹慎な発言をするとともに鈴木への貸付金についても支離滅裂な理由を並べ立てて難くせをつけ続けた。
※青田と平林の言いがかり的な質問や主張に対応するため、A氏が天野裕と面談。天野は「鈴木の目が怖いので社長と会ったことは秘密にしてほしい」と言ったが、平成11年9月30日付の「確認書」や鈴木が株取引で470億円超という巨額の利益を上げた点について真実を語った。その後、A氏と面談した事実が鈴木に発覚し、天野は「A氏とは会うな」と厳しく叱責され、以降、鈴木と天野の間には亀裂が生じていった。
※この時期、鈴木が改めて証券市場で活発な動きを見せ始めた。西との株取引で関わったアポロインベストメントがステラ・グループに商号変更し、同興紡績やオーエー・プラザなどを傘下に治めるとともに数多くの業務提携を進め、業容の急拡大を見せた。鈴木による企業支配の実例である。また、この時期、青田光市により「赤坂マリアクリニック」の乗っ取りが行われた。
2007.07 7日、鈴木がエフアール社長時代に資金繰りで山内興産(末吉和喜)から預かった株券をめぐって山内興産から訴えられた訴訟で、鈴木に対し10億円を超える支払い命令が出たが、鈴木より示談交渉を進めた結果、4億1900万円を支払うことで和解が成立した。鈴木は明らかに詐欺に等しい行為を働いていたと西は指摘していた。
2008.06 A氏が鈴木との交渉で代理人に立てた利岡正章が、静岡県伊東市内のパチンコ店駐車場内で暴力団構成員ら暴漢二人に襲撃され瀕死の重傷を負う。利岡は相手方の組長と話し合い、事件の黒幕を明かすという約束で示談に応じたが、組長は態度を曖昧にし続け約束を果たさなかった。しかし、複数の関係者の証言で襲撃した二人と青田との接点が発覚し、鈴木と青田の殺人未遂教唆が明らかになるが、鈴木と青田が金の力で隠蔽工作を図り、教唆事件は表沙汰にはならなかった。
2009.11 2日、西がA氏に改めて債務を承認する「承諾書」を作成、手交した。そこには鈴木への債権137億円が明記された。
2010.02 西が夫人の故郷にある別邸で自殺。A氏を始め、鈴木、青田、茂庭、鈴木の実父そして家族に宛てた遺書を残した。直後にA氏は西の妻と子息を伴い鈴木の実父徳太郎を訪ね、鈴木本人との面会を要請した。徳太郎と鈴木の妹が同道して最寄りの警察署に向かい、警察署にて鈴木に架電するも、鈴木は警察署に来ることはできないと拒否した。鈴木は翌日か翌々日にもA氏に電話すると約束して電話を切ったが、その約束を守ることはなかった。鈴木の対応を見れば明らかなように、「和解書」の作成経緯にA氏や西の脅迫があれば、その旨を警察署で明確に主張する絶好の機会であったはずだ。ところが鈴木は自らその機会を拒んだのである。青田と平林を含め鈴木の言う強迫なる者が実態のない言いがかりであることが分かる。
2011.06 ステラ・グループが上場廃止。
2011.08 3日、クロニクルの天野裕(会長)が京王プラザホテルの客室で自殺。しかし同社は「未明に心不全が原因で自宅で急死」と発表した。天野の周辺関係者の間では「JOFからの資金の運用方法をめぐり、鈴木との間にトラブルがあったのではないか」という証言がある一方、「殺されたのではないか」という証言も多くあったが、病死で処理された。
2012.09 クロニクルが売上高約990万円、当期純損失約29億6000万円を計上。
2013.01 前年12月から失踪していた霜見誠が、妻と共に埼玉県久喜市内で遺体で発見された。後に殺人、死体遺棄容疑で渡辺剛らが逮捕される。霜見は鈴木の株式取引の窓口となり、鈴木の隠匿している資金を運用していた関係が指摘されたが、事件は解明されない謎が多く残っている。
2013.07 クロニクルが有価証券報告書を期限内に提出できず上場廃止となる。
2015.07 8日、A氏が鈴木義彦に対して貸金返還請求の訴訟を東京地裁に起こす。
2018.06 11日、東京地裁の一審判決でA氏の請求が退けられた。A氏が控訴。
2018.11 28日、東京高裁の二審判決でA氏の請求が退けられた。