「債権被害者の会」が送った書面

父親の種子田益夫が死亡した直後に、吉郎、益代、安郎の3人が一斉に相続放棄したのは極めて悪質なやり方であり、公共機関である病院を私物化しながら長年にわたってコンプライアンスに抵触する病院支配を行ってきたとして、厚労省の大臣と医政局長、日本医師会会長、茨城県知事宛に吉郎がトップとして君臨する常仁会グループに対する適切な指導の強化を徹底することを求める書面が債権者たちから送られたという。書面が送られた相手はいずれも病院を監督し指導する立場にあるが、これまで常仁会グループに対して適切な監督指導が行われてきた形跡はないと思われる。

(写真:種子田吉郎。父益夫が買収した7カ所の病院理事長。益夫の巨額の債務に対し知らぬ存ぜぬでは社会的責任が問われるのは当然のことである)

常仁会グループは牛久愛和総合病院を運営する常仁会を筆頭に、晴緑会(高知、宮崎)、明愛会(北九州)、白美会(新潟)の各医療法人(7施設の病院)を傘下に置き、その他2つの社会福祉法人を擁する一大病院グループを形成するに至っているが、医師の資格を持たない吉郎が理事長に就くことができたのは、医療法第46条の6の但し書きに基づき、当時の茨城県知事である橋本昌氏が認可した経緯があるからだった。吉郎自身は医療業界での実績も経験もなく、あくまで父である種子田益夫が操る中で理事長に就いたに過ぎない。

(写真:陳述書。田中延和氏は種子田の側近で、長男吉郎を理事長にするために尽力した)

種子田益夫は昭和61年に牛久愛和病院を買収しているが、吉郎が同院の理事長に就いたのが他の医療法人に比べて遅かったのは、吉郎の適格性が問われ続けていたことを裏付けていると思われる。中でも常仁会グループの病院はいずれも「地域医療支援病院」として運営しているが、医師の資格が無い者が理事長に就くために必要な要件(医療法第46条の6の但し書き)を整えるために必須だったからである。

本来であれば、吉郎は医療法人の理事長に就けるものでは無く、父親の益夫にしても、過去に法人税法、売春防止法等他にも多くの違法行為で有罪判決を受けた身となっており、公共機関たる病院の理事長に就けるものではなかった。そこで、長男の吉郎に白羽の矢を立てつつ理事長に就かせる時機を待っていた。当の吉郎自身は医療業界とは全く縁のないまま大学(日本大学芸術学部)を卒業後、わずか1か月間、米国の医療業界を視察した後に、買収した病院を統括するために益夫が俄か仕立てで開設した東京本部の役員に就き、病院経営のまねごとを始めたに過ぎない。それは、吉郎自身の意志に関係なく全て益夫の指示で操り人形を演じてきた実情を意味している。

(写真:陳述書。村山良介氏は牛久愛和総合病院の院長として、種子田が同病院のオーナーであることを証言)

種子田益夫は、愛和グループを率いて事業家を名乗ってきたが、実態は虚業家そのもので、複数のゴルフ場を経営しているとしながら実際には公表した定員を遥かに上回る会員権を乱売する詐欺行為を繰り返し、あるいはいくつもの金融機関を経営破綻に追い込むような不正融資を実行させて、そこで調達した資金を株投機に充てるという違法行為を厭わない人格の持ち主だった。

(写真:日本医師会の桧田仁氏の陳述書)

平成8年頃には複数の金融機関での不正融資(主に特別背任)が相次いで発覚する中で多額の債務返済を逃れ病院グループを私物化する工作を弁護士に指示して愛和グループと病院グループとの切り離しを本格させた結果、3つの金融機関(国民銀行、東京商銀信用組合、武蔵野信用金庫)が経営破綻を余儀なくされた。

(写真:陳述書。永田勝太郎氏は種子田に頼まれ東邦大学医学部の医師を多数常仁会グループ病院に派遣した)

病院の買収と買収した病院の経営を安定化させるために、種子田益夫は個人の債権者からも多額の借り入れを起こしているが、債権者に対して「病院を担保にします」と言って債権者の友人知人をも巻き込ませ「いざとなれば病院を売却してでも返済します」とか「病院の理事長は息子の吉郎にしていますが、息子も『病院は父からの預かり物なので、いつでも必要に応じてお返しします』と言っているので大丈夫です」などと債権者たちを前に繰り返し述べて融資を受けたにもかかわらず、いつまでも病院を担保にする約束を果たさず、返済も怠り続けた。司法当局の取り調べや公判を理由に何年も債権者たちとの直接の面談を避けて逃げ回ってばかりいたために債務総額は平成15年5月現在で368億円以上になっていた(種子田氏は債務承認をしている)。

(写真:債務残高確認書。平成15年現在で300億円を優に超えていたが、種子田には返済する意思は見られなかった。それどころか、債権者の友人に「お礼をするので」と言ってさらなる融資を頼んでいた)

病院を担保にすることが可能であるにもかかわらず、種子田益夫は病院の公共性を強調し、また厚生省(現厚労省)や地元自治体の許諾が得られないなどと言葉巧みに言い逃れ続けた揚げ句に所在を不明にしてしまった。こうした種子田益夫の言動は詐欺にも等しく、吉郎は吉郎で益夫の指示により債権者たちとは一切接触をしようとしなかった。

送られた書面によると、債権者たちは「債権被害者の会」を組織して、吉郎、益代、安郎に対する債権処理を強く迫ると同時に、吉郎が何時までも常仁会グループの理事長職に居座り続ける問題を早く是正することを強く求めている。恐らく、こうした動きは吉郎にとっても初めてのことではないかと思われるが、逆に吉郎が今に至るも理事長職に安穏としていることの方が重大な問題であって、厚労省を始め地元の自治体や医師会が然るべき指導を怠ってきた何よりの証である。

債権被害者の会では、「種子田益夫氏が債権者をないがしろにして返済を怠り続け、逃げ回った揚げ句に他界し、益夫氏の子供たちは相続放棄をしてまで益夫氏の負の遺産を拒み続けながら病院グループの収益で豊かな日常生活を享受している現状は決して放置できるものではなく、今後、いかなる法的手段を講じてでも長男吉郎氏ほか益代氏、安郎氏の弟妹に対する責任追及を進める」という強い意志を見せ、さらに吉郎に対しては「病院グループの理事長という要職に在りながら、あまりにも無責任な振る舞いを続けるならば理事長職を降りるべき」という強い指導力を関係各機関より発出すべきと要請している。

「債権被害者の会」による行動は当然のことで、種子田益夫が債権者たちを騙して借入をする一方で、返済もせずにただ逃げ回っていただけでなく、吉郎もまた父親の陰に隠れて、関根栄郷という悪徳弁護士の指示で債権者たちには一切接触しようとしなかった言動は言語道断である。しかも、父親が亡くなると、すぐさま相続放棄の手続きを取る周到さには、正直、このような極悪な人間が病院経営に関わっていることに大きな怒りさえ覚える。

種子田益夫が令和元年10月13日に他界すると、直後に長男の吉郎以下益代、安郎の弟妹が揃って相続放棄の手続きを取るという有り得ない行動を取ったのは、父親の“遺言”であったかも知れないが、実際にそれを実行した吉郎の責任は重い。相続放棄という法的手段を悪用して平然としていることを許しておくわけにはいかない。これは、債権者にとってはもちろん、「他人に迷惑をかけない」という風習を社会的な美徳として重んじている多くの日本国民から見ても断じて許せるものではないのだ。吉郎以下益代、安郎の弟妹も病院グループから上がる収益(地代家賃、給食やリネン等運営に係るあらゆる事業)で、極めて豊かな生活を保証されており、債権者に対する債務の返済が十分に可能な状況にある。中でも吉郎は債権者からの差し押さえを逃れようとしてのことか、毎月数百万円もの賃料の賃貸マンションに住み続けている。一方で、吉郎を始めとしたこれら当事者は債権者からの借り入れによってなされた益夫の財産で裕福な生活をしながら、債権者に対する債務の返済を全く考えないという、あまりにも無責任極まりない対応に終始していたのである。その行為は正に犯罪である。吉郎は医師の資格が無いにもかかわらず医療法第46条の但し書きを悪用した父益夫の裏工作により理事長に就任して現在に至っているだけでなく、吉郎氏これまでの対応は秘密裏に病院グループの収益から毎月6000万円という多額の機密費(裏金)を調達して長期間にわたって父益夫に提供するという背任に問われ得る行為を繰り返し、さらにコンプライアンスにも抵触する言動が多々あるなど、真っ当に病院グループを統括する資格は皆無と言っても過言ではない。

「このまま種子田一族による病院グループの経営が維持されれば、医療法が目的とする医療を受ける者の利益の保護及び良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を図り、もって国民の健康の保持に寄与することが達成し得ないばかりか、告発を前提とした刑事事件に発展する可能性が高く、治療の最前線にある病院が混乱することは必至です。種子田一族による病院グループの私物化は明らかに背任を含む公序良俗違反であり、コンプライアンスに抵触しております」(同前)

田村憲久厚労大臣、迫井正深厚労省医政局長、大井川和彦茨城県知事、そして中川俊男日本医師会長は、すぐにも行動を起こし、種子田一族が内包する問題を解決させ常仁会病院グループの経営を健全化させて、正常化の実現を図るべく的確な指導を強化すべきである。