第3章 裏切り発覚
西も株取引の全てで鈴木と緊密な連携を取ってはいなかった模様だが、平成12年頃から仕掛けていた志村化工(現エス・サイエンス)株の仕手戦で、証券取引等監視委員会(SEC)が悪質な相場操縦であるとして東京地検に告発。西は平成14年2月27日、オフショアカンパニーの代表者であった武内一美、さらに川崎定徳(川崎財閥の資産管理会社)の桑原芳樹と共に逮捕されるという事態が起きた。
武内が代表だったジャパンクリサリスファンドは、前にも触れた通り、英領ヴァージン諸島に本拠を置いていたが、武内自身はエフアールの元役員だった。鈴木が仕手戦を仕掛けるために手配した会社であることは明らかで、武内を代表者に仕立てたものだった。
志村化工は、販売権を任されている取引先の三栄化成(本社東京)が世界最大のエネルギー関係に実績を持つ次世代型磁石の開発に成功したという情報が日刊工業新聞の1面トップに掲載されたことから、200円前後で低迷していた株価が一気に1350円まで上昇した。しかし、その直後には800円まで急落した。売り浴びせたのは鈴木である。買い上がっていた西は、20億円を超える損失を出す中で特捜部に逮捕されたが、鈴木はまんまと逃げ延びた。
東京地検特捜部は鈴木本人の捜査が本命であり、鈴木を逮捕、起訴に持ち込む意志を強く見せていた。しかし、鈴木は自分の名前を表に出さず、海外に複数設立したペーパーカンパニーの名義で株の引き受けや売り抜けをしていたので、鈴木を逮捕、起訴することが出来なかったと思われる。これも鈴木の用意周到な作戦勝ちだった。ただ一点、もし西が鈴木の関与を明らかにしていれば、状況は大きく変わっていた。
取調べ中の検事から鈴木に関するさまざまな証拠を突きつけられ、西自身が承知していなかった鈴木の動向を知らされた、と西は後に語っている。だが、それでも西は終始、鈴木の関与を否認して庇い続けた。鈴木が親和銀行事件で執行猶予の身であったこと、それにも増して鈴木が海外にプールしている利益金がすべて没収されかねないと考えたからだったが、それは鈴木の思う壺だった。
「西会長が仮に実刑となっても、出所後は会長の言うことは何でも聞くので、私(鈴木)のことは一切秘密にして下さい」
鈴木は逮捕直前の西に土下座をして必死に頼んだという。鈴木は、自分の身の安全ばかりを考えていたのだった。西の拘留中や保釈後はともかく、西が平成15年7月30日、懲役2年、執行猶予3年を言い渡された後、鈴木の西に対する対応は冷淡にも連絡を取り合うことさえ避け続けたという。同年の9月、鈴木から西に電話が入り「一度ゆっくり話がしたい」というので、西と鈴木は西麻布の喫茶店で会ったが、
「その時、彼は私のことを『西さん』と呼ぶようになっていた。今まで私のことを『西会長』としか呼ばなかった鈴木が、裁判が終わった直後に態度を変えたことに対して私は非常に驚いたが、それ以上に驚いたことは、『西さんへの毎月の生活費の支払いをそろそろ止めたい』と言われたことだった。私は、その時鈴木にたった一つの事だけを言った。『執行猶予が切れた暁には、二人で交わした契約を実行していただきたい』。私はその時約300億円以上の利益が積み上がっていることを伝えられており、『自分には多額の借入金があり、それの清算をしなければいけない。もちろん、社長にも返済しなければいけない金額が沢山ある』というと、驚くことに鈴木が私に言った言葉は『社長は俺には関係ないだろう。西さんが取り分をどうしようと勝手だけど、俺は14億円の分配と10億円の借入金を返済しているので、もう全てが済んでいる。俺と一緒にはもうしないでくれ』ということだった」
西はその場を終えたが、その直後から鈴木の携帯電話がつながらなくなり、紀井経由でなければ連絡が取れなくなったという。ただし、西が必要に応じて紀井に電話をすると鈴木からは必ず連絡があったので、少しは安心をしていたという。
親和銀行事件当時の西の鈴木に対する心遣いとは全く懸け離れたものだった。そのため、鈴木による利益金の独り占めという疑念を強く持ち始めた西に「志村化工の事件は鈴木が仕組んだのではないか?」という話すら持ち出す関係者が何人もいたという。
○鈴木は「西に返済金10億円を渡した」と嘯いた
西が保釈されて間もなくの同年4月、鈴木に対する貸付金が金利を年15%で計算(本来の約束は遅延損害金年30%)すると、元利合計で40億円を越える金額になっていたことから、A氏が「鈴木さんに貸付けた金の返済はどうなっているのか?」と西に確認を求めた。すると、西が「今後は株の配当金も多くなってくるので、多額の利益が分配されるから、元利合計で25億円くらいにしてあげてくれませんか」と頼み、A氏が了承し、改めて元金を25億円とする借用書を作成することになり、鈴木をA氏の会社に呼んだ。
平成14年6月27日。会社に顔を見せた鈴木にA氏が用件を伝えると、鈴木が意外なことを言い出した。唐突にも「西に、社長への返済金の10億円を渡したので、その分を引いて下さい」と言ったのだ。それまで西を『会長』と呼んでへりくだるような対応をしていた鈴木が西を呼び捨てにしたことをA氏が意外に思った。西は保釈中の身であったとはいえ、鈴木はもはや西を利用価値無し、とでも考えたのか。しかし切り捨てにかける理由などなかったろうから、鈴木の豹変は明らかだった。
鈴木の話を聞いてA氏も驚き、西に「返済金10億円を鈴木さんから受け取ったのか」と問うと、西は一瞬、口をつぐんだが、直後に「受け取りました」と渋々ながら認めたのである。そこで、A氏はすぐに鈴木に目を転じて、
「そんな大金を返済する場合は、あなたも同行するのが当たり前だし、もし同行出来ない時には最低でも電話で私に確認するべきではないのか」 と言うと、鈴木は「すみません」と言って、下を向いてしまうだけだった。鈴木は、A氏に痛いところを付かれ、それ以上自分の虚言を主張しきれなかった。西は渋々ながらも10億円を「受け取った」と認めたが、しかし、それがA氏への返済金であったかどうか、明確な返答を避けざるを得なかった。
「A氏は、釈然としなかったようだが、私が認めたことで、改めて鈴木から15億円の借用書を取り、私も10億円の借用書を書いてA氏に渡した。本来、A氏は10億円を受け取っていないので、鈴木に25億円の借用書を書かせるのは当然のことだった。しかし、鈴木が返済金と主張した10億円は、A氏が保管する合意書を破棄させることを条件に、鈴木が紀井から運転手の花館に払ったものであって、返済金では無かった」
という西や紀井、花館の証言があるが、それは、ずっと後になってからA氏に伝えられたもので、その場では真相を語ることは無かったのである。ちなみに、鈴木はこの10億円を西に一括で渡したとA氏には主張したが、実際には「執拗に合意書の破棄を迫り、私から破棄したという確認を取りながら、『合意書』の作成直後から数回に分けて私に金を渡したのが真実だった」と言う。
この時点でも、鈴木の利益金隠匿の秘密は暴かれなかった。また合意書が破棄されていない事実も鈴木は知る由も無かった。
志村化工の事件で西が逮捕された以降に、鈴木が単独で仕掛けた銘柄はクロニクルほか複数あった。西は、逮捕後の取調べ中に自分が知らなかった鈴木の動向を検事から聞かされたことで、鈴木の裏切りを感じ始めていた。先の10億円に関する一連のやり取りも、西が全て録音していたというから、周到に証拠物を集めていたのかも知れない。裁判では、鈴木は西に10億円を渡したとは言っていないし、平成14年6月27日には3人で会っていないとまで証言しているが、このような度を越したウソが多すぎる。裁判をなめているとしか思えない。裁判官たちも真剣に取り組んでいるとはとても思えない。
西が残したレポートに「香港を舞台にした金銭授受、そして……」の見出しが記された部分があるが、それをできるだけ忠実に再現する。
「私は鈴木と2005年(平成17年)10月に東陽町にあるホテルイースト21のスカイラウンジにて、1時間半かけて色々な打ち合わせを行った」
便宜的に二人の会話の主要な部分が描かれているので、それを挙げると、
西 来年(2006年)の8月にて執行猶予が切れて、パスポートを手に入れることができるので、徐々にお金の準備をしていただきたい。
鈴木 今は200億円程度の利益しかない……。
西 さまざまな理由を述べずに、400億円以上の利益に対しての3分の1の分配として決定しよう。
鈴木 株券の在庫が多く、西さんが言っている金額は全ての株券を売却しなければ難しい。
西 本来、当初の取り決めは社長、私、鈴木さんで均等にて分配(注:西とは別にTAH社に手数料10%)するという約束であったはずですよ。
鈴木 社長と結んだ合意書及び借用書は、2002年末に破棄したと言ったじゃないですか。
西 この話は、貴方と私の間で結んだ契約書に基づいてのことですよ。
「これらのやり取りを私なりに総合して考えると、おそらく鈴木は自分の思っていた以上の多額の利益を得たために、配分を減らすことを考え、また、私を丸め込むことが出来ると考えたと思う。また、私に対しては小額の現金を与えればよいということを考えていたとも思う。何故ならば、『西さん、お金に困っているのであれば、1億くらいのお金を融通することは出来ますよ。どうしようもないときは言ってください』ということも会話の中にあったからだ。また社長の名前が会話に出てきたときには、『社長は関係ないだろ。貴方が取りまとめてくれるっていつか、言っていたじゃないですか? 帳尻合わせは全て済んでいるはずだから』という言い方さえしていた」
西は、鈴木との金のやり取りの方法に関する連絡を密に取っていたが、最終的には平成18年10月の初めに、香港で約46億円の受け渡しを行うという話があり、鈴木は「マネーロンダリング法が脅威となっているため、香港での取引は全て現金で行わず、日本から海外に持ち出されている銀行振出の保証小切手にて行いましょう。そして残りに関しては、海外のオフショア口座を2社ほど開設し、その後3ヶ月以内に約90億円のお金の振替を必ず実行します」と言った。そして、9月30日の鈴木との会話で西は10月2日に香港へ向かうと述べ、インターコンチネンタルホテル香港に宿泊するとも伝えた。すると、鈴木が『西さんが以前の打ち合わせの際に、私の紹介で面会したことのあるTamという人間と香港で会い、打ち合わせを行ってください。私も時間があれば、香港に行きますから』ということを西に伝えた。そして、鈴木に利益金の配分を迫った結果が、香港での殺害未遂事件として襲いかかった。
○香港で何が起きた?
平成18年10月2日、西は香港に向かっていた。数日前に、西はA氏に詳しい目的は言わないまま「香港に一緒に行きましょう」と打診しており、A氏もその積りでいたが、何故か直前になって「長男を伴うことにした」とA氏に断りを入れたという。そうしたことを、西は家族にメモを残して香港に向かった。西が妻に宛てたメモには次のような件がある。
【今回の香港出張には、大変大きな意味、ビジネスとしては今までの七年間の集大成でもあります。(略)新株の販売に関しては鈴木義彦氏に任せ、二人で役割分担がありました。
二人の約束は、今後宝林だけではなく、あらゆる第三者割当(ユーロ債)から得られる利益を、経費を除き折半する約束。当初は口頭で、その後鈴木氏が海外へ出られるようになった時からは英文にて契約書を結びました。自分で持つ契約書は誰にも内緒で秋田の家の中に保管しておりました。その契約書とは、平成14年の秋にホテルオークラで結びました。契約までの平成11年から平成14年までは彼は私との約束を守り、金額にして約30億のお金を届けてくれ、私は、彼をパートナーにしたことをすごくうれしく思って一生のパートナーだと思っておりました。(略)私が彼と英文にて契約を結んだ理由は、志村化工における彼の不思議な行動、手法を見て、私を表に出して竹内氏(原文ママ 武内)を紹介し、宝林に新株と引換えに入金されていた多額の増資金のうち20億を、私に宝林の安藤社長を説得させ、志村の海外私募債に充てさせたり、私の信用証券会社Eトレード及びその他にて購入させたことです。志村化工を信用で買わせた不自然なやり方、追証が発生した時は、一部現金、一部昭和ゴムの株券100万株を私に渡したりしながら、二人でいつも打ち合わせをして行動を共にしてきました。(略)電話連絡がたまに取れても、今は我慢してください。刑が決まり、全部が解決した時には、契約に基づき、海外に出るようになったら、スイス・オフショアにキープしているお金、その後得られる利益を合わせて、海外のオフショアにて振込みをするとのことでしたので、自分の逮捕はもう彼は無いと思っていましたので、自分の人生は執行猶予が解決してからということで、この度の出張になったわけです(略)】
西がようやく利益分配を受け取ることに気持ちが躍っている様子が窺えるが、一方で、自分は志村化工株で東京地検に逮捕起訴されたが、鈴木は逃げ延びたことへの不満や鈴木への不信も明らかにした。そして何より、西は平成14年までに鈴木より30億円を受け取った、と述べているが、A氏が承知していたのは、鈴木がA氏への返済金名目に西に渡していた10億円だったから、その他に30億円を「合意書」に基づいた株取引の利益分配として受け取っていたことは間違いない。これは、後年になって訴訟が起きてから鈴木が「合意書」に基づいた株取引は無かったと主張したことにも矛盾する。
【鈴木は商才があり、この3年間でも100~130億円の利益をあげることが出来ましたが、イッコー株(2004年)の株式売却、その前は南野建設(2003年秋)、なが多(2005年)、その他海外における為替取引、デリバティブはあまり儲かっていないようですが、経費を引いた私の取り分は全体で、彼がスイス及びオフショアにプールしている資金一部、割当株式、国内における不動産等(略)総額約500億になると思います。私はそれらの半分ではなく、150~200憶をもらう権利があり、この度は彼及び代理人を通して、約40憶をもらい、残りはオフショアにプールするつもりです。彼とは誰にも言わず、日本にいるときに会って確認しておりますが、非常にずるいところがあり、ここまでくるのに苦しみの日々でした。私が陽一郎を連れて行くのは用心の為、相手を信用していない為です】
A氏が西に乞われるまま巨額の買い支え資金を支援したからこそ、鈴木の手元に利益が吸い上げられたという事実を、西と鈴木はどこまで認識していたのか疑問が残るが、西が「苦しみの日々」と述べているように、鈴木の立ち回りは一枚も二枚も上手だった、ということか。
このメモの中で、西が、鈴木が約束した利益分配金を受け取れるものと大きな期待と確信を持っていることが想像される。だが、このメモに書かれたことが真実であるとすれば、西は殺されかけたのだから、深刻な形で裏切られたことになる。
香港に着くと、間もなくして鈴木から電話があった。「どうしても自分は香港に行けなくなったので、代理人と会って取引してくれ」と言う。翌10月3日、タムと名乗る代理人から連絡があり、「午後4時にリッポセンターで小切手のコピーを確認して下さい」と言う。西は約束の時間にリッポセンターに出向き、小切手のコピーを確認した。西によると、タムとは平成11年11月に宝林の2回目の第三者割当増資を行う際に面識を持ったという。そして、翌4日の午後8時に小切手を受け取る約束をした。香港に来て2日が過ぎていたが、ひどくじらされているような気がして、西自身いらついていた。
10月4日夕刻、西は同行させていた長男に「もし自分と長時間連絡が取れなくなった時は警察に連絡するように」と言い残してホテルを出たという。午後8時に約束の場所に行くと、タムは乗っていた車の中へ西を招き入れ、何通かの書類にサインを求めた。西がサインを終えると小切手が渡された。するとタムが「取引が完了したのでワインで乾杯しましょう。鈴木さんからのプレゼントです」と言いながらワインを開けた。銘柄は「シャトーベトリゥス」という高級なワインだった。西は鈴木の厚意に感謝しつつワインで乾杯した。ところが、これが罠だった。西はワインを飲んだ直後に意識を完全に失ってしまった。
翌日、西はリパレスベイリゾート内の浜辺で、簀巻きにされた状態で香港警察に発見されたが、その時もまだ意識は不明のままだった。所持品のバッグは発見されたが、書類や小切手の他、携帯電話も無くなっていたという。
香港警察から連絡を受けた長男は、搬送された救急病院に駆けつけたが、ベッドに横たわる父親を見て驚愕したという。10月5日から6日にかけての2日間、西の意識は戻らなかった。顔は腫れ上がり、身体も傷だらけで、ようやく意識は戻ったとはいえ会話もまともに出来ない状態だった。
西は、自分の身に何が起きたのか、すぐには理解できなかった模様だが、徐々に意識がハッキリするにつれて「鈴木の仕業である」という確信を持った。ただ、確固たる証拠は無かったものの、わざわざ香港まで来た経緯や、代理人と称するタムとのやり取りから考えれば、明らかだった。
「西が殺されかけた」という情報は、その後、長男と、連絡を受けて夫の身を案じていた西の妻から前後してA氏に伝えられた。西から香港に行くと聞いてはいても、鈴木と会うという具体的な事情を聞いていなかったA氏は、すぐには事態が飲み込めなかったが、とりあえず、西が無事であったことを安堵した。
……この話を聞いた当初、A氏は疑心暗鬼に陥った。そもそも鈴木との密約で関わって香港に出かけるということさえ聞いていなかったから、西が事件に巻き込まれたという連絡が、最初は長男から、続いて西の妻から入った上に、西の妻から「鈴木さんの件で」と香港に出向いた目的を聞いた時、A氏は「そんな話は聞いていなかったし、どういうことなのか、さっぱり分からない」と反発したほどだったのである。
事件は殺人未遂として香港警察及びインターポールで捜査が進められることになったが、西は詳しい経緯はもちろん鈴木の名前さえ香港警察には喋らなかったという。しかも、西が鈴木に係る情報をA氏には遮断するという時間が何年も流れていたから、A氏にとっては、まさに不可解に過ぎた。何より、西が鈴木との密約で香港に向かった、という事実が前提になっていたとしても、西が事件に巻き込まれたことと鈴木との因果関係が不明で、仮に鈴木が西に分配金を払いたくないからといって、「鈴木がそこまでやるのか?」というのがA氏の中に浮かんだ疑念だった。
西は、事件を仕掛けたのが鈴木だと実感しながら、香港警察にはその実感を伝えていなかった。それは、やはり鈴木が隠匿している巨額の利益金を没収されることにあったのは確かであろうが、事が事だけに、果たしてそこまで割り切れるものなのかという疑問が残る。
ここで、西の心境を推し量ることは出来ないが、西は自分で決着を付けようとでも考えたのか。そもそも殺人を教唆したのが鈴木となれば、鈴木が利益金を独り占めにして、西やA氏に分配する気など毛頭無いことがハッキリする。それにもかかわらず、西はどのようにして鈴木に約束を実行させようと考えたのか。それも不可解な話だ。ともあれ、香港警察、インターポールは捜査を継続すると言い、西に携帯電話の発着信履歴情報の開示や、さらなる事情聴取を求めていた。また、日本領事は事件に係る情報を日本国内に報告すると西に伝えている。
ここに来て、西はようやくA氏に本当の話をしなければならないという“覚悟”を決めたようだ。香港から帰国後、西はA氏に香港に行った理由も含め、これまでの経緯の真相を語り始めた。しかし、鈴木がこれまでに吸い上げた巨額の利益金額のことはこの期に及んでも話さなかった。西には利益の総額について確証がなかったのかも知れないが、鈴木との「利益を二人で折半しよう」という密約を当てにしていた部分もあったかも知れない。
○株取引の利益総額470億円が裏付けられた
鈴木への不信感を強く持った西が、鈴木による利益金隠匿の実態を掌握すべく、鈴木の周辺人脈から聞き取りを始める。そして、その核心を知る人物の一人が紀井だった。
香港での事件を西から聞いた紀井がようやく重い口を開き、鈴木の株取引の実態を西に明かした。一方で紀井は、鈴木の性格からして自分の身にも危険が及ぶであろうことを強く感じていたという。そして、もし、西が巻き込まれた事件が公然化すれば、鈴木が海外に隠匿している資金にも当然、関係当局の眼が向き、ただでは済まない。紀井はさまざまにヒントとなる貴重な情報を西に提供した。
紀井から提供された情報で、鈴木は「合意書」の作成以来繰り返した株取引で、在庫株の評価額約60億円を加えて約500億円に上る利益を得た事実が裏づけられた。また紀井は、西が鈴木の指示で買い支えた銘柄で58億円以上の損失を出すに至った真相も証言し、それを書面に残した。
500億円にも上る巨額の利益金は、合意書に記載された約束に則って、A氏が西に貸し付けた元金と、TAHの手数料、さらに買い支えのために損失した58億円等の諸経費を差し引いた純利益を3等分しても、かなりの金額になる筈だった。鈴木は、それまでの付き合いの中でA氏の温情を充分に承知していたにも拘らず何故、独り占めすることを考えたのか。しかも合意書には不正をしたら取り分は無しになると記載されていたのである。
日時は少し前後するが、西の香港での報告を聞いたA氏は、その時になって鈴木の連絡先さえ知らないことに気付いた。そこで、紀井の連絡先を西から聞き、A氏が直接紀井に電話をした。10月13日のことだった。
鈴木は周囲には海外に行っていることになっていたが、A氏は、鈴木に連絡がつき次第、連絡をするよう紀井に依頼した。すると、時間を置かずに鈴木から電話が入り、日本にいることをA氏に伝え、午後4時ころにA氏の会社に来た。「鈴木さんは、誰からの電話も無視していたが、A氏からの電話の時は相当に狼狽していた」と、紀井は言うが、恐らく、鈴木は自分の裏切り行為がバレ始めたのではないかと気が気ではなかったのだろう。
会社を訪ねてきた鈴木に対し、A氏が合意書の話をすると、鈴木が咄嗟に「合意書が残っている筈はない」とうっかり答えたようだが、A氏が合意書を提示して、記載事項を実行するように、と言うと、鈴木にとっては、まさか残っている筈のない合意書を目の当たりにしてうろたえたのか、一気に口数が少なくなった。鈴木の驚きも尋常ではなかったろう。西に指示した合意書の破棄が実際には実行されていなかったことが、ここに来てようやく鈴木も理解した。
しかし、それでも鈴木は「合意書」に基づいた株取引は一切行っておらず、全ては西の作り話であると強調した。香港での事件にしても、香港で会う約束などしていないと言い張ったのである。
鈴木が平成10年5月31日に親和銀行不正融資(商法違反)事件で逮捕される直前の半年ほどの間で、A氏からの約30億円という巨額の融資を西が仲介して、鈴木の窮地を救った関係があった。そして、鈴木が弁護士費用や生活資金等を名目に借り入れを依頼した際に西の妻が1800万円を貸し、また、これとは別に西個人でも鈴木の愛人宅に毎月50~60万円を届けるような支援をした経緯があった。そうした事実を無視して、西の話を全て作り話と言って足蹴にするような言動を平気でする鈴木が不可解でならない。
鈴木とは、3日後の10月16日に三人で会うことになった。3日間という時間は、鈴木が裏切行為を全て西に責任転嫁する口実を考えるのに必要な時間だったかもしれない。しかし、鈴木は言い逃れの出来ない立場に追いやられ始めていた。