第5章 和解書 

合意書の存在が明らかになった3日後の平成18年10月16日、改めて鈴木がA氏の会社を訪れると、西が応接セットに座っているのを見て驚きの様子を見せた。しかし、二人共お互いに顔を合わせようとはせず、ダンマリを決め込むかと思えば、突然、罵り合うようなことを繰り返し、修羅場のような様相となった。

「これじゃまともに話が出来ないから、下の喫茶店でよく話し合って、もう一度事務所に来るように」とA氏が言ったが、鈴木も西も席を立とうとはせず、沈黙を続けた。

そこで、A氏が鈴木に利益金は実際いくらなのか、と尋ねた。13日に鈴木と面談して以後、A氏は西を呼び、西の手許にある資料や、紀井との面談の際に取った録音テープを聴くなどして、鈴木が巨額の利益金を隠匿しているとの疑念を深めていた。A氏の問いに鈴木は多少はたじろいだものの、13日の時と同様に「合意書」に基づいた株取引など無いと一貫して否定した。当日の面談を録取した反訳を一部抜粋して以下に再現する。

A氏 :(合意書について)鈴木さん、西が持っていると思って、えらく気にしていて、「西さん、あんた、(合意書を)破ってくれたか」と。(西が)「間違いなく破ったよ」と、そういう話をしたって……

鈴木:そういうことはないですよ。正直頭になかったですから。それはねえ、宝林のところでいくら誤魔化しているって、他の奴らが言っているか分かりませんけど……

A氏 :80億からって言っている、少なく見て。

鈴木:でも、実際ないですよ、それは。

A氏 :鈴木さん、宝林でいくら儲かったっていうわけ? 宝林で……

鈴木:宝林は20、30って言ったじゃないですか。

このやり取りから、少なくとも宝林の株取引については、「合意書」に基づいた取引であった事実は認めている。問題は利益がどれほどあったのかという点だが、紀井が証言している約160億円という数字が根拠になってはいるが、鈴木は紀井が証言している事実をその時点では知らなかったので、頑として認めず、話は平行線のままだった。

 だが、あまりに頑なな鈴木の対応に業を煮やしてか、A氏と西が、紀井が証言している事実を明らかにすると、鈴木はかなり動揺し、確認のためにその場で紀井に電話をかけた。そして、紀井がその事実を認めたことで、鈴木の対応に変化が生じた。

 そして、鈴木は最終的に「合意書」に基づく株取引は認めないが、トラブルを解決するために金を払うと理屈の通らぬことを言い出したのである。そもそも「合意書」には「今後本株以外の一切の株取扱についても、本合意書に基づく責任をそれぞれに負う」と明記していたが、鈴木が「合意書」に署名している限り、三者の話し合いがなければ「合意書」も各条項も解除できないことは言うまでもなかった。但し、鈴木が「50億円を払う」と言ったことで話し合いは進んだように思われた。

 ちなみに、紀井は、自分が情報提供者となったことが鈴木にバレることを極端に恐れていたようで、A氏と鈴木が交互に電話で話をする中で、A氏が100%とは言えないまでも紀井の身の安全を守ると言った言葉で、紀井はようやく腹をくくった模様で、鈴木が確認を求める質問をすると、紀井はそれが事実であることを認めた。鈴木には、それがショックだったに違いない。鈴木の対応が少しばかり軟化したのは電話を切った直後からだった。

「(宝林の株取引では)これまでに50億ほど利益が上がっています」と鈴木がA氏に言うと、西が即座に「そんな額じゃないだろう」と噛みついた。二人の言い分が相変わらず真っ向から対立し、全く話し合いにならなかった。

西が予め用意していた「和解書」を出すと、鈴木はその書面を2度、3度と読み直していたので、A氏が「文言については気になる所があれば修正するので」と言って鈴木に向き合った。すると、鈴木は修正も求めず「50億円を、A氏、西にそれぞれ今月末から毎月5億円ずつ5回に分けて、平成19年2月末までに支払います」と約束した。一人に25億円ずつの支払である。

(写真:和解書。鈴木は株取引の利益金60億円を前提にA氏と西にそれぞれ25億円を支払う条件で和解書が作成された。鈴木はさらにA氏に別途20億円を支払うと約束した)

「和解書」には鈴木と西が「本合意書に反したことは明白である」という記載があって、特に鈴木は署名指印したことで「合意書」を反故にしようとして不正を働いたことを認める形になった。

とはいえ、A氏が「50億円の利益で、25億円ずつの配当では計算が合わないのではないか」と言うと、鈴木は慌てて、「いや、利益は60億位はあると思います」と金額を訂正した。

鈴木が25億円ずつ支払うと言ったことで、A氏は止むを得ず了解した。鈴木が和解書の空欄だった金額欄と支払日欄に自筆で署名し指印した。しかし、鈴木が実際に隠匿している利益金の額を紀井や茂庭から聴いて、おおよその金額を知っていた西は、強く抵抗して署名を拒んだ。しかし、A氏は、この時はまだ利益金の実態について確証がなかったために、西に署名するように強く言ったことで、西は渋々署名に応じた。

「飽くまで60億円が前提だからな」と西は鈴木に釘を刺した。

○鈴木は和解書の支払い約束を何度も追認

こうして一応は「和解書」が作成されたが、署名した後も西は「こんな金額では納得できない。社長が他から借りている金額の一部にしかならないじゃないか」と鈴木に言うと鈴木も反論し、再度、喧々諤々となる中で、鈴木が話を転じてA氏に「私が出所直後に天野から、債権者は厳しい事を言うのが普通なのに、一番ご迷惑をお掛けしているにも拘らず社長から『鈴木さんが居なくて大変だと思いますが、何か困った事があったら遠慮なく言って下さい』と言われ、本当に助けられました、と聞いています」と言い、さらに鈴木は「社長には本当に色々お世話になっておりますので、あと20億円をお支払いします。但し、その20億円については2年間の猶予を下さい。出来るだけ早く払いますが、念の為に」と付け加えた。

「それも和解書に書け」と西が強い口調で言ったが、鈴木はそれを無視して、「西の言い方が気に入らないので書きませんが、約束は厳守しますので信じて下さい」

とA氏に言う。A氏は、鈴木が支払うと約束したのだからと、疑念は残ったが了承した。和解書には記載はないが、この面談の内容は逐一ボイスレコーダーに西が録音していた。

会社からの帰り際、鈴木はA氏に向かって右手を差し出して握手を求め、「社長には本当に感謝しています。2年後には大きな事をやるので見ていて下さい。必ず社長のご恩に報います」と頭を下げて帰って行ったという。実は、こうした鈴木の態度がA氏の気持を掴んで信用させていた。しかし紀井によると、A氏の会社を出た鈴木は紀井に電話して、「うまく話が着いた。100億円以内で済みそうだ。香港の金はバレないだろうか?」と言って心配を口にしたという。

関係者によると、その後も鈴木からA氏に数回の電話があり、西が株を買い支えするために蒙った損害額の確認をしてきたという。A氏は「西に聞くので2~3日後に電話するように」と伝えた。その後、鈴木から電話が入った際に、A氏が58億円以上の損失(実際の207億円のうち鈴木の指示での分)があったことを伝えると、鈴木は「その損失額は利益から差し引いて3等分するべきですね」と言った。16日の協議では買い支え損のことに触れなかったが、鈴木が一転して認めるような言い方に変わったことから、A氏も「そうですよ。それが本当だから」と言って応じた。さらに数日後には「署名と金額の入っていない和解書の原文のコピーを頂けませんか」と鈴木の依頼にもA氏は快く応じ、青田が京王プラザホテルに受取りに行くというので、A氏が持参しようとしたが、「社員の方に持参して貰えませんか」と言い、A氏と直接会うのを避けた。この様に鈴木とのやり取りを繰り返していたA氏は、合意書に基づいた、つまりTAH社のマネージング料(10%)、株価の買い支えに伴う損失等の経費(58億数千万円)を差し引いた後の純利益を3等分するという前提に立った上で、和解書に記載した事項が実行されるものと考えていたようだ。そして10月23日、鈴木がA氏に電話をしてきて、会いたいという。A氏は快く応じた。来社した鈴木とのやり取りは以前と同様に録音してあったが、その一部を以下に挙げると、

鈴木:ひとつは、金の作り方。一番いいのは、社長の方で海外に口座を作ってもらう事ですね。

A氏 :それはできないですね。(注:日本国内で出した資金だから、受け渡しも日本国内で、という意味)

鈴木:社長、ほんとに、こう、一番いいのは、こっちで西の口座を作ったり、社長の所の会社の口座で、あれするのもひとつの方法なんですけど。

A氏 :会社はまずいですけど、西の口座、私の口座ならそれは構いませんよ。

という話の中で、鈴木は「和解書」で約束したカネの支払について、A氏に「海外に口座を作れ」という。A氏は、あっさりとそれを拒否した。恐らく、直前に西の香港での事件が思い浮かんだのかも知れないが、金を受け取るなら日本国内でなければ、確実に形にはならないと踏んだのであろう。

その後の支払いを巡って鈴木が和解書を無効とする主張を繰り返すような手紙を一方的に送り付けてきたのである。そのような主張をするような気配を、鈴木は全く見せなかっただけにA氏には意外だった。その後、鈴木は一切A氏の連絡に応じることなく、所在を不明にしてしまった。そして、この後にも触れるが、鈴木の代理人となった平林も「鈴木は精神錯乱状態にあった」から「和解書は無効」だとする主張を繰り返すことになるのである。

○鈴木からの手紙 

和解書を交わした時から約1か月半が経過した、その年の11月末、A氏宛に鈴木から手紙が届いた。意外にも手紙の内容は「和解書」の撤回だった。和解書を作成した時の状況を考えると、さすがのA氏も驚きを隠せなかった。

「舌の根が乾かぬうち」とはこのことである。鈴木はこの頃には青田や平林の影響を大きく受けていたようだが、手紙の中で鈴木は、西が自分のことを国税当局に密告したために大問題になっていることを強調しながらも、【紀井氏の言っている数字は表面上の数字であり、(以下略)】と、鈴木自身が悪事を働いて利益金の隠蔽を繰り返してきた事実をほぼ認めている。

さらに【宝林株は西の提案で始まった】と、西との仕手戦の仕掛かりを手紙でも認めており、【社長のマイナスになるような事は絶対しません】としていたのだ。

 西を嘘つきにしなければ、鈴木が構築した虚偽のストーリーが全て壊れると考えてのことか、西への攻撃は相当なものだった。

【特に今回、私を陥れるため作り上げた香港での殺人未遂事件は、考えれば考えるほど、頭にきて眠れません。到底許せることではありません。第三者を入れ、ウソだった、作り話だったと判明させなければ納得がいきません】

【(紀井は)話し合い当日に全ての仕事をほっぽり出して逃亡していますが、私の被害が多方面で非常に大きいということ、また、やり方が非常に卑劣だということ。また、紀井は、国内外の関係者数名に、私が殺人を犯すような人なので、私の所を辞めたと言っています。(略)このような話をされては、私の国内外における仕事の被害も甚大です。許せません】

 などと書き連ねているが、西が長男を伴って香港に出向き、そこで殺されかけたのは事実であることを前提にすると、鈴木は西が主張した「鈴木から利益の分配金を受け取るため」という渡航の目的を徹底的に排除しなければ、鈴木自身が言い逃れできない状況に追い込まれたのは間違いなかった。

 だが、三者協議で西が事件を口にしたのはわずか数分程度で、協議の大部分が『合意書』の確認と履行に費やされていたことを考えれば、鈴木には明らかに“後ろめたさ”があったに違いない。

【どちらにしても、西と紀井がいる限り、秘密保持は出来ません。何とか紀井本人を捕まえて、第三者を入れ、キッチリ紀井から本当の事情を全て聞きたいということ。(また、紀井がいっている数字も訂正させたい)】

 鈴木の言うことが事実であれば、何故逃げ回って所在を不明にしていたのか? という疑念が生まれる。

【平成11年の合意書(3者契約)について →私一人で立案し稼いだ資金を、国内外の移動という、現在もっとも難しいことで、なぜ、一人だけでやらなければいけないのかということ。(略)

このままでは、私一人では国内で起きた問題を含め、今回の資金の受け渡し等、弁護士の力を借りなければどうにもなりません。そこで、今後の対応を、私のことをよく理解してくれている青田氏と、弁護士の平林先生に、国内における全ての問題の代理人として全面委任することにしました。秘密保持を絶対条件とし、今回の件の事情、私の要望等、全て話をして、国内における動産類を預け、全てに対応してもらうことに決断しました】

などと、一見まともに思われるようなことを述べているが、実態は鈴木自身がA氏や西には接触しないという宣言をしているに過ぎなかった。

「合意書」や「和解書」については当事者でなければ真意が分からないこともあり、A氏は、誰を同行しても構わないが、鈴木本人が対応しなければ何も解決しないと強調したが、鈴木は聞く耳を持たなかった。

事情を知る関係者によると、西による国税当局への密告など鈴木の全くの作り話で、稚拙な言い訳に過ぎなかった。鈴木は「和解書」に署名した後、何回も電話で内容を追認しているにも拘らず、【いろいろ考えたが納得のいかない点が多々あるので和解書は無効だ】と書いてきた。そして、【西と紀井氏が、A氏、西、自分の三人しか知らないことを他人に言いふらしていて、国内で自分の信用が無くなり、様々な仕事がし難くなったために、日本へ戻れなくなった。西は信用できない人間で、西を交えた話し合いは無効にする。今後は友人の青田氏と弁護士の平林英昭を代理人とするので、自分がこの件で直接話し合いをすることは無い】と綴っていた。

A氏は手紙を読んだ後も、「鈴木と直接話が出来れば解決する」と感じたようだ。それ故に、A氏は、「この件は直接話し合いをすることが最善の方法と考え、鈴木さんから(A氏に)直接連絡をするように」と、鈴木が指定した代理人の青田からの電話に応えた。その後、12月に鈴木から2回目の手紙が届いた。しかし、鈴木の言い分は前回の手紙の内容とほぼ変わらなかった。鈴木は、「私一人で立案して稼いだ金を、国内外へ移動する事は現在最も難しい事だ。何故一人でやらなければいけないのか」と述べているが、「私一人で立案して稼いだ資金」とは、よく言えたもので、宝林株800万株の取得は西の交渉によるもので、その後の取得した宝林株を高値で売り抜けるための買い支え資金はA氏が出した。もし鈴木が立案したと言うのであれば、それは、利益を密かに海外に流出させ、タックスヘイブンのプライベートバンクに隠匿することだったのではないのか。最初に仕掛けた宝林は「西の提案」と鈴木自身が手紙にも記していたが、何よりもA氏が金銭的に全面支援したことで、西が市場で株価を高値誘導し、維持する作業を繰り返すことができた結果、鈴木(紀井)は取得した株式を売り抜けることができたのだ。それを一番承知しているのは、他ならぬ鈴木自身であったはずで、明らかに矛盾だらけだった。

また、そのような話を鈴木はA氏に一度も相談していなかった。それを言うなら、利益を3等分する際のタイミングだったのではないか。

鈴木の言い分はA氏と西には全く理解が出来ないことであった。この2通目の手紙の一部も、以下に挙げてみる。

【三人での話し合いの後、西が紀井に話をして、紀井が私の関係者に話をした時点で、三人だけの内容の話は終わったのです。

 この件で私が直接手紙を書くのは、これで最後になりますが、私の考えと思いを書きます。根本的に私は、今回の件は以前に社長に言いましたが、合意書とか、和解書とか、そんなものは関係ないのです。社長には過去たいへんお世話になり、人物的にも魅力を感じ、男としても一目も二目も置いていました。私にはそう思える人物が過去ほとんどいませんでした。それと100歩譲って西がJASのきっかけを作ったということです。JASの件では、双方に資金を渡しているはずです。西が一人だったら、何と言おうが、何をしようが、びた一文渡しません。社長が居るからやろうという気持ちを維持しているだけです。西もそれが分かっているからこそ、紀井を利用して、卑劣な手を使っているのでしょう。

代理人を二人立てたことについては、国内で起きた問題も大きな要因ですが、きっかけになったのは、話し合いの後、西が紀井に話し、紀井が私の関係者にTELをして、香港の件を含め、今回の件の話をしたことです。海外の資金は自分のものであって、自分のものではありません。関係者には事情を説明して、各方面対応してもらうしかないのです。当然、関係者は、このような件を一人で対応させるようなことはさせません。また、私自身、本当に安易な行動を取ったと深く反省しています】

 海外の資金の保有者はあくまでダミー会社だから、自分がその金に自由気ままに手をつけることは出来ない、と鈴木は言っている。とはいえ、鈴木の手紙を読んだ関係者の一人は「西は宝林株の利益分配で30億円を受け取ったと、香港へ行く前に妻に置手紙を残していたが、鈴木はA氏にはいつ、いくらを渡したというのか?」と言う。鈴木はその答えを出せなかったに違いない。平成11年7月30日に西がA氏の会社に持参した15億円をA氏への返済金と言ったり、「合意書」に基づいた株取引は無かったと主張する中で、宝林株取引だけはギリギリで認めざるを得なかった鈴木にとって、この手紙では15億円が宝林株の利益分配としか言いようがなかったのではないか。その場しのぎで発言をすり替える鈴木の本性が現れていた。 

手紙の文面から「稼いだ金を国内外へ移動するのに苦労している」ことは判明した。周知のように、非合法で国外に流出させた資金は、「犯罪による収益の移転防止に関する法律」によって厳しく罰せられ、発覚すれば全額没収になる。鈴木はその辺りの知識を十分に持っているはずで、そう考えると、海外での利益金の隠匿を問わず語りに認める話でもあった。

A氏宛に送ってきた鈴木の手紙で、鈴木は青田と平林の二人を代理人に指定したが、もし鈴木がこの手紙の文面にあるように、A氏に対しては「和解書」の履行に努力するという意思があったならば、代理人となった青田、平林の両人は、本当に交渉する現場を作ったに違いない。しかし実際には逆だった。

鈴木の目的が相手から身を隠すことにあるのは明白で、鈴木の正当性が立証されるかと言えば、全く逆の効果であることが、その後の交渉の過程でより明確になった。

この頃には、西が紀井の証言や鈴木の周辺関係者への調査から、隠匿されている利益金の実態を把握し、鈴木の裏切りの確証を掴んでいた。そしてそれは全てA氏に報告されていた。それまで隠し通してきたはずの利益金の実態が露見したことで、鈴木はA氏に釈明すら出来なくなった。今迄、何から何迄世話になりながら、鈴木はそれを恩義に感ずることは微塵もなく、逆に、A氏に相対して話をすれば、悪事がすべて露見することを強く実感したとしか言いようがない。

 改めて、この事件の真実を掘り下げていくと、鈴木の悪行の数々に驚かされると同時に、まだ解明されていない謎も多くあることが実感される。