==事件を取り巻く人間模様と背後に潜む男の深層に迫る==

主な登場人物

鈴木義彦  1000億円以上と言われる株取引の利益のほぼ全てをA氏を 裏切って隠匿  

西義輝   鈴木をA氏に紹介。仕手戦で鈴木に裏切られ後に鈴木と青田に追い詰められ自殺

A氏    西と鈴木のスポンサー

天野裕   エフアールの常務取締役。鈴木の逮捕後は同社代表を務め た。「自宅で病死」の会社発表はウソで、京王プラザホテルで自殺か他殺か

青田光市   鈴木の友人、代理人

平林英昭   弁護士。鈴木の代理人

長谷川幸雄  弁護士。鈴木の代理人。裁判の判決後に弁護士登録を抹消

杉原正芳  弁護士。鈴木が海外に設立、買収したペーパーカンパニーの常任代理人を務めてきた

紀井義弘  元証券マン。鈴木の株の売りを一任されていたパートナー

茂庭進   鈴木が雇用した元証券マン。鈴木が海外に設立、買収したペーパーカンパニーの管理等をしていた人物

霜見誠   鈴木のファンドマネジャー。夫妻で殺人事件の被害にあった

【プロローグ】

 証券市場から吸い上げた利益をそっくり海外に隠匿したとして、やがては「1000億円脱税疑惑事件」に発展するであろう、日本史上最大で未曾有の事件――。鈴木義彦は今までにさまざまな事件で報道されてきたが、全容が解明されないままとなった事件が多くある。

 それは、当の鈴木が闇に身を潜めるように関係者との接触を故意に遮断し続けてきたことに大きな原因があり、この脱税疑惑問題もまた20年を経過した今も一切解決すること無く継続しているのである。その真相を追及するのが本書の趣旨ではあるが、鈴木が巨額の資金を独占し海外に隠匿するに当たっては、数多くの犯罪行為が疑われ、それは単に所得税法や外為法に留まらない。鈴木に関わった人間の中には自殺あるいは変死する事件が10件前後もあり、それが鈴木を巡る真相追及を一層困難にしてきた経緯がある。そうした、周辺で起きたさまざまの事件もまた、鈴木との因果関係について、追及の手を緩める訳にはいかない大きな要因になっているのだ。

 鈴木は、昭和53(1978)年に若くして「富士流通」を設立し、海外一流ブランド品のバッグ、時計、宝石等の小売業を開始した。平成元(1989)年4月に「エフアール」に社名を変更し、平成3(1991)年4月には株式を店頭公開。まさにバブル景気に乗ったかのように見えた。一般から見ると、鈴木が時代の寵児と持て囃された時機と言えるのかも知れない。しかし、翌年の決算で計上した約270億円の売上は粉飾決算であったことが後に判明し、また、この頃、長崎に本店を置く親和銀行との取引が始まっていたが、後に触れるように、その取引は暴力団、総会屋への違法な利益供与から始まっており、鈴木が同行から受けた融資額は事件が表面化して判明した分だけでも約50億円と見られていたが、実際には100億円以上にも上っており、決して正常な取引と言えるものでは無かった。

 一方、バブル景気の波が完全に引いてしまうと、エフアールもまた会社の建て直しが困難な状況に置かれていった。鈴木は平成10年5月31日に親和銀行不正融資事件で警視庁に逮捕され、経営の一線から引かざるを得なくなったが、保釈直後から巨額脱税疑惑の基となる数多くの仕手戦を仕掛ける一方で、密かに側近の天野裕をコントロールして、平成12年9月に社名を「なが多」に変更し、その後、平成16年にジャスダックへの上場まですることになったものの、三たび「クロニクル」と社名を変更した後の平成25年7月17日付で上場廃止に追い込まれた。親和銀行事件で逮捕、起訴され有罪判決を受けた鈴木には、表向きにはエフアールの経営に関与はできなかったが、実際には鈴木の影響力が消えるどころか、以前と全く変わりはなかったのだ。鈴木が同社を支配し続けた思惑は、その後に繰り返された同社を舞台にした転換社債発行や第三者割当増資に如実に表れていた。ここで触れる話の流れは、あくまで本稿のガイドラインではあるが、一通りの経緯を知っておけば、鈴木という男が並外れた“悪性”の持ち主であることを実感できるのではないかと思い、敢えて経緯の全てに言及した。国税や検察の追及を逃れ好き放題にやっている鈴木にとって、海外に流出させ隠匿した資金が全て国庫に没収されるうえに刑事罰に問われる可能性が本稿によってさらに高まると思われるからである。

○手形13枚約17億円ほか総額約28億円を借入

鈴木が西義輝(故人)の紹介でA氏の前に現れたのは平成9年8月のことだったが、その頃、鈴木は資金繰りに窮していて、10日で1割以上の金利を支払っても借入先が見つからず、もし西との出会いがなければ、間違いなく自己破産はもとより自殺の道さえ選択肢にあったと思われる状況をA氏が全面的に支援したことで窮地を脱したのだった。まさに、進退窮まったギリギリのタイミングであったことは、双方の関係者のほぼ全員が知っている。

鈴木は、9月8日に額面7000万円の手形(約束手形)を担保に額面と同額を借り受けた。それからわずか数か月の間に矢継ぎ早に13枚もの手形をA氏の下に持ち込み、現金を借り出しては高利の借金返済に充てた模様で、その総額は約17億円に達した。

鈴木が持ち込んだ手形は一般には「融通手形」と呼ばれるもので、取引を介在させずにやり取りされるもので、上場企業では即信用に関わる深刻な問題を引き起こすから、鈴木も簿外にしていた。また平成9年10月には、手形を担保にした借入とは別にエフアール名義で3億円を借り受け、この時、鈴木は借用書を用意してきたが、借主がエフアールで鈴木は連帯保証人となっていた。鈴木は「債務者と連帯保証人を書き換えます」と言ったが、A氏は「お互いに信頼関係でやっているのだから、これで良いですよ」と応え了解した。

さらに鈴木は、手形以外にもさまざまな物品を持ち込み、言い値でA氏に買ってもらっていた。中には、ピンクダイヤモンド(1億3000万円)とボナールの絵画(1億7000万円)を一旦はA氏に言い値で買わせておきながら、「3億4000万円で売らせてほしい」と言って持ち出し、他にもA氏が保有していた高級腕時計、バセロンの時計4セット(1セットの上代が10億円相当)に加え、上代が1億円前後の時計5本(パティックやピアジェ)なども「売らせて下さい」と言ってA氏から複数回に分けて預かったまま、いずれも代金を納めず返却もしなかった。それらの総額は、鈴木が最低売却代金として提示した金額で言えば7億4000万円に上る。しかも、ボナールの絵画については、A氏に買い取り代金を払わせておきながら、一度も持参することはなかった。それを考えると、鈴木は詐欺行為を働いたとみられても言い訳はできなかった。だが、A氏は鈴木の資金繰りの大変さも考え何も言わなかったという。

もっとも、鈴木は、それらの清算を引き延ばす最中で親和銀行を巡る不正融資事件が表面化して警視庁に逮捕され、A氏は如何ともしようが無かった。しかし、そんな状況に追い込まれたのは鈴木自身の問題とはいえ、むしろA氏の性格からして追い打ちをかけるように清算を迫るようなことは一切なかった。A氏は、鈴木が逮捕されるという情報を3日前に知り、A氏の会社を訪れた鈴木に伝えると、鈴木は驚愕して涙を流しつつ、その場で土下座までしてA氏から現金8000万円を借りた。鈴木は「このご恩は一生忘れません」と感謝の言葉を述べたのである。

しかし、A氏に鈴木の逮捕情報が入っているということは、すでに鈴木は警視庁から事情聴取を受けていたに違いない。そして、ピンクダイヤモンドを持ち出したのも同日だったことを考えると、鈴木には時計やピンクダイヤモンド等の売却代金はもちろん借入金さえも支払う気などない、計画的な行動だったことが窺える。

8000万円を借り出す際の名目は、逮捕後の弁護士費用や家族の生活費等々と鈴木は言ったが、一方で鈴木は同じセリフを西にも西の妻にも吐いて、西の妻からは1800万円を借り受け、西にはエフアールの存続対策を依頼したうえ拘留中に愛人の下に毎月50万円を届けさせた。西はそうした話をA氏の耳に入れなかったが、A氏はA氏でピンクダイヤモンドの持ち出しと8000万円の借り入れについて「西会長には内緒にしてください」と言う鈴木との約束を守った。そのためか後日、西から鈴木への逮捕前後の対応を聞いた時、A氏は驚いた。A氏は鈴木の本性を知らずにいたが、いざとなれば頬かむりをしようとする鈴木の魂胆が透けて見える。手形による貸付(約17億円)、ピンクダイヤモンドと絵画、高級腕時計等の販売預託(約7億4000万円)、借用書を基にした貸付金(3億円と8000万円)を加えれば、総額は約28億円となるが、貸付の当初に約束された金利(年15%)を加算すると、鈴木が新たに借用書を作成した平成14年6月の時点では40億円を優に超えていた。

A氏は金融業の免許を持っているが、それを業としてやっている訳では無かったので、貸付と言っても相手は友人や知人の範囲にとどまり、不特定多数の人に貸すことはなかったから、担保を取ったり債権を厳重に保全するようなことはほとんどしていなかった。それに付け込んでのことか、鈴木は借りる一方で、返済は皆無だったのである。しかしA氏の周辺の人は「A氏が非難めいたことを口にしたことは一度も無かった」と言う。

○合意書に基づいた最初の株取引は「宝林」

平成11年7月8日。新宿の高層ビル街に建つ新宿センタービルの43階に象牙と宝石・貴金属の販売会社の本社を構えるA氏を西と鈴木が訪ねた。その目的は、さらなる資金援助をA氏にお願いすることだった。

「二人が訪ねる1か月ほど前に、西が宝林という会社の株式800万株を購入するという話をA氏に持ち掛け3億円の資金を出して貰っていた。二人の話というのは、証券市場で宝林株だけでなく他の銘柄でも高値で売り抜け利益を出すというもので、株価を高値で維持するために買い支える資金が必要になるということで、その協力をA氏に頼みに来たということだった」(関係者)

 いつもであれば、A氏と長年の付き合いがあった西が話を切り出し、A氏に資金援助を乞うという場が、その日に限っては鈴木が一人熱弁を振るって、A氏の説得にかかったと前出の関係者が言う。

「鈴木は、『株式市場で20億、30億という多額の“授業料”を払ってきた経緯があり、ノウハウを学んできました。株の実務は私と西会長でやります。宝林の株式を売り抜けて利益を出すためには、その時、その時の株価を維持しなければなりません。そのための資金がどうしても安定的に必要で、それを社長にお願いしたいのです。とにかく、長い目で見て戴ければ、絶対に自信があります』などということを何度も繰り返し、一生懸命にA氏に訴えていた」

 鈴木は「これが成功しないと、社長に返済ができない」とも告げ、また、株取引は宝林で終わらず、いくつもの銘柄で仕掛けていくとも語ったという。すでに、西に対しては100億円以上、また、鈴木に対しても同じく約28億円を融資していたA氏にしてみると、それ以上の貸し付けは、余りにもリスクが高過ぎたに違いないが、A氏は鈴木と西の説得に応じた。その日の面談で、A氏からの資金援助に成功した西は、A氏に対して「合意書」を作りましょう、と持ち掛けた。

「それならば、弁護士に文案を頼もう」

 と言うA氏に、西と鈴木は、あくまで三人の取り決めで、それを破ることは決して無いからと強調したことで、その場で簡単ではあるが最低限の要件を整えた書面が作成されることになった。

「合意書」には、A氏、西、そして鈴木が株式の売買、売買代行、仲介斡旋、その他株取引に関することはあらゆる方法で利益を上げる業務を行うことが第一の約定として記述されている。株式の銘柄欄は空白で、ただ「本株」とだけ書かれていたが、それが宝林株であることにはA氏も西、鈴木も承知していた。そして、「今後本株以外の一切の株取扱についても、本合意書に基づく責任をそれぞれに負う」こととして、「合意書」に違反した行為が判明したときは「利益の取り分はない」と明記されており、西と鈴木が継続的に株取引を実行する意思表示がなされた。

「銘柄の欄が空欄になっていたのは、宝林株の後も引き続いていくつもの銘柄を手掛けるが、まだ確定しているわけではないので、その度に『合意書』を作るのは却って面倒な作業になるから、という西と鈴木の説明に沿ったものだった。A氏と西、鈴木が三人集まっても、鈴木はA氏と西の会話を聞いていることが殆どで、自分から話をすることは少なかったのに、まるで別人のようにA氏に話しかけたことを“本気”と受け取ったのでしょう」

 と先の関係者は言う。銘柄の欄を空白にしたのが意図的だったとすれば、銘柄を特定すると、宝林の後に仕掛ける銘柄をその度に書き換えなければならず、その度に説明が必要になるので、それを鈴木が嫌ったということではなかったか。その後、鈴木は実際にも宝林株を高値で売り抜け、さらに引き続いてエフアールを始めいくつもの銘柄に手を出したが、その都度、西は株価を高値に誘導するために、A氏から多額の買い支え資金を出してもらっていた。その総額は実に207億円に達しており、西は「天文学的金額」と自殺する直前にA氏に送った書面(遺書)の中で述べていた。

○鈴木と西は合意書に違反して利益を隠す   

合意書」が作成されてから約3週間後の7月30日、西が「宝林株で上げた利益」と言って15億円をA氏の会社に持参してきた。西の説明から、一人の取り分は5億円だが、西と鈴木の取り分5億円をそれぞれA氏への返済の一部に充てるというので、A氏は15億円全額を受け取った。ただ、その時、西が「社長、カネが無いんです」と言ったため、A氏は心遣いで「鈴木さんにも5000万円を渡しなさい」と二人分として1億円を西に渡した。そして、翌7月31日、西と鈴木がA氏の会社を訪ね、15億円の処理が確認された。だが、その際、西と鈴木は具体的な収支の状況、その後の株取引の予定などについてA氏に具体的に説明しなければいけなかったはずだが、鈴木はもちろん西も故意に避けた。そして、A氏から5000万円を受け取ったことに二人は礼を述べていた。

 とはいえ、わずか3週間ほどで15億円の利益……。詳しい手口はA氏には分からなかったが、鈴木が「合意書」を作成するときに熱弁を振るっただけの実力を見せつける結果と言っても良かった。ところが、西が「利益は15億円」とA氏に語った話は実は嘘で、宝林株の取引は継続中で、後日、西が語ったところによれば、その時点での利益は約50億円で、最終的には160億円を超える利益が出ることになるのだった。「合意書」に基づけば、宝林株の取引が終わった段階で、西と鈴木は結果報告をして利益金を一旦はA氏に預けたうえで3等分することになっていた。しかし、A氏は、宝林株の取引は西が15億円を持参してきた時点で50億円もの利益が出ていたとは考えもしなかった。

「合意書」に基づいた株取引に係る具体的な話は、その後、鈴木はもちろん西からもA氏の耳には入らなくなった。しかも、鈴木がA氏の前に姿を現す機会がどんどん減っていったのである。

そして一方では、「市場関係者の間ではA氏が100億円以上も利益を上げている」といった話をA氏の耳に入れる相場師たちが絶えず、A氏はそのことを西に確認した。すると、西は「そうした話は噂」に過ぎず「鈴木は今、1DKの部屋で頑張っているので、長い目で見てやってほしい」等と言って、具体的な経過報告をせず、A氏が西に三人での協議をしようと声をかけても、西は「(鈴木は)海外に出かけていて、しばらく日本には帰って来ない」と言って、話をはぐらかし続けたのである。

後で詳しく述べるが、鈴木と西は、A氏を外して二人で利益金を折半するという密約を交わし、A氏が保管していた「合意書」を西に破棄させようと鈴木は躍起になり、総額で10億円もの“報酬”を複数回に分けて西に渡していたのだ。これについては、平成18年10月16日の和解協議の際に、西が「これくらいは認めろ」と鈴木に詰め寄り、鈴木も「忘れた」などと言い訳していたが、最後には認めるという場面があった。A氏から受けた資金で莫大な利益を上げていたにもかかわらず、それをA氏には隠し続けた、という鈴木と西の決定的な裏切りだった。しかしA氏は、西が裏切っていることなど考えもしなかった模様で、その後も西の資金要請に応えていった。

この時期、平成12年から平成14年頃にかけて、なが多(エフアール)やイッコー、アイビーダイワなど証券市場で話題となった仕手銘柄の大半が、実は鈴木が仕込み、西が株価の高値誘導を仕掛けたものだった。鈴木は宝林株で獲得した160億円以上の利益を、海外のタックスヘイブンに設立したペーパーカンパニーに隠匿しながら、さらに西にも知られることなく利益金をスイスのプライベートバンクに集約させていった。

○志村化工株の相場操縦容疑で東京地検が動く

ところで、A氏は平成11年9月30日付けでエフアール(実際には鈴木)に対して「債権債務はない」とする「確認書」を交付した。鈴木はA氏から融資を受ける際に手形か借用書を預けていたが、決算対策上は処理しておかねばならず、前年の平成10年9月にA氏は手形の原本を西経由で天野裕に渡して、監査法人の監査終了後に問題なく戻ってきたため、同様に協力したものだった。確認書は、この時に西から頼まれ便宜的に作成したに過ぎなかった。ところが後日、「合意書」の履行をめぐる対立が深まる中で、鈴木は手形の原本が手元にあることと確認書を盾にして「平成11年9月30日に15億円を支払い、完済した」と主張するようになった。鈴木の言う15億円は、西が同年の7月30日に「株取引の利益」と言って持参した15億円を指し、9月30日には金銭の授受は一切なかった。エフアールの代表者だった天野は、「前年の平成10年9月にも決算対策のために西さん経由で手形を預けて頂き、終了後に再び西さん経由でA氏に返した。平成11年当時の確認書も便宜上のものと認識している」と鈴木の主張を否定した。

西と鈴木による株式の取得から株価の高値誘導、そして売り抜けはさすがに際立った動きとなり、証券取引等監視委員会(SEC)や東京証券取引所(東証)などで注目され、その2年前から仕掛けていた志村化工の仕手戦をSECが悪質な相場操縦として東京地検に告発し、平成14年2月27日、西はオフショアカンパニーの代表者であった武内一美、さらに川崎定徳(川崎財閥の資産管理会社)の桑原芳樹と共に逮捕されるという事態が起きた。

武内が代表だったジャパンクリサリスファンドは、英領ヴァージン諸島に本拠を置いていたが、武内自身は外資系証券会社出身でエフアールの元役員だった。それ故、同社は鈴木が志村化工株の仕手戦を仕掛けるために手配した会社であっことは明らかで、武内を代表者に仕立てたものだった。東京地検特捜部は鈴木本人への捜査が本命であり、鈴木を逮捕、起訴に持ち込む意志を強く見せていた。しかし、鈴木は自分の名前を表に出さず、海外に設立した複数のペーパーカンパニーの名義で株の売買をしていたので、鈴木を逮捕、起訴するには至らなかった。

西は、取調べ中に検事から鈴木に関するさまざまな証拠を突きつけられ、西自身が承知していなかった鈴木の動向を知らされた。だが、それでも西は鈴木が親和銀行事件で執行猶予の身であったから、逮捕されたら実刑は免れず、そうなると海外にプールしている利益金がすべて没収されるのは確実で、西が受け取るはずの分配金や、それまでA氏から受けた資金の回収も覚束ないと考えたようで、終始、鈴木の関与を否認して庇い続けた。

株取引で上げた利益を独り占めにするためには、自らを嘘の鎧で固めてしまい、相手構わず裏切るという鈴木の本性、そして鈴木の金に対する悪質な執着を西が見抜いていたならば、西が一人罪をかぶるという選択はしなかったのではないのか。

西が保釈された後、A氏が西に貸金と株の話をしたところ、西が「株取引の利益がこれから大きくなるので(債務を)圧縮してくれませんか」とA氏に話したため、A氏は了解し、平成14年6月27日、40億円超(金利年15%を含む)の貸付金を25億円に減額したうえで新たに借用書を作成することになり、西と鈴木がA氏の会社を訪れた。 ところが、鈴木が「社長への返済金10億円を直近で西に渡している」と言い出したため、A氏が驚いて西に確認したところ、西が金の受け取りをしぶしぶ認めたため、鈴木が15億円、西が10億円の借用書を作成し署名した。しかし、西が受け取った10億円は、実はA氏への返済金ではなく、鈴木が「合意書」の破棄を執拗に西に迫り、それを西に実行させるための“報酬”として複数回に亘り手交されたものであったことが後日判明した。鈴木の指示で株の売り抜けを一人でやっていた紀井義弘が西の運転手、花舘聰に渡していたという。西には本当の話をA氏にできるものではなかった。

〇西の裏切り

A氏と西、そして鈴木が平成11年7月に交わした「合意書」は、鈴木と青田、平林、長谷川の悪知恵によって事実上裁判官が騙されたと言っても過言ではない。

鈴木がそのために進めた工作は、西を取り込んで味方につけ、①株取引を裏付ける証拠を残さないこと、②株取引の実情を一切A氏に知らせないこと、③鈴木自身がA氏との接触を極力避けること、④西が仕手銘柄を売買しても、そこに鈴木との関係が明らかにならず、鈴木の関与は表向きにはない、ということだった。西が常に鈴木の代理人としてA氏に対応してきたことを始め、志村化工株の相場操縦容疑で東京地検特捜部に逮捕されて後に、鈴木が西との距離を徐々に置くようになった対応をみれば、これらの工作は見事に立証されていた。

鈴木にとって「合意書」は後日、大きな制約になっていたに違いない。「合意書」の銘柄欄はブランクになっており、第三者から見れば分からないが、A氏と西、そして鈴木にとっての銘柄は直近で800万株を買収した宝林しかなかった。そして、「今後の株取引の全て」と記載したことで、仮に西と鈴木が単独で株取引を行っても、全て「合意書」の制約を受けることになっており、もちろん利益が出ても独り占めできない状況にあった。

鈴木の対応についてはその都度触れるが、鈴木はさらに巧妙だった。というのも、仕手戦で上げた利益を独り占めするために、鈴木は前もって西のほかに元証券マン二人を引き入れ、一人には取得した株を市場で売り抜けて利益を上げる一方、もう一人には海外のタックスヘイブンに用意すべきペーパーカンパニーを管理させ、企業の第三者割当増資や転換社債を受けさせる作業を担わせていたが、西と元証券マンの間の情報共有を可能な限り遮断してしまったのである。もちろん、二人の元証券マンの間にも情報の共有はなかった。三人はお互いに面識はあっても、それぞれが一連の株取引でどんな作業をしているのか、詳細が分からないようにしたのである。それでも、西は西で実態を探るようなことはやったが、元証券マン二人は律義なほどに情報を秘匿した。

二人の元証券マンは、志村化工株の仕手戦で西が東京地検特捜部に逮捕された事実を見れば分かるように、いつ、それと同じ火の粉が自分に降りかかってくる、という認識が宝林株の取引を開始した当初からあったからではなかったのか。

鈴木は、そうした“共犯関係”をそれぞれに植え付けて環境を整えることで、株取引で上がった利益が最終的にどこに隠匿されているか、誰にも分からないように仕組んだのだった。

○香港で事件に巻き込まれる?

西は、東京地検特捜部に逮捕、起訴されて後、平成15年7月30日、懲役2年、執行猶予3年を言い渡された。この時点でも、鈴木と西は「合意書」に違反して不正を働いたとして、二人には利益の取り分はないと判断すべきだった。

西も逮捕後の取調べ中に、自分が知らなかった鈴木の動向を検事から聞かされたことで、鈴木の裏切りを感じ始めていたのだろう。鈴木に利益金の配分を迫った結果が、香港での殺人未遂事件として襲いかかった。

平成18年10月2日、西は香港に向かっていた。数日前に、西はA氏に「香港に一緒に行きましょう」と打診していたが、詳しい目的は言わなかった。だが、行く直前になって、西は長男を伴うことに変更した。

西が香港に行くことになったのは、「鈴木から利益金の分配金を受け取るため」だったという。かねてからの西と鈴木の密約に基づいた「配当金額は130億円以上」であると西は聞かされていたといい、先ずは45億円の受け渡しをすることになり、「日本国内では色々まずい面もあるので、香港で受け渡しをしたい、と言う鈴木の意向に応じたものだった」(前同)

事の詳細は本編で触れるとして、実は西は、Tamと称する鈴木の代理人と会った直後に事件に巻き込まれ、殺されかけたのである。代理人から小切手を受け取った直後に勧められて飲んだワインに薬物が混入されていた模様で、西は意識を失い、翌朝、香港警察に発見されたとき、所持品のバッグは発見されたが、書類や小切手の他、携帯電話も無くなっていたという。そして、発見された時もまだ西の意識は不明のままだった。

西は、事件を仕掛けたのは鈴木ではないかという疑いを持った。ただ、確固たる証拠は無かったものの、わざわざ香港まで来た経緯や、代理人のTamとのやり取りから考えれば、鈴木以外には考えられなかった。A氏が西に「Tamという男とは初対面だったのか」と聞くと、西は「以前に数回会っていて、紀井さんも知っているのでは」と言っていた。

事件は殺人未遂として香港警察及びインターポールで捜査が進められることになったが、西は詳しい経緯はもちろん鈴木の名前さえ香港警察には喋らなかったという。

香港で西が事件に巻き込まれた概要を聞いたA氏は疑心暗鬼に陥った。事が事だけに「果たして鈴木がそこまでやるのか?」と考えるのは当然のことだったし、西と鈴木の裏切りには気づいていなかったからだ。

しかし、鈴木が西を取り込み「二人で折半する」という密約を交わしてA氏を完璧に外した経緯を考えれば、西が事件に巻き込まれたことが、鈴木が隠匿している巨額の資金の全容を解明する手掛かりになることを示唆していた。

ともあれ、香港警察、インターポールは捜査を継続すると言い、西に携帯電話の発着信履歴情報の開示や、さらなる事情聴取を求めていた。また、日本領事は事件に係る情報を日本国内に報告すると西に伝えている。

○西が株取引の真相を語り始めた

ここに来て、西はようやくA氏に本当の話をしなければならないという“覚悟”を決めたのだろう。香港から帰国後、西はA氏に香港に行った理由も含め、これまでの経緯の真相を語り始めた。しかし、鈴木がこれまでに上げた巨額の利益金額のことはこの期に及んでも話さなかった。あるいは西には語るべき確証がなかったのかも知れない。「合意書」に基づいた利益を鈴木に正当に分配させることに必死だったことは分かるにしても、株式の売り抜けを担った紀井に説明を任せようとした理由が、その後徐々に分かっていく。

以前から鈴木とは仕事は出来ないと考えていた紀井が、この事件をきっかけに鈴木から離反したことで、A氏はようやく鈴木が株取引で獲得した利益を独り占めにして、海外に隠匿している事実を確信した。「合意書」に基づいて、平成11年7月から約7年間、株取引はずっと継続しており、しかも莫大な利益を上げるための原資は全てA氏が負ってきたのだ。 

九死に一生を得た西が、その後、A氏に「合意書」にまつわる株取引の経緯を語る中で、A氏は紀井経由で鈴木と連絡を取り、平成18年10月13日、鈴木がA氏の事務所に現れた。

A氏は、西が鈴木との取引で香港に出向き、殺されかけたことを問い質したが、鈴木は「全く知らない」と言って全面的に否定した。なるほど、事は殺人未遂事件であり、鈴木がその首謀者ではないかという嫌疑をかけられたとなれば、鈴木は否定するしかなかったに違いない。関係者によると、西は少なからず嘘があるが、鈴木のように根幹を揺るがすような深刻な嘘はないという。

次いでA氏が「合意書」の話を持ち出すと、鈴木は「そんなもの、残っているはずがない」と口走った。そこで、書面を鈴木に見せて、そこに書かれた項目について約束を果たすべきだとA氏が告げると、鈴木は「合意書」がA氏の手許に残っていたことに衝撃を受けた模様で途端に口数が少なくなった。

株取引を開始した当初から、鈴木が何らかの口実を設けて「合意書」を破棄させるよう、再三にわたって西に懇願し、「利益金は二人で折半しよう。そうでなければ、A氏へ返済することはできない」と巧みに持ち掛けながら、総額10億円を複数回に分けて西に渡していたことは前に触れたが、西も、それに応じて「合意書は破棄した」と告げていたから、鈴木は安心して、その存在さえ忘れかけていたようであった。

ところが、その「合意書」を目の前に突き付けられて、明らかに鈴木は動揺したに違いない。しかし、それでも、鈴木は「合意書」に基づいた株取引など実際には行っておらず、「仮に社長が西に株取引で金を出したとしても、それは私には何の関係もない」ことだと言った。「合意書」を作成するに当たって、「株取引の資金を出して戴かないと、今までの借金の返済ができない」と言ってA氏を説得したのは当の鈴木自身だったにもかかわらず、あまりの豹変ぶりだった。

西が香港で何者かに殺されかけた事実をきっかけにして、A氏の手許に寄せられた「巨額利益が海外に隠匿されている」という紀井の証言は裏付けとなるから、鈴木はA氏の話を全面的に否定せざるを得なかった。

だが、その時点で、A氏にはまだ確証がなかった。西とは10年以上の付き合いがあった中で、A氏は何度も西の言動に振り回され、実際に「合意書」を交わす以前に100億円を超える実害も被っていたために、西の話を裏付けもなしに全面的に受け入れるわけにはいかなかったからである。

「社長、もし『合意書』どおりに株取引があって、実際に利益が上がっているなら、それは、私はちゃんと約束を守りますよ。信じてください」

鈴木は、A氏に臆面もなくそう言い、「しかし、そんな事実は無い。全部、西の作り話だから、西の話なんか信用しないでほしい」と強調し続けた。「合意書」が有効に存在して「(宝林株以外の)株取引の全て」と規定している限り、鈴木は利益の全てを一旦は吐き出さねばならなかった。だから、何が何でも否定するしかなかった。後に分かることだが、鈴木は宝林株の取引を開始して以降、西に「合意書」を破棄する報酬として10億円、また株取引の利益分配金として30億円を払っていた。その事実を見れば、鈴木の言動は何も信用できない、ということである。

ともかく、当事者の西がいなければ明確な話はできないし結論も出せないから、とA氏が言うと、鈴木も同意したことから、A氏と鈴木は近日中に西を入れて三人で面談の場を持ということになった。

○和解協議で西と鈴木が罵り合い

そして、三人による面談が3日後の10月16日に持たれたのである。ところが、最初から西と鈴木はお互いに喧嘩ごしで罵り合い、協議どころではなかった。だが、鈴木と面談した13日以降、A氏は西を問い詰めて真相をようやく実感し、また紀井が鈴木の指示で宝林以外の銘柄でもそれぞれ10億円単位の利益を出した事実について、西に説明している録音テープを聞いたことで、鈴木が総額で約500億円という巨額の利益を国内外に隠匿していると確信に近い心証を持っていた。それ故、A氏の鈴木への追及は13日の面談の時とは明らかに違っていた。A氏は、とにかく真実を西にも鈴木にも語って欲しかった。そして、その真実に沿って、鈴木も西もしかるべき対応をするべきだと主張した。

しかしそれでも、鈴木は頑として「合意書」に基づいた株取引を行った事実を認めなかった。「合意書」には「今後の全ての株取引」と明記されているから、鈴木が単独で株投資を行ったとしても、全て「合意書」に制約されることになり、鈴木にはA氏や西に説明する義務があった。しかし、鈴木は最後には宝林株取得の資金はA氏が出したことは認め、宝林株の取引が「合意書」に基づいたものであったことも認めつつ「ただ、その清算は終わっている」と言ったのみで、いつ、いくらをどのように清算したのか、具体的な話はなかった。そして、鈴木が認めたのはそこまでだった。他にも大事な部分で言い切ったりしたが、その後も一切説明はない。その後、A氏が提起した裁判でも、裁判官から質問もなく、全くおかしいことだった。

鈴木の主張に沿えば、少なくとも宝林の株式を売却後にでも鈴木と西からA氏に宝林株の手仕舞いの報告をして、「合意書」を解除する協議があってしかるべきで、「書面どころか口頭での話も一度もないのに、『合意書』に基づいた株取引などあるはずがない」と鈴木は強調したが、「合意書」には「今後一切の株取引で責任を負う」と明記されているのだ。

この話し合いの場で、A氏は紀井が宝林株以後の株取引が継続していたことを裏付ける証言をしていることを未だ鈴木に明かしていなかった。それは、鈴木は紀井が真実を話したことを知ったら、紀井に何らかの報復をするに違いないと、紀井自身がひどく恐れていたことを知っていたからだが、しかし、あまりに鈴木の抵抗が強かったためか、A氏と西は証言者を明確にするしかないと思った。

そして、証言者が紀井であることが分かると、鈴木は驚いて、「そんな筈はない」と言いながら「その録音テープを聞かせろ」と言って西に迫った。西が紀井とは別の人間に喋らせた録音テープをA氏に聞かせたのではないか、という口振りだった。さらにその場で紀井に電話を入れた。すると紀井も西に会い真実を語ったことだけを認めた。

だが、どこまでもいっても鈴木に不利な状況は変わらない。面談は長引き、決着は着きそうもなかった。10月13日の面談の際、鈴木は宝林株の仕手戦でA氏が資金を出した事実だけは認めざるを得ず、そこでの利益は20~30億円と言ったり、30~50億円と言うなど変遷しつつ最後には60億円と言い換えた、明確な話ではなかったが、最後には鈴木が「社長には、これまで大変お世話になったので、西の話は受け入れられないが、この問題を解決するために50億円を払います」と言った。つまり、A氏と西にそれぞれ25億円ずつを払うと鈴木は言ったのである。ところが、事情を知る西が反発して「そんなもんじゃないだろう!?」と、再び喧嘩ごしになる。罵り合いが再燃しそうになり、A氏がとりなした。

「(聞いている利益金の額はあるが)鈴木さんが言うのだから、先ずはそれでいいじゃないか」

とA氏に説得された西は、あらかじめ用意しておいた「和解書」を鈴木の前に提示した。書面の内容は別掲にあるので、それを参照頂くとして、鈴木は文言を何度も読み返し、「文言で気になるところがあれば修正する」というA氏に「問題はない」と言って真っ先に自筆で空欄となっていた金額欄に50億円(注:A氏と西それぞれに25億円の意)と書き、併せて住所と氏名を書き記し指印した。そして西も最後に指印したが、この和解書は利益が60億円を前提にしたものであると釘を刺した。

こうして、鈴木が「和解書」に署名したことで、一応の決着は着いたが、鈴木が利益金について言を左右にしていたことに疑念を持っていたA氏が、改めて「鈴木さん、利益が50億円と言うなら、『合意書』から言うとおかしくないか?」と尋ねると、鈴木は慌てて「いや、60くらいあったかも知れません」と言い繕った。そして、「2年ほどの時間を貰えれば、社長も借金で困っているご様子ですし、社長には大変お世話になったので、あと20億円を払います」と申し出た。すると、すかさず西が「それも、この『和解書』に書け」と迫り、鈴木が「いや、オマエの言い方が気に入らないので書かない」と反発。西と鈴木のいがみ合いは収まらなかったが、「社長、信用してください。私の男気を見てください」と言う鈴木の言葉をA氏は信用することにした。

鈴木にしてみれば、西をどこまでも悪者にしなければ、その場を切り抜けられないという思いが強くあったに違いない。しかし、その一方で「合意書」に基づく株取引の真相や、A氏を外して利益を折半という鈴木と西の密約の一端を、西がA氏に明かしたことへの怒りが大きかったのではないかと思われる。

三人での話し合いが終わり、鈴木は「2年後に大きなことをやるので期待してください」と言ってA氏に握手を求め、A氏の会社を後にしたが、その直後、紀井に電話を入れ、「100億以内で収まり助かった。しかし、香港の口座はバレていないだろうか」と話したという。鈴木の言う「香港の金はバレないか」とは、市場から吸い上げた利益を香港にあるダミー会社に一旦は送金し、プールもしていたから、その実態が分かってしまうと鈴木の嘘がたちまち発覚してしまうということを指していた。

三人での話し合いがあった翌日から、紀井は事務所に行かなくなった。すると、鈴木の盟友の青田光市が紀井に何度も電話を入れた。最初は電話に出なかったが、いつまでもしつこくかかって来るので仕方なく、電話に出た後、青田と数回会ったという。青田は「書類は全て破棄したから、証拠は残っていない」と強がりを言ったようだが、紀井は「重要な書類はコピーして手許にある。いざとなれば、それを公表できる状態にしてある」と言って、青田の牽制をはね付けた。

○鈴木が豹変 和解書での支払い約束を反故に

その後、鈴木は頻繁にA氏に電話を架け、「西の買い支え損は約70億と言っていたが、正確にはいくらか?」と尋ね、それをA氏が確認して58億数千万円と答えると、「全体の利益より引いて3等分しないといけませんね」と鈴木はそこまで「合意書」の有効性を追認したまた1週間後の10月23日、鈴木が三たびA氏の事務所を訪れた。これほど立て続けに鈴木が姿を見せるのは珍しかったが、「和解書」で約束したA氏と西それぞれに25億円とA氏への20億円の支払について、より具体的な説明をした。少なくとも「不正があれば利益の分配は受けられない」ことが「合意書」に明記されていたからこそ「和解書」でも不正を認め、50億円の支払とA氏に別途20億円の支払いを提示したことが容易に推察される。

「(50億円については)10月から毎月10億円ずつを来年2月までに、20億円については2年以内に…、出来るだけ早く」

と鈴木は言いつつ、海外から多額の現金を日本に持ち込むには様々なハードルがあるので、支払いは分割になり時間もかかるが、何とか努力して遅くとも12月には実行すると言った。

ところが、それから間もなくして、A氏宛に鈴木からの手紙が郵送され、「和解書」の件について「どうにも納得ができない」「A氏には大変な恩義があるので、それには報いたいが、どうしても西の言動が許せない」などという文言を書き連ねていたが、要は「和解書」に署名した支払い約束ついて、もう少し考えさせてほしいというものだった。そして、そのために鈴木自身はA氏との直接の交渉に応じず、代理人として弁護士の平林英昭と友人の青田の二人を立てるので、代理人と交渉をして欲しい、という極めて無責任なものだった。

A氏は、鈴木の手紙に「直接話をするべき」と呼びかける返書を送ったが、12月に入って改めて鈴木から手紙が送られてきて、「代理人と話をして欲しい」ということを繰り返し、加えて西や紀井が国税当局への告発や鈴木の関係者へ話をしたことで、A氏、西、鈴木による和解協議はもはや意味はない、などと責任を転嫁するような理屈を述べていたのだった。

しかし、交渉の代理人となった青田、平林の両人は、問題を解決するどころか逆に紛糾させるだけだった。青田は「鈴木はA氏と西に脅かされて怖くなり、和解書に署名しなければ、その場を切り抜けることができなかった」と言い出し、また平林は“強迫”を基に「心裡留保」というありもしない状況を根拠にして「和解書」の無効を主張した。平林はA氏と初対面の際に「社長さん、50億円で何とか手を打って頂けませんか? 50億円なら、鈴木もすぐに支払うと言っているんで……」と言ったが、「強迫」や「心裡留保」が事実ならば、そのような言葉を口にするはずはなかった。また、鈴木からA氏に送られた2通の手紙には強迫や心裡留保に当たる文言は一切なく、支払の撤回は西と紀井の情報漏えいを理由にしていた。しかも、A氏に対して「男として一目も二目も置く人には、今までほとんど会ったことがない」とか「大変お世話になった」と述べており、それ故に「強迫」だの「心裡留保」など有り得ず、平林が鈴木の依頼に応え苦肉の策で作り出した後付けに過ぎなかった。

この2通の手紙を最後に、鈴木からの音信はぷっつりと途絶えた。A氏は仕方なく、最終的には鈴木の希望通りに知人から紹介された利岡正章を代理人に立てることにしたが、利岡も鈴木の所在をはっきり突き止め、A氏と相対で協議させなくては問題は解決しないと考え、平林との書面でのやり取りに加えて鈴木の所在確認に奔走した。

ちなみに、鈴木は家族と共に神奈川県内に住民登録をしていたが、実際には事実上の住所不定が永らく続いており、親和銀行事件で逮捕・起訴されて後に保釈された平成10年当時からして、裁判所に届け出た住所地は東京都内の愛人の住むマンションだった

宝林株の仕手戦以降、鈴木は金に飽かして自分の身を隠す住居が複数あるに違いないと利岡は考え、そうした情報の収集に努める一方、特に東京都内に住む鈴木の実父の自宅には足しげく通った。そして、何とかA氏との直接の交渉に応じるよう説得したいから、鈴木と会わせて欲しいと2年近くも実父に話し続けたが、鈴木からの連絡は遂になかった。

○代理人が襲撃された

そうした利岡の動きが続いた平成20年6月11日、利岡が突然に襲撃され、全身打撲により全治3か月に及ぶという事件が起きた。

利岡を襲撃したのは、広域指定暴力団稲川会に属する習志野一家の幹部構成員と無職の男だったが、静岡県警伊東署に逮捕された実行犯の二人が属している組織は、鈴木の代理人となっていた青田がNO.2の立場にある幹部と20年来懇意にしてきただけでなく、実は平林も何の目的か、その組織のトップと複数回面識を重ねていた事実が判明し、利岡は襲撃の依頼者が鈴木と青田ではないかという疑念を深めた。それは、同組織の内情を知る稲川会の複数の幹部からも同じことを聞いていたから、利岡はなおさら実感を強めたのだった。

事件が起きた翌日、利岡が救急車で担ぎ込まれた病院に実行犯の組長と称する人間が見舞いに訪れ、謝罪をしつつ示談を求めた。利岡は「襲撃を依頼したのが誰かを明らかにしてくれるなら、示談に応じる」と言い、組長が応じたことから示談は成立したが、利岡が退院して後に組長に繰り返し催促しても埒が明かず、そうこうしているうちにその組長が別の事件に絡んで逮捕されたために、事件は真相が分からないまま曖昧に終わってしまった。

香港で西が殺されかけた事件と言い、利岡襲撃事件と言い、なぜ鈴木にまつわる関係者に、このような血なまぐさい事件が起きるのか。真相は闇となっているが、親和銀行事件以来、鈴木という男の周囲には暴力的な“危険”が常に漂っている気がしてならない。鈴木の片腕としてエフアール、その後のなが多、クロニクルにおいても経営トップとして働いてきた天野でさえ、都心のホテル客室で自殺したと囁かれながら、会社側が「自宅で心臓発作により死亡」と公式に発表したために却って不信感が広がった。

利岡が襲撃事件に巻き込まれ、代理人としては中途半端な状況に置かれたことで交渉はさらに難航し、平林と青田は、いたずらに事態を混乱させるだけであった。そもそも、問題を解決しようという認識も意欲も持ち合わせていなかったと思われる。それどころか、平林が利岡を襲撃した暴力団のトップと何の目的で面談したのか、大いに疑問が残る話で、平林はその理由を説明する義務があるはずだった。平林も青田も代理人であるのに好き放題のことを言っていて、都合が悪くなると、一切回答しない。

○裁判は誤審の連続で見えない真相

平成27年7月、A氏は止むを得ず東京地裁に株取引の利益と損害賠償請求を付した貸金返還請求訴訟を起こした。

ところが、約3年にわたる時を経過したのに、審理が尽くされたとは決して思われないような判決が、去る平成30年6月に出されたのである。裁判官は、貸金については債権の一部の存在を認めたものの、「合意書」については、鈴木が宝林株では株取引があったと認めたにもかかわらず、それに基づいた株取引が実行された証拠がないとして認めず、したがって「和解書」も無効だとする判決を下した。鈴木が認めた部分さえ証拠と捉えず、重大な事実さえも納得のいく説明がないままだった。別の章でも詳しく述べるとして、「合意書」に基づいた株取引が現に行われた事実、さらに言えば「合意書」に明記された「今後全ての株取引」という文章の意味は三者合意以後の全ての株取引、ということであったが、裁判官はそれも検証しなかった。そして、それ故に鈴木の手許には巨額の利益が吸い上げられた事実を西は生前に書面で残し、紀井は書面と証言で明らかにしたが、裁判官は一顧だにしなかったのである。

また、平成11年7月30日に西がA氏に納めた15億円と、同じく平成14年12月24日に鈴木が紀井を伴って持参した10億円を貸し付けに対する返済金と認定して、A氏の請求を棄却してしまった。繰り返しになるが、西が15億円をA氏の会社に持参した翌日、A氏と西、そして鈴木が同席したところで、15億円の処理についてA氏が西と鈴木に確認。その時、鈴木と西がそれぞれ5000万円を受け取っていたことに礼を述べたという事実がありながら、裁判官はそれには一切触れなかった。裁判官の頭には、最初から「合意書に基づいた株取引は無かった」という思いが強くあった、としか考えられず、「今後全ての株取引」を検証しないままその結論に導くためのストーリーを作ったのではないかとすら思われてならないのだ。つまり、誤審を疑わざるを得ないということである。鈴木自身の主張や証言が二転三転しているだけでなく、宝林株の取得資金3億円をA氏が出し、西と鈴木が株取引を実行したと鈴木が認めている事実まで採用せずに、ありもしない強迫や心裡留保など判決の根拠にはならないということは、裁判官には簡単に分かるはずだった。

A氏は、当然ながらそれを不服として控訴した。しかし、控訴審の裁判官も審理をろくに行わず、地裁判決を丸ごと支持する形でA氏の主張を退けた。

鈴木が所在を不明にしたことで、A氏は止むを得ず訴訟という手続きを取ったが、その審理の場で、なぜ、鈴木の悪性が検証されないのか。鈴木の証言や主張は場面が変わるに従って、どんどんひどく変転した。A氏、西との対応や発言、鈴木が所在不明となって以後の平林と青田の支離滅裂で不当な主張、そしてそれを裁判ではさらに増幅させた。裁判官は、そうした鈴木の主張や証言の変転に何ら目を向けていなかった。

鈴木のように二転三転するような証言を裁判官が証拠として採用することは先ずない、というのが裁判所の通例であるにもかかわらず、ほとんどが虚偽の証言を裁判官は「合意書」と「和解書」の無効を理由にして、「(鈴木が)明確に意思表示した事実は認められない」と判断する一方で、西が「株取引の利益」と言って持参した15億円、鈴木が持参した10億円を安直にもA氏への返済金と断定してしまったのは、あまりに不可解な話で、特に控訴審の判決は誤字、脱字の修正のみで、地裁判決を丸呑みしていたことから、多くの関係者や取材班が、これが法曹界の馴れ合いと言われる所以ではないか、と口にする者が何人もいて到底納得できるものでは無かった。それ故、今後も調査を徹底的に継続する意気込みまで見せている。

さらに手許に寄せられたマスコミ情報によれば、鈴木が今後刑事責任を問われるような事態がいくつも生じる可能性に言及する記者も多くいる中で、裁判官が重大な誤認に基づいた判決を下しているのではないか、という疑念、そして再審請求の可能性すら何人もの記者が持っているようである。

鈴木には海外に巨額の資金を隠匿しているのではないかという疑惑が以前からあり、それがここにきて急に浮上することになった理由は、ほかでもなく今回の裁判で原告(A氏)のまさかの敗訴に対して双方の関係者や何人ものマスコミの人間が誤審と考え、精査が始まった。裁判で判決が出てはいても、鈴木を巡るトラブルは依然として収束しておらず、却って周囲の関心が高まったと言える。

貸金返還請求訴訟はなぜ負けたのか? しかし、だからと言って、鈴木の正当性が認められたということでは決してない。

「あまりにも金銭に執着して違法行為も辞さず、詐欺行為や身近の人間に対するひどい裏切り行為を繰り返している」と多くの関係者が指摘している鈴木義彦という男の真実は何か? そして「判決は明らかな誤審」とする根拠をより明確にすることが本書の趣旨となった。本編を読めば、誰もが鈴木の人間性や社会性に強い疑念を持つはずである。

これまで本編に触れている出来事についてのガイドラインを述べてきた。本編でも同様の表現があるが、それは鈴木によるその場しのぎの嘘を鮮明に記憶に留めて欲しいと考えたからである。

 まさに、鈴木が代表取締役であったエフアールは、1990年代の典型的に不健全な上場会社であった。そうした背景の中、この巨額脱税疑惑事件の幕開けとなる出会いから話は始まった。