第8章 不可解な事件   

 人間、生きていく上で事件に関わったり、遭遇することは避けられないのかも知れない。しかし、鈴木という男の周辺には、あまりにも多くの不可解な事件が発生している。否、発生しているだけではなく、鈴木自身が直接関与している可能性が非常に高いのである。

これまで述べてきた中に親和銀行不正融資事件がある。この事件は司直の手で裁かれ、鈴木自身が有罪判決を受けているが、その他に、後に詳しく紹介する静岡・伊東市のパチンコ店車場で起きた殺人未遂教唆事件、香港で西が蒙った殺人未遂事件の他にも数え上げれば恐らく両手では済むまい(週刊誌等多くのマスコミでも取り上げられている)。

実は、鈴木の周辺では自殺や不審死、あるいは行方不明という事件が後を絶たない。その疑念は、鈴木がエフアールの代表取締役だった平成7年に起きた事件まで遡って垣間見ることができた。

同年の5月4日、東京都西多摩郡檜原村の山中で男性の変死体が発見された。山の斜面に捨てられた洋服タンスに男性の死体が入っていたのだ。

遺体は羽毛布団にくるまれていたが、顔全体に粘着テープが巻き付けられ、左側頭部には殴られた跡があった。ズボンの裏側に黒インクで男の氏名が書かれていたことから身元確認が急がれた。

警視庁の調べで、被害者は指定暴力団が競売で落札した東京都内の土地取引に関わりトラブルに巻き込まれた結果、何者かに殺害されたという事件の概要が判ってきた。それから約半年後の11月中旬、被害者の知人で元暴力団員の男(27歳)が死体遺棄容疑で逮捕され、1週間後の11月25日には殺人の容疑が加わった。犯行は三人で行われ、他の二人は逃亡中だった。

 関係者によると、このリーダー格の男は「鈴木とは昵懇の間柄で、宝石の販売を委託されていた」という。宝石を正規で販売する表のルートとは別に、不良在庫に近い宝石を極めて廉価に売り捌く裏のルートがあり、鈴木はこの男を使って裏のルートで宝石を売り捌いていた、という情報があり、警視庁は鈴木と男との関係に注目したとされる。それ故、男が海外へ逃亡していたこともあり、鈴木がどれほど真相を知っているかに関心が寄せられた。

 この事件を見れば明らかなように、鈴木という男が想像以上に暴力団との深い関係を持ち、時には“手駒”としても利用していることが窺われるのではないか。

○側近2人が鈴木に不信感を抱いた

 鈴木と西が活発に仕手戦を仕掛けるようになった平成11年以降で見ても、宝林株の仕手戦に関わっていたある中堅証券会社の営業マンが行方知れずになっているという。証券マンは、鈴木に株情報を持ち込んでいたようだが、鈴木が、たびたび紹介者である自分を飛び越え、直接、相手方と交渉することに腹を立て、関係が疎遠になっていたそうだ。関係者によると、

「証券マンは以前から『あの男(鈴木)は絶対に許さない』と言っていたので、連絡が付かなくなった時、鈴木と何かあったのか? と思ったくらいだった」

と言い、いつの間にか誰とも連絡が取れなくなった証券マンの身を案じたという。

エフアールで鈴木の右腕と言われた二人の役員のうち一人(大石)は、親和銀行事件で鈴木とともに逮捕起訴されたが、執行猶予のついた有罪判決を受けた後、交通事故で死亡したが、鈴木と大石の間には公判中に大きな溝が出来ていたようで、西が「大石の口を封じたい」という依頼を受け大石の妻に5000万円を届けた事実を語っていた。そして、もう一人が天野であったが、天野はエフアールが、なが多、クロニクルと商号を変えていく中、親和銀行事件で有罪判決を受けた鈴木に代わり、先頭に立って会社を運営してきた人物である。ある関係者によると、

「天野は、鈴木の会社への影響力がいつまでも強いことに大きな懸念を持ち、親しい人間に鈴木の処遇を真剣に相談をしていた経緯がある」

という。さらに続けて「鈴木には、天野が日増しに疎ましい人間に見えるようになったのではないか」とも言うのだ。その天野が平成23年8月3日、54歳の若さで急逝した。

 クロニクルは「会長は午前5時、急性心不全のため自宅で死去」と天野の急逝を発表したが、天野周辺の人物によると、

「天野氏は、新宿の京王プラザホテルの客室で首を吊って死亡していたのを発見された。自殺とされているようだが、不可解なことが多かった」

という。しかし、天野の死の真相は何故か表に出ることもなく、病死で処理された。

天野は、会社では投資事業を専権事項にして具体的な情報を社内外に開示することは無かったという。鈴木が、親和銀行不正融資事件で逮捕されたことでエフアールの代表権を失うとともに株主名簿からも名を消し、さらに平成12年に取締役を退いたことで鈴木とエフアールの関係は無くなったと業界には受け取られたが、それはあくまでも表向きのことに過ぎず、天野には鈴木の存在を無視することなど出来なかった。

それ故、なが多やクロニクルで発表されるユーロ債(CB)の発行や第三者割当増資が、実は全て鈴木の指示(意向)の下に実行されていた事実を一部の人間に明かすことにしたことがトラブルの一つといわれている。

しかし、天野が死亡すると、続々と使途不明金が発覚し、平成24年1月、過去の会計処理と有価証券報告書虚偽記載の疑義に関する事実関係の調査をするとして、第三者委員会が立ち上げられた。

すると、SECが、天野がシンガポールにファンドを3個組成して合計9億円もの資金を流し、ファンドから自身に対して資金を還流して個人的な流用を計画していたとして金融庁に課徴金を課すよう勧告していたという情報も表面化した。

問題は「個人的な流用」で、これまでの情報ではファンドの組成から資金の還流が天野単独による犯罪行為とみなされた模様だが、天野の背後には常に鈴木の存在があったことを考えると、還流資金が一人天野の私的流用と断定していいのかどうか強く疑われる。鈴木が天野の背後でエフアールに関わってきた事実を、社内の人間は少なからず承知していた。

そもそも3個のファンドをシンガポールに組成して行う投資事業とは何だったのか? その情報すらクロニクルは公表していなかったが、それこそ鈴木の本領と考えるのが自然で、天野は「エフアール 代表取締役」という名義(肩書き)を使われた可能性が高いのだ。天野だけではない。今回の事件では10人以上が事件に巻き込まれ自殺や不審死さらに数人が行方知れずになっているだけに、鈴木の悪事を許せないと関係者は揃って口にする。

第三者委員会が調査して判明した使途不明金は平成20年からとなっていたが、それは、鈴木が平成18年頃から旧アポロインベストメントを軸にしてステラ・グループを組織し、同興紡績ほかいくつもの企業買収を繰り返し、あるいは業務提携を活発化させた時期と重なっていた。

ステラ・グループへの変貌と企業活動に要した資金を鈴木が調達するに当たって、クロニクル(天野)が利用された、と考えると、天野の自殺はこれまでに伝えられてきたものとは全く違っていた。

天野は、生前は高級クラブで豪遊することが多く、ある時機には「赤坂で一番カネを落とす客」という評判が立ったことがあった。偶然だったが、A氏とも数回会ったことがあるようだ。赤坂のあるクラブのスタッフ達の次のような証言がある。

「天野会長は社長と会う度に社長の席に挨拶に行っていた。その際には、『鈴木が大変お世話になっています』と挨拶をし、一緒に来ていた取り巻きにも『鈴木が今日あるのは、全てこちらの社長(A氏のこと)に数百億円の資金をお世話になっているお陰だ』と言っていた」

○クロニクルの第三者割当増資に名を出した霜見誠

実は、天野の死はその後も、別の不可解な事件との関連で疑念を持たれている。

それは、天野の死から約2年後の2013年1月下旬に起きた。その事件とは当時、新聞、テレビ、週刊誌で大きく取り上げられた「セレブ夫妻殺人死体遺棄事件」である。平成25年1月に埼玉県久喜市の空き地で、一時帰国していたスイス在住のファンドマネジャーの霜見誠と美重夫妻の遺体が土中に埋められているのが発見された。

 霜見が務めていたファンド(ジャパン・オポチュニティ・ファンド 以下JOFという)のオーナーが、鈴木であったと見られており、当時の霜見を知る人達によると、霜見が窓口となって運用していた資金が約300億円であったという。そして、複数の証言を総合すると、鈴木と西が宝林株を手始めとした仕手戦で利益を上げ、その利益を鈴木が独り占めし始めた時期と霜見のファンドの活動が重なるのである。

一方、霜見が他の投資家に勧める投資商品は、いずれも実態不明の危険なシロモノ(いわゆるハイリスク、ハイリターン)が多かった模様で、殺害の犯人として逮捕された元水産加工会社経営者渡辺剛も億単位の損失を出し、それを恨んで犯行に及んだとされている。渡辺は潜伏先の沖縄で逮捕され、強盗殺人、死体遺棄、詐欺未遂の容疑で起訴された。

この事件は、「資産家夫妻失踪事件」として霜見夫妻が失踪した直後からテレビのワイドショーなどでも報じられ、既に世間に注目されていた。それが殺人事件として報じられたものだった。

犯人である渡辺の証言によると、平成24年12月初旬に、日光で福山雅治や槙原敬之等が参加するパーティがあると嘘を吐き、一時帰国していた霜見夫妻を誘い出した。そして車の中で睡眠薬入りの酒を夫妻に飲ませて眠らせ、ロープで首を絞めて殺害したという。

渡辺は「霜見に投資で数億円規模の損をさせられ恨んでいた」と殺人の動機を供述したが、一部の報道によると、その後の供述は何故か曖昧になっているという。それにしても、自分の奨めた投資話で損失を出した相手の誘いに霜見が簡単に乗ったことにも疑問が残る。

遺棄された死体の現場には重機が放置されていたが、土地の所有者とされる渡辺の知人は建物を建築する予定は無かったと言い、また、空き地の周囲が簡易な工事用の塀で囲まれていながら、工事が行われた気配すら無かったことから、警察が不審に思い掘り起こしたところ、夫妻の遺体が発見された。だが、夫妻が失踪してから2か月近くが経っていたとはいえ、遺体の発見はあまりに呆気なかった。まるで、「遺体はここに埋まっている」と知らせているような状況だったという。

有名ミュージシャンが出演するという架空のイベントを仕立てたり、予め殺害後の遺体を埋める土地を用意しつつ塀で囲うなど、果たして二人の実行犯だけで出来るものでは無い点も疑問だった。何より、損失を出させられた恨みからの犯行というには、あまりにも“舞台装置”が大袈裟すぎていた。事件の真相は闇に隠れている部分があり過ぎ、解明されていない事件ではないだろうか。

 天野がクロニクルから鈴木の影響力を排除しようとしていたことと霜見夫妻殺害事件の関連性の有無もまた、どこまで解明できるのか。

JOFからクロニクルへ資金を提供すると指示を出したのは鈴木であったろう。そして消息筋によると、このJOFはその後、目立った活動も無く、クロニクルへの投資だけで存在を消してしまっている。JOFの実際のオーナーが鈴木だとすれば、クロニクルの社債を13億5000万円で引き受けたJOFのオーナーの立場を利用し、鈴木本人がクロニクルに入った13億5000万円を運用していたことになる。

霜見はこのカラクリを承知していた筈である。恐らく当時クロニクルの代表者であった天野も知っていた可能性が高い。この秘密を知っている天野と霜見は、鈴木にとっては先々“目の上のたんこぶ”となる要注意人物であったかも知れない。そして、徐々にその危機感が募って行ったとも推測される。

平成23年12月、JOFはクロニクルの新株予約権72個(転換価格1株20円で720万株)を引き受け、さらに12年6月に別の投資家から158個(同じく1580万株)を譲り受けた。クロニクルの株価は平成24年の前半頃は30円台を推移していた。1株20円で権利を行使して普通株に転換し市場で売却すれば、単純計算で1株10円の利益(2億3千万円)が出ていた。それにもかかわらず行使したのは20個分(200株)だけであった。これには誰の思惑が働いていたのか。それに譲渡を受けた投資家とは誰だったのか。JOFは譲渡を受けたものと合わせて210個(2100万株)を保有していた。クロニクルの株価は平成25年1月15日、14円からいきなり37円に急騰した。当時のクロニクルの経営陣は、

「なぜ株価が上がったのか解らなかったが、霜見氏が株価を釣り上げているのではないかと思っていた」

と言う。しかし、株価が急騰した時には霜見は既に殺害されていてこの世にはいなかった。今もって誰が株価を釣り上げたか、誰が高値で売り抜けたのか、明らかになってはいないが、陰で操っていた人物を想像するのは難しいことではない。しかし、それを解明するために重要な人物の一人は殺害されており、もう一人は“自殺”(?)しているのである。この二人の証言を得る術は今は無い。果たして、取引はタックスヘイブンの投資会社等の名義になっているのであろうが、それを特定する材料が何かあるはずだった。

当時の報道によると、霜見は、中東のドバイでの不動産、株式投資をめぐり、著名な政治家(故人)の長男と某暴力団関係者から民事訴訟を起こされるなどトラブルを抱えていたという。霜見もかなり危ない橋を渡っていたことが窺える。そして、この投資話に登場する関係者の中にも鈴木の人脈だといわれている人物が浮かび上がっているという。

○エフアール株が霜見の人生を大きく変えた

霜見がクロニクルの前身であるエフアールと関係を持ったのは、親和銀行事件の頃からだった。霜見も親和銀行事件で不正融資の受け皿となったエフアール株の仕手戦で稼いだ一人だった。この相場で、有名な大物相場師西田晴夫との交流も始まり、仕手銘柄でかなり稼いでいたという。

「エフアール銘柄に出会ったことが私の人生を大きく変えた」

と霜見自身が証券会社勤務時代に仕手戦に参加したことを知人に語っている。また、JOFの事情を知る関係者は、親和銀行事件で有罪判決を受け社長を退いた後、数多くの株取引で莫大な利益を上げていた鈴木の資金運用を「霜見が担当していた」と言うが、その頃鈴木が運用していた資金とは、まさにA氏,西、鈴木の3者が合意書を作成し、宝林の株投資で儲けて、鈴木が利益を独り占めにしている資金であった。

鈴木と霜見の関係は平成14年に始まったとされるが、「鈴木は宝林株の利益金を独り占めした後、スイスに滞在する機会が増えた」という。恐らくは利益金を隠匿する口座がスイスにもあったと思われる。

ちなみに、クロニクルの有価証券報告書(平成19年12月提出)によると、同社の大株主欄に「エスアイエス セガ インターセトルエージー」という外資が名を連ねたが、同社が保有する71,630千株(16%)はJOFの預託によると明記され、その記載は平成23年まで続いていた。また同社の保有株数は平成21年の75,743千株をピークにその後は減少し、平成23年になると、「エスアイエス」の名義が「エスアイエックス エスアイエスエルティディ」に変わっていた。ただし、「エスアイエス」も「エスアイエックス」も本社所在地はスイスのオルテンで同一だった。

また、鈴木は平成18年10月16日の三者協議の際に、A氏に「2年後には大きなことをやるので、見ていてください」と見栄を切っていたが、鈴木の言う「大きなこと」とは、鈴木と西が仕掛けた仕手戦で支配下に置いたアポロインベストメントが、この当時、同興紡績やオーエー・システム・プラザ(パソコンショップ)ほかいくつかの企業を買収あるいは業務提携をして業態を一気に拡大させたことに関係していると思われる。

実は、平成19年にアポロインベストメントがステラ・グループ会社に商号を変更して本社所在地を移動させて以降、鈴木の代理人となった青田が毎日のように同社本社に“勤務”している事実が確認されていた。青田が鈴木の代行者として関わっていたとみて間違いはないが、注目すべきは、その年より数多くの外資が株主に名を連ね、その中に先の「エスアイエス」も「エスアイエックス」も大株主として登場していることだ。この動きは平成23年まで続いたが、突然のように動きが鈍った。同年は前述した天野(クロニクル)が自殺した年であり、それが全く関係が無いとは言えないだろう。

先の関係者によると、鈴木のボディーガードとして海外にも同行していた「吉川」という男が霜見とは懇意の関係にあったという。この吉川という人物は鈴木の後輩で、東京・茅場町で「五大」という証券担保金融を営んでいたが、一方では過去に反社会的勢力に属していたという噂のある男だった。

鈴木がスカウトした元証券マンの紀井に指示を出して、株を売り抜ける際の名義はしばらくの間、この吉川が経営する「五大」がメインであったという。市場から吸い上げられた利益金は一旦「五大」に入るが、その後、吉川が日本国内で鈴木に現金を渡すか、もしくは密かに海外に持ち出す「運び屋」の役も担っていたという。現金の受け渡しはフランスのパリが多かったそうだが、「ある時期からSECに関心を持たれることになり、パリに逃亡した」(西の証言記録より)という。吉川は鈴木にとっては極めて身近な、そして重要な役割を負っていた人物だったが、平成20年頃に行方知れずとなったという。先の証券マンによると、

「当時、鈴木と吉川は相当に険悪な状況にあったようで、鈴木はよく愚痴をこぼしていた」

 という。その後、吉川の消息を尋ねた関係者に鈴木は「あいつは、死んだよ」とにべもなく応えたという。吉川の所在不明後、現金の受け渡しは、もっぱら鈴木がスカウトした元証券マン(紀井)が役割を担っていた模様だ。

ステラ・グループはその後、平成23年6月に上場廃止となり、鈴木の思惑通りとはならなかったばかりか、2ヵ月後の8月3日、天野裕が京王プラザホテルの客室で自殺するという事件も起きた。そして、天野の死とともにクロニクルでも相次いでスキャンダルが発覚した。その結果、平成24年1月、過去の会計処理と有価証券報告書虚偽記載の疑義に関する事実関係の調査をするとして、第三者委員会が立ち上げられることになった。

 また、鈴木の側近だった大石高裕は、親和銀行事件で鈴木と共に逮捕され、平成12年9月20日、懲役1年6月(執行猶予3年)の有罪判決を受けた後、交通事故で死亡した。余りに突然のことだったが、事件発覚から逮捕・起訴後の公判が続く中で、鈴木と大石の関係に亀裂が入ったようで、西義輝が大石の妻に5000万円を渡した事実が西のレポートに綴られている。それによると、鈴木から「大石の口を封じたい」という依頼があり、1999年11月に貸付を実行したという。こうした経緯を耳にすると、大石が命を落とした交通事故に故意は無かったのか、天野、大石の2人が側近中の側近だけに大きな疑問が残る。

また、鈴木が世間との関わりを可能な限り遮断する中で、日本と海外を行き来しつつ、A氏から提供された資金を元手に稼いで隠匿した500億円近い利益は、その後、霜見を含めた鈴木の関係当事者との共同作業等でさらに倍近くまでに膨れ上がっていたと指摘する関係者は多い。霜見の関係者の証言がある。

《鈴木はヨーロッパに拠点を移し、リヒテンシュタイン(スイスとオーストリアの間にある国)に設立したファンドのオーナーになった。リヒテンシュタインはタックスヘイブン(租税回避地)で、ファンドの窓口役を務めていたのが霜見だった》

 この証言に付け加えるなら、JOFが大量保有報告書を金融庁に出すに当たって記載した連絡先は確かにリヒテンシュタインだったが、同地には別の投資会社があって、JOFはその投資会社を“貸事務所”にしていた模様だ。そのようにみると、霜見という人物も得体が知れなかった。

○真相は未だ解明されず

ドバイのトラブルの民事訴訟で、まさに霜見がスイスのプライベートバンクに絡む経緯を説明するために、出廷する予定になっていた数日前に行方不明になり殺害された。それ故、ドバイのトラブルが原因で殺害されたという説もあったが、真偽、真相は闇の中だ。

鈴木と霜見との間でどんな約束があったのか、例のごとく利益金の配分で霜見との約束を反故にしてトラブルになったのか、あるいは霜見が裁判所で証言する予定だった内容が鈴木にとって重要な秘密が暴露されることだったのかも知れない。

また、一部報道によると、証券取引等監視委員会(SEC)は霜見のスイスの口座に約20億円の残高があることを内偵で掴んでいたが、口座情報を開示させたところ、その大半が引き出されていたという。いったい誰が引き出したのか。

霜見が生きていれば、鈴木にまつわる悪事の殆どが解明された可能性は高い。霜見夫妻の殺人死体遺棄事件の犯人渡辺剛は逮捕されたが、渡部は飽くまで実行犯に過ぎず、主犯と思しき人間が裏で糸を引いていたのではないかとする疑いは捨てきれない。一人や二人で実行出来る事件ではないとすれば、果たしてその人間とは誰なのか。だが、真相は未だ解明されていない。

独り占めにした巨額のカネで暮らす日々を、鈴木は周囲に「パラダイス」と豪語しているというが、悪事の発覚に一番慄いているのは鈴木自身に他なるまい。鈴木の周りの人間が死亡する度に、不可解なことに鈴木の悪事が隠蔽される結果になっている、と実感しているのは一人や二人では無い。その真相を知るキーマンの一人と目されるのが青田の存在であろう。

鈴木にとって青田と共謀することで海外にいる自分のアリバイは完璧だと思い込んでいるのかも知れないが、そのようなアリバイ工作はいずれ露見する日が来るだろう。