第1章 因縁の出会い
平成7年秋、東京オークションハウス(以下「TAH」という)を経営する西のもとへ一人の来訪者があった。その男はエフアールの常務取締役、天野裕と名乗った。
「弊社社長の鈴木が是非お会いしたいと申しておりますが、お時間を戴けないでしょうか」
と言う。西は当時、東京・麻布十番の交差点の一角に建つビルの2フロアーに事務所を構え、定期的にオークションを開催していた。テレビや映画などでも見られるようなオークション会場がフロアーに設営され、会場を訪れる客は高級ブランドの販売業者や富裕層の人達で、企業経営者に加え女性なども多く、参加者は毎回300人は下らなかったといい、盛況を極めていた。天野はそのオークション会場に来訪し、唐突に声をかけてきたのだったが、西は天野の申し入れを承諾した。
西が記した「西義輝と鈴木義彦氏の出会いから現在に至るまで」と題したレポートによると、鈴木が西に面会を求めたのは、オークション事業で先を越していたTAHとエフアールの業務提携にあったという。
【当初はオークション事業での提携を中心とし、宝石及び時計をオークションにかけるときは全面的に協力するという約束をしました。また、FR(エフアール)社がTAH社に近い場所にある方が便利だということで、FR社は、TAH社が入居していた三井信託銀行が保有するビルの6階に、私の紹介で本社移転を行うことになりました】
【その後は食事、飲み会を通して、月曜日から金曜日にかけて毎日のように会うことに】なったと記しているように、お互いに会社の経営状態を語り合うようになったが、【1996年(平成8年)4月頃、長崎にある親和銀行に絡む大きな問題解決、及びFR社の資金繰り悪化を打開するため新たな資金を親和銀行より調達するという相談】が鈴木より持ち掛けられたという。オークション事業は常務の天野に任せ、【鈴木はひどく真剣にこのことだけを相談し必死でした】
西が鈴木と出会った頃、エフアールはひどく資金繰りに窮しており、頼みの綱は親和銀行からの融資だった。そのため、西は面識のあった田中森一(故人)を紹介し、親和銀行の法律顧問に迎えさせた。それによって、鈴木は価値の無い不動産を担保にして新たな融資20億円を引き出すことに成功したほか、A氏より借りた多くのリトグラフも担保にして15億円の融資を受けた。しかし、それでも鈴木(エフアール)の資金繰りは困窮し、鈴木は、証券会社で鈴木を担当していた紀井から紹介を受けた山内興産の社長、末吉和喜から「タカラブネ」株式200万株(時価20億円)の購入と株価の高値誘導を依頼されたのを利用して、同株式を預かり、西とワシントングループの河野博昌に依頼して株価を高値誘導させる中で証券金融会社や証券会社を通して売却し、鈴木個人とエフアールの借金返済に充てたという。
【鈴木氏の目的は、タダで株券を預かり、あわよくばタカラブネ株価の値上がりにより多額の利益を手にすることでした。ただし、失敗した場合は、タカラブネ株価の値下がりによって損失の発生を口実として元本を返還しないように仕組むやり口であり、株価の上下に関係なく、鈴木氏には何のリスクも無く現金が入って来る可能性があったためにやったこと】
という。山内興産(末吉)は、後に鈴木に対して不信を抱き、株券の返却と損害賠償を求める訴訟を起こしたが、この実例は、まさに鈴木がA氏をスポンサーにして西と株式投資を仕掛けたやり口そのままだった。前記したように西は鈴木と頻繁に会うようになり、お互いに会社の経営状態を語り合うようになったが、行き着く話はやはり“儲け話”だった。二人の大きな共通点として株式投資があった。西と鈴木は、バブルが崩壊した中で、証券市場で業績が悪く瀕死の状態にある公開企業の株、いわゆる「ボロ株」に資金を投入し、株価を吊り上げることで利益を上げられる銘柄を模索していた。
とはいえ、鈴木が西に接近した一番の目的は会社の資金繰りであり、西は、エフアールがまさに破綻の危機に陥っていることを聞かされた。同じ会社経営者でありながら、鈴木は西を「西会長」と自分よりも一段上に置き、「会長、何とか助けて戴けませんか?」と頼み込んだ。
すでに鈴木は、取引のある銀行からの融資が限界を超えていて、10日で1割以上という高利の金融に手を出し、それが1か所だけではなかったから、その金利払いで身動きが取れないような状況にあったという。それでも、協力を求められた西は、当初は別の高利の業者を紹介していたようだが、エフアールの経営は一向に好転せず、高利の業者からも融資を断られるようになった。何故、西が鈴木にそこまで肩入れしたのかは不明だったが、西は、多方面にわたって助言と助力を仰ぎ、TAHの最大のスポンサーであったA氏に相談することを思いついた。
A氏は新宿センタービルの43階で宝飾品等を扱う会社を経営していたが、西とA氏の付き合いは、すでに10年が過ぎていて、A氏の借りているフロアーの一角を使ってオークションを開くような関係にもなっていた。
「付き合いが始まってから、西はA氏からTAHの運転資金を借りたり、増資に協力を仰いだりする中で、A氏を株投資に巻き込んで20億円以上の損失を出してしまうこともあって、西の債務は巨額に膨らんでいたが、何故かA氏と西の関係は疎遠にはならなかった」
と関係者は言う。事情を知る複数の関係者の間では、「A氏は人との関わりを大事にしていて、一度や二度では無く数度の失敗があってもそれを許容するという常識外れの人の良さがある。誰でもまねのできることではない」というのが定説になっていた。
この事件の最も重要な人物であるA氏とは、どのような経歴の持ち主であるのか。A氏をよく知る周囲の複数の関係者によると、次のような話が聞こえてくる。
A氏は、三重県四日市市の海辺で過去には漁業の盛んな土地の出身といい、男6人兄弟の末っ子で育った。祖父の代は「仏」という屋号の通り地元の漁師から頼りにされる面倒見の良い網元だった。
漁業は自然の影響で好不況の波が激しい業種である。不況のときは金銭的な相談に来る漁師も少なくなかったが、祖父や実父は自分の家のものを質に入れてでも困った人達の相談に乗り、助力を惜しまなかったという。
金銭的な援助をして、約束の期限を守れない人たちにも温情をかけ、催促は一切しなかったそうで、それはA氏の祖父や実父が徹底していた信条(家訓)だったと言い、温情を受けた人達は本当に屋号どおりにA氏の父(庄三郎)を「仏の庄やん」と呼んでいたという。父親の葬儀には当時の総理の花輪も並び、町始まって以来の立派なものだったと言い、参列した西を始め多くの友人は「仏」という屋号には大変驚いたようだ。関係者によると、A氏は株取引等には全く興味がなく、兄がバイクのレーサーをしていた影響を受けたのか、唯一スーパースポーツカーの収集には眼がなかったという。
当時世界最速のジャガーXJR15-LMが完成して、納車する前の走行テストがイギリスのシルバーストーン(ノーサンプトンシャーのサーキット)で行われた。レーシングドライバーのアイルトン・セナ(故人 同時代の「4強」の一人)が乗り、車の持つ実力をいかんなく発揮させた。XJR15―LMのスピードは、当時で世界最速となる時速456キロというから、F1レースでも見られない速度だった。
XJR15-LMの車体の色はイギリスの伝統的なブリティッシュ・レーシンググリーンにすることになっていたが、TWRは1台(車体番号001)について、A氏に「好みの色にする」と言ったことから、A氏はその好意を受けパールホワイトにしたという。そうした話を聞いてのことか、テストドライバーを引き受けたセナがA氏に興味を持ち、「パールホワイトのボディにサインをする」と言いつつ何度もA氏に面会を求めて来たそうで、当初は遠慮していたA氏だったが、その後、セナが「それなら、ジャッキー・スチュアートを始めとするF1の歴代名レーサーたちのサインを車体に直筆させるから」という熱心な申し出に心が動き、面会の段取りを取ろうとした矢先に、セナがレースで大事故を起こして命を失うという事態が起き、機会は永遠になくなったという。 今や、XJR15-LMは時価で10億円を優に超える価格がマニアの間でも噂になっているようで、マクラーレンF1は現在20億円と言われているが、当時のリストプライスや製造台数から言っても、これを超えるというマニアも少なくないようだ。
株取引については知識も経験もなかったA氏に西が一度、株取引を持ちかけたことがあったが、昭和62年10月19日に起きた世界的な株価大暴落(ブラックマンデー)で、20億円以上の巨額の損失を出すという苦い経験をしたためか、A氏自身は自ら株取引に手を出すことはなかった。だから、西と鈴木が株取引の話を持ち込んだ時も、それによって二人が「A氏から借り受けた巨額の債務を清算することができる」と言った言葉を真に受けなければ、A氏は二人の話に同意しなかったはずだ。
○窮地に陥った鈴木を助ける
前出の関係者によると、西が鈴木を連れて初めてA氏の会社を訪ねた時は、「エフアールの鈴木です」と紹介する程度に留まったが、その後、2、3度の来訪を経て「資金繰りが大変なので、色々と相談に乗って頂けませんか?」と西が本題を切り出した。A氏は、鈴木が金融会社から10日で1割以上の金利を払ってまで資金繰りに充てていることを西から聞かされた。
A氏は鈴木への協力を承諾した。平成9年9月8日のことで、金額は7000万円だった。そしてその後も西が鈴木の代理人として鈴木から預かったエフアール振り出しの手形をA氏に預け資金を借り受けるという場面が何度かあったという。鈴木はA氏から頻繁に借り入れをしたが、手形の持ち出しが出来ない時は借用書だけを差し入れることもあったという。
A氏から借りた金を鈴木は高利の金融業者への返済に充てたというから、鈴木は金利の支払いに追われる状況を脱して救われたに違いない。
普通ならば、長い付き合いも無い鈴木に、多額の融資をすることに躊躇するのは当然のことであったが、A氏は西の強い懇願もあって、複数回ではあるが短期間で約28億円(預けて返品のないものの代金を含む)を融通することになる。鈴木にとって自己破産はもちろん、自殺という選択肢すら脳裏に浮かんでいたような状況を救ったのはA氏であり、またA氏以外にはいなかった。 「A氏は鈴木からの返済が一切なかったにもかかわらず、鈴木が逮捕される直前にも8000万円を貸しているが、そんな人間は他にはいないと断言できる。それはA氏、鈴木周辺の関係者全員が認めていることで、鈴木氏も分かっていたはず」(関係者)
A氏は金融業の免許は持ってはいても、それを業としてやっている訳では無く、友人やその周囲から頼まれてやったことで、担保を取ったことはほとんど無いということは前にも触れた。A氏は鈴木には頻繁に融通していたが、鈴木は借りる一方で、返済は皆無だった。しかし、「A氏が非難めいたことを口にしたことは一度も無かった」とA氏の周辺の人は言う。とはいえ、返済が皆無であっても貸付けを続け、金銭面での相談にほぼ全面的に対応したA氏を鈴木自身はどう見ていたのだろうか……。
○親和銀行事件での鈴木の役割
ところが、そんな中で親和銀行不正融資事件が表面化した。同行の頭取、辻田徹の女性スキャンダルを封印するために、平成5年から平成6年頃にかけて繰り返された不正融資を警視庁が立件した事件だった。
発端は、辻田がホテルでブラジル人女性と一夜をともにしたシーンを何者かに隠し撮りされたことだったが、それをスキャンダルのネタにした右翼団体の街宣が始まり、辻田は福岡市の暴力団系の総会屋から融資を求められるようになった。そのため辻田はかねてから親交のあった地元の佐世保市出身の宝石・化粧品販売会社「宝山」の経営者、副島義正に対応を依頼。副島は以前から面識のあった関西の暴力団組長に収拾を依頼する。暴力団組長は福岡市の総会屋に話をつけてこの一件を収拾した。
その結果、スキャンダルをもみ消した組長への謝礼を支払うに当たり、親和銀行からの迂回融資の受け皿になったのが、副島が経営する宝山と鈴木のエフアールだった。鈴木は融資の見返りを条件に、迂回融資の受け皿になることを引き受けたのだった。当時の報道によると、鈴木は、受けた融資から副島に1億円、組長には1億5000万円を流したという。その上、鈴木はペーパーカンパニー「ワイ・エス・ベル」を設立して、模造宝石や全く価値の無い不動産を担保に親和銀行より融資を受けるという詐欺行為を働いた。仲介役を果たした副島は、エフアールの第三者割当増資を引き受けるなどして同社の中枢に入り、鈴木と共謀して親和銀行からさらなる巨額の融資を引き出して行くのだった。
この事件に詳しい関係者によると、「辻田のスキャンダルとなる女性との隠し撮りを仕組んだとされた人間は、鈴木と極めて親しい青田光市だった」という。その事実を明らかにしたのは他ならぬ鈴木自身であった。さらに、「この事件を計画したのは副島だというデマ情報を鈴木が流し、親和銀行側から副島を切り離す工作までした」とその関係者は言う。「真偽は不明でも、鈴木ならばやりかねないと実感した」と関係者は言うが、そう見ると、鈴木という男が、自分の欲のためには仲間も平気で裏切る人間であることが分かる。「この事件は全て俺(鈴木)が企て、青田が実行したことだった」と、西は鈴木自身から聞いていたのだ。
平成10年5月31日、鈴木は辻田と共に特別背任の容疑で警視庁に逮捕され、その後、起訴された。ちなみに、青田という男は、鈴木が事件を引き起こすたびに、常に“影”のように鈴木の傍らに身を置いてきた人物で、鈴木が後にA氏との話し合いの代理人に指名した男でもある。後日起きる殺人未遂事件の「殺人教唆の中心的人物である」と“実行犯”側の複数の関係者が証言しているが、事件として表面化すれば、真っ先に責めを負わなければいけないような生き方をしてきたように映る。
「鈴木は、取引の相手方と必ず金銭面でトラブルを引き起こす」と鈴木を知る誰もが言うが、そうした時に鈴木は電話にも出ず、所在を不明にしてしまうという。そして、どこかの場面で青田が鈴木に代わって登場してくるが、立場が悪くなると、「俺は関係ない」とシラを切る人間だという。
○逮捕3日前にA氏から8000万円を借り入れ
鈴木は親和銀行事件で平成12年9月20日、東京地裁で懲役3年、執行猶予4年(求刑は懲役4年)の判決が言い渡された。安井裁判長は判決で「鈴木被告が果たした役割は重要で刑事責任は重い」と述べた。
親和銀行不正融資事件は警視庁が立件したことで、マスコミは注目した。「元東京地検特捜部検事、いわゆる“ヤメ検弁護士”として名を馳せた田中森一(故人)がエフアールの監査役を務めていたので、俄然、注目を集める一因となった」(社会部記者)と言うが、田中が、鈴木が持ち掛ける種々の相談に乗っていたことは西のレポートから窺える。鈴木の量刑に執行猶予が付いたのは、親和銀行との間で賠償金十数億円を支払って示談にしたためだったが、「田中がエフアールの監査役に就いていたことで、鈴木の量刑が軽くなった」という風評さえまことしやかに流れた。田中は、イトマン事件で悪名を轟かせた許永中とも「昵懇の間柄」(全国紙社会部記者)にあったが、この頃から問題の処理、解決に闇社会の人間達と鈴木の深い関係が表面化した。
一部には「親和銀行から利益供与を受けていた暴力団の中で利権抗争が起き、上層部に当たる組織が親和銀行に関わるようになった。田中森一も重要な役割を果たした」という指摘がある。その田中がエフアールの監査役に収まっていたのだから、鈴木の人脈が深刻に映るのは当然だったろう。西や関係者たちが次のような証言をしている。
『鈴木はこの親和銀行事件で逮捕される3日前の5月28日にA氏の会社を訪れた際に、A氏から逮捕情報を聞き、青い顔をして「社長、私が逮捕されるとなると、間違いなく起訴されます。その間の身内の生活費や弁護士費用が必要になります。何とか助けて戴けないでしょうか」と涙を流し土下座までして頼み、8000万円を借り受けた。A氏は逮捕情報を踏まえ、それまでに生じた貸金の返済は一切無かったにもかかわらず現金を金庫から出して、鈴木に融通した。
鈴木は土下座したまま「本当に有難うございます。この御恩は一生忘れません」と言い、「ただ、このことは西さんには内緒にして下さい」とも頼んだ。実は、鈴木は西の妻からも西には内緒で有り金全てと言っていい1800万円余りを借りていたという。A氏はその事実を全く知らなかった。
A氏は鈴木との約束を守り、西には一切何も言わなかった。しかし後日、西もまた、公判中の鈴木の弁護士費用を負担し、愛人と子供の元へ毎月50~60万円ほどの生活費を届けていたということを伝えると、さすがにA氏も驚いた。
A氏は、西が「何とかお願いします」と依頼したために、短期間に約28億円を鈴木に貸し付けたが、全てが金銭貸借による貸付では無かった。鈴木は手形以外にいくつも物品を持ち込み、A氏はそのたびに言い値で買ってあげていたのだ。また、3.2カラットのピンクダイヤモンド(1億3000万円相当)とボナールの絵画(1億7000万円相当)も、鈴木に懇願されて買ったことがあった。しかし、鈴木はピンクダイヤモンドしか持参せず、絵画は近々持ってくるという約束だったが持参することはなかった。そして、A氏から逮捕情報を聞いた5月28日、鈴木はその2点を「最低でも3億4000万円で売らせて下さい」と言って、ピンクダイヤを持ち出した。その時には鈴木とエフアール常務の天野の連名の念書を差入れた。念書には「売却出来ない時は速やかに返却します」と記載されていたが、鈴木が売却代金を持参することも無ければ、絵画とダイヤモンド、それに同じく販売すると言ってA氏の所から持ち出した時計も返品することはなかった。
鈴木は親和銀行事件ですでに取り調べを受けている身であったことを考えると、逮捕される3日前の5月28日にA氏の会社を訪れた目的は、ピンクダイヤモンドを持ち出すことにあり、天野常務との連名の念書まで用意していたのは計画的だったとしか言いようがない。しかも、鈴木が逮捕されるという情報をA氏が知っていたことを知ると、さらに8000万円を借り受けた。平成10年5月には、ほかにA氏への返済予定もある中で、これだけのことをやってのける鈴木の人格を、どうして信用できるだろう。
ピンクダイヤモンドや絵画の他にも、鈴木はヴァシュロンの時計4セット(1セットの上代が10億円相当)に加え、上代が1億円前後の時計5本(パティックやピアジェ)なども「売らせて下さい」と言ってA氏から預かったまま返却していない。鈴木の関係者は「鈴木からはヴァシュロンの時計3セットを6億円で換金したと聞いている」と言う。また、後日分かったことだが、鈴木がA氏に買わせたはずのボナールの絵画を一度も持参しなかったのは、すでに別の関係者に担保物件として差し出していたためという。さらに、高級時計についても、「証券会社出身の資産家の中村氏との間で、A氏より預かった時計(バセロンコンスタンチン1セット上代は10億円)を中村氏に持ちこみ、3セットで6億円の借入れをし、途中で担保を入れ替えるという約束で時計を取り上げ、質店・玉や商事に質入し、別途5000万円の資金調達を行った。このときの鈴木の目的は資金繰りにあり、売り先があるという建前で3ヶ月間を期限としてA氏より時計を委託で借りるという依頼だった」
A氏から逮捕情報を聞いた鈴木が、その場に土下座して涙を流しながら8000万円を借り受けたことは、これまでにも別の稿で触れたとおりだが、「売らせてください」と言って持ち出した時計とピンクダイヤ、それに一度も持参しなかった絵画についても、鈴木の行為はまさに詐欺・横領の類だ。「中村」という人物もA氏と同様の被害実感を持ったに違いなく、さらに質入したということは、鈴木にはA氏に現品を返還する意思は全く無かったのではないか。これは、もしA氏が被害届を出せば、明らかに詐欺、横領の罪になっていた。
A氏が西に心を許していたことを鈴木は利用した。前述の山内興産と紀井の関係を利用したことと同じだった。借入は鈴木自身のことであったにもかかわらず、借金の依頼や品物の持ち出しは大半が西経由で行われ、後からA氏にお礼の電話だけで済ませていた。唯一、西に知られると都合が悪い時だけは、鈴木が直に頭を下げて依頼する、という横着さだった。
このように、鈴木の借金約28億円の中身は、もちろんエフアール振出の手形や借用書での金銭貸借が主であったが、詐欺紛いや横領の類いでA氏を騙した結果、止む無く貸付に切り替えたものがいくつもあり、そのいずれについても、鈴木はA氏に一切返金していなかったのだ。鈴木は、困っている振りをして土下座までして涙を見せ、相手の情につけ込み、目的を達するや、その後は平気で相手を裏切る人間であった。