第4章 暴 露

鈴木への不信感を強く持った西が、実態を掌握すべく鈴木の周辺人物から聞き取りを始めたところ、紀井が協力者になったのは大きかった。

紀井は、過去に鈴木がエフアールで第三者割当増資を実施する際に、幹事会社の一つだった外資系証券会社に在職していた経歴から鈴木の勧誘に乗ったという。鈴木から最初に提示された条件で「利益を折半」という報酬にも魅力があった。しかし実際の報酬は10分の1どころか100分の1にも満たなかったと紀井自身が語っている。

そして、自分の身にも危険が及ぶと考えたのか、紀井は西が10月15日の面談の際に「明日午後にA氏の会社で会うことになっている」と聞き、翌々日の10月17日には事務所へ行くのを止めたという。紀井は西との面談で「鈴木氏が株取引で得た純利益は西さんに説明した通り、少なく見ても総額470億円以上で相違ありません」と、説明した。

紀井が突然、事務所に姿を見せなくなり、電話を架けても応答しないという事態に鈴木も慌てたのか、側近の青田が紀井に連絡を取り続けた。しかし、それでも紀井はしばらくの間、電話に出ず無視を決め込んだが、何とか連絡を取ろうと躍起になっていた青田に根負けしたのか、紀井が青田からの電話に出ると、「どうしても会いたい」と執拗に迫ってきたため、仕方なく数回会ったという。その時、青田は「証拠となる書類は全てシュレッダーにかけたから、何一つ残っていない」と言ったが、紀井は反発して、「重要書類はコピーして手許にある。自分の身に何かあった時は、それが公になる」と青田に伝えたという。

すると青田は「A氏に会って、土下座をするので是非話をさせて欲しい」とA氏へのつなぎを求めたり、「鈴木も円満解決を望んでいる」といった類いの話をした模様だが、紀井は何か裏があると感じ、鈴木に対する不信感を一層深めると同時に恐怖心さえ覚えたという。

「私は、鈴木氏から本件株取引について口止めされてきたので、大きな取引以外、(西氏には)回答を拒んできたが、西氏の香港での事件や『合意書』を提示され、嘘をつくわけにもいかないと思い、やむなく本件取引の銘柄、それぞれの利益を回答した。また、私が話したことがバレたら、狙われるので、西氏を通じてA氏に守ってもらえないかを尋ねた」と、紀井は必死な想いを語っている。

紀井の証言によると、鈴木から指示され売り抜けた銘柄については「宝林(純利益約170億円 以下同)」「エフアール(40億円)」「アイビーダイワ(10億円)」「昭和ゴム(35億円)」「ヒラボウ(20億円)」「住倉工業(3億円)」「エルメ(20億円)」「イッコー25億円)」「アポロインベストメント(30億円)」「なが多(30億円)」……などの明細を明らかにした。(別掲 明細)

(写真:紀井義弘氏作成の確認書。鈴木が仕掛けた銘柄と利益が具体的に記されている。株の売りは紀井が一人で担当していた)

「鈴木氏の株取引は全て私がやっておりましたので、純利益の数字に関しては少なく見てもこれ位あったのは間違いありません」と紀井は言う。

○CBと第三者割当増資で取得した株を売り抜ける

通称“鉄火場”と言われる証券市場で、相場を思うようにリードすることで一攫千金を狙う「仕手筋」と呼ばれる一群は常に存在してきた。もとより紀井が明らかにした仕手銘柄の明細は、平成11年から平成18年までの長期に亘っている。そうした中で、紀井が挙げた銘柄は、その多くが商号の変更を繰り返したが、そのたびに鈴木がユーロ債円建転換社債を発行し、あるいは第三者割当増資を実行するなどして株式を取得し、その前後で西が株価を高値に誘導する仕手戦を仕掛けた。

・エフアール→なが多→クロニクル

・アイビーダイワ→プリンシバル・コーポレーション→グローバルアジアホールディングス

・エルメ→アポロインベストメント→ステラ・グループ(プロジェホールディングス)

・ヒラボウ→ビーエスエル→オークキャピタル

紀井により明らかにされた銘柄の中でもエフアール、なが多は鈴木が社長を辞任した後も引き続いて鈴木の支配下にあった事実は歴然としている。

ヒラボウは元々平田紡績という漁網の製造会社だったが、1980年代に地産グループがM&Aを仕掛け、同グループの傘下に入った。同グループの総帥、竹井博友(故人)は仕手筋としても知られ、ハムメーカーのローマイヤー、洋菓子メーカーのモロゾフ、あるいは岩崎電気などの銘柄で名前が取り沙汰されたが、1991年6月、国際航業を乗っ取った光進の小谷光浩(1991年3月に恐喝容疑で逮捕、起訴。平成15年に懲役7年の有罪判決確定)との関係で国際航業と小糸製作所などの株式を売買した際に得た利益55億円のうち34億円を脱税した容疑で東京地検特捜部に逮捕、起訴された。

西が記した「鈴木義彦氏がユーロ債(CB)で得た利益について」と題するレポートによると、鈴木がこの銘柄を仕掛けた時期は平成14年のことで、発行価格は「15億円(90円/1600万株)」といい、発行の内訳は「80%が鈴木、20%が西田グループ」で、これにより得た利益は約20億円だったという。

担当責任者は、茂庭進(元山一證券スイス駐在所長)で、ユーロベンチャーキャピタルを設立し、ファーイースト社の一室で運営代行を行っていた。鈴木はこのユーロ債(株券)を鈴木と親交のある金融ブローカーやヒラボウ内部の人物に渡していたという。その目的は「本来日本ではすぐに売却できないユーロ債で発行した株券を金融ブローカーに少しでも早く売却させる為」であり、もう一方では「西田グループに株価上昇の協力をさせ、自分が多大な譲渡益を得る工作もして」いた。また、「出来高を増大させることにより、大量の新株の売却を可能にさせる」ことにあった。

さらにエルメという銘柄は、やはり平成14年5月に総額12億円(44円/2700万株)を発行したが、これは宝林株買収の話を西に持ちかけた平池某の案件で、「当初の約束では、平池氏に対して割り当てた株数のうち100万株を譲渡する条件で、平池氏がユーロ債を決定した」。価格は一時329円まで急騰したが、「鈴木氏は平池氏との約束を破り、100万株の株券は平池氏に渡らなかった」といい、「平池氏は鈴木氏に大変な憤りを感じ、後にあらゆる鈴木氏の身辺調査を実行する」ことになった。鈴木による利益の独り占めによって、関わった誰もが大きなダメージを受けているのだ。

金額で単純な比較はできないが、東京都知事を歴任した舛添要一氏も猪瀬直樹氏も公私混同疑惑(公費乱用)や政治資金規正法等で公職を追われたが、問題とされた金銭疑惑はいずれも数千万円規模だった。海外で隠匿している資金1000億円以上と疑われる鈴木が、いざ事件として表面化した時、その問われるべき罪は深刻で計り知れない。

○「鈴木とは一緒に仕事をしたくない」

鈴木が銘柄を選び、西が株価の高値誘導を仕掛ける中で、前述したように選ばれた銘柄は1回に留まらず、商号を変えるたびに第三者割当増資が行われるという行為が繰り返された。だが、どれも仕手銘柄として話題になる中で、SEC、国税、検察などの関係当局は当然、目を光らせていたはずだ。それだけに、監督官庁が何時でも、どのような状況でも仕手筋に切り込んでくる機会はあったと言えよう。そのように考えると、西が志村化工の仕手戦で摘発されたのは半ば当然だったようにも思われる。

実は、紀井は以前より「もう、鈴木とは仕事を一緒にやりたくない。辞めようと思う」という話を西に幾度となく漏らしていたという。西と話すうちに紀井の中で以前から燻り続けていた鈴木への不信感が、一気に噴き出したといえよう。

平成11年から足かけ7年間、紀井は黙々と鈴木の指示に従って仕掛けた銘柄の株式を売り浴びせてきた。鈴木の指示に「買い」は一切無く、鈴木が海外で口座を開設したプライベートバンクの系列証券会社や証券担保金融会社まで動員していた。紀井は、その行為が明らかに法に抵触しているという実感を強く持っていたことから、恐らく自分自身にも少なからず影響が及んでくることを予感していた。

西が、隠匿された資金の実態調査を進めた中で判明した事実の中には、宝林株800万株を購入したオフショアカンパニー3社が、関東財務局長宛に提出した「大量保有報告書」と「変更届」に驚くような虚偽事実が記載されていた、というものがあった。

オフショアカンパニーは「バオサングループ」「シルバートップ・プロパティーズ」そして「トップファン・セキュリティーズ」の3社で、このうちバオサングループは平成11年5月31日に取得した300万株を、同年9月7日に282万9000株を市場内で売却したとして、同社だけが「変更届」であったが、3社の書面では株を取得した際の購入資金をいずれも紀井からの借入と記載していた。

その事実を知ったとき、紀井は驚き、即刻バオサングループの常任代理人を務めていた杉原正芳弁護士宛に問い合わせの書面を送った。書面の内容は次の通りである。

「私がバオサングループに6277万5000円の資金を貸した、と報告しているが、そのような貸付をしていないばかりか、自分の名前が記載されていることは平成20年になって初めて知ったことである。その事実を知って大変驚くと同時に大変迷惑している」

(写真:常任代理人の杉原正芳弁護士が金融庁に提出した報告書の一部。借入先を紀井義弘と虚偽の記載をした)

として、弁護士の立場で何故虚偽の記載をしたのか、自分には理解できないと抗議したが、杉原から一切の回答は無かったという。杉原も、鈴木の代理人である平林も有り得ない話を並べ立てて、鈴木に有利な発言をする人物たちだった。

紀井は「サラリーマンの身分である(鈴木に雇われている)自分がこれほどのお金は持っていない」と杉原宛の書面で述べているが、前にも触れたとおり、西がロレンツィ社から株式800万株を購入した際の資金3億円はA氏が出したのは明らかであって、紀井を始め、西の運転手、秘書等何人もが認識している事実だった。何故、このような虚偽の報告書がまかり通ったのか。弁護士を含む鈴木の関係者が、鈴木の言いなりになって、虚偽の報告書を作成したのは間違いのないことである。鈴木は、金の力に任せて味方に引き入れたのだろう。

紀井は、証券関係者や鈴木の周囲の人間たちから「よく鈴木と7年も付き合っていられたね。俺なら2年も持たなかったよ」と言われることが何度となくあったという。証券業界での鈴木に対する評価は決して芳しいものではなかった。それどころか、「人を徹底的に利用する」「儲けはほとんど独り占めにする」「役に立たないと分かった時点で、平気で人を切り捨てる」など、散々なものだった。

鈴木を知る周囲の人達によると、鈴木は、多方面から借り入れている借入金の返済請求に対して、自分の手元に有り余る金があっても何かと理由をつけ、架かってくる電話に出ることは殆ど無く、自分で対応することは少なかったという。また自分で対応する時は、「この金額で良ければ、すぐに他から借りてでも返済します。但し、今しか出来ません」と、借入金の5∼10%程度の金額を提示しながら、言葉巧みに相手を説得し納得させるのだという。債権者の心理を読みながら、「全く回収できないよりはマシか」という思いにさせる狡猾な話術を身につけていたのだろう。

鈴木は、このように他の借入先に対しても信義を守らず、逆に、前述したような手法で借金を免れた話を自慢げに側近に話したという。人間としての信用が無くなるのは当然のことだった。借金をする時にも出来るだけ書類は作らず、口約束で「直ぐ返す」と言って、後から言った、言わないの水掛け論に持ち込むのが鈴木の手口と側近たちは言う。