種子田益夫がオーナーとして経営を支配した病院は牛久の愛和総合病院を筆頭に高知、宮崎、北九州、新潟に参加の病院を擁するグループを構築しているが、前科前歴が多数ある種子田には直接経営に携わることができず、長男の吉郎を理事長に据えてきたという歪んだ実態がある。しかもそれらの病院と病院から生み出される権益を使って、種子田はT氏とT氏の知人友人に詐欺を働き、巨額の金銭を騙し取ったのである。「病院は、息子の吉郎に理事長をさせていますが、実際の経営者は私ですから、いつでも担保提供に応じます。是非、融資をお願いします」
それまでにT氏が種子田に融資した金銭に加え、「病院を担保にする」と言ってから実行された融資は平成6年当時で約40億円あったが、それから25年以上も経過する中で、種子田は返済を行わないばかりか所在を不明にしたままT氏たちからの連絡に応じなかった。
T氏がさしたる担保も取らずに快く種子田の依頼に応じて融資をしてきたことに乗じて、種子田は毎日のようにT氏の会社に押しかけ、「手形が回ってきて、これを落とさないと、社長への返済もできなくなります」と言ってT氏を半ば脅かすようなことを言い、床に額をこすりつけながら涙声を出して「お願いします」という言葉をT氏が応じるまで繰り返す。それが種子田の借金を重ねる手口だったが、融資額は膨らむ一方でも返済がほとんどない中で種子田の執拗な融資依頼に応えられないとT氏が断ると、種子田が新たな融資を受けられるならどんな担保提供にも応じると言ってT氏に提案したのが、種子田が経営するゴルフ場や買収した病院だった。
このままではT氏自身も融資を継続できないが、病院が担保になるならば、知人や友人に話をすることができるかもしれない、と考えたT氏が実際に知人友人に持ちかけたうちの何人かの関係者が「病院が担保になるなら」と応じて種子田から話を聞くことになったが、種子田はT氏に話したことと同じ話をしたうえ、「息子は『(病院は)父からの預かり物なので、いつでも必要に応じてお返しします』と言っているので、大丈夫です」と言ってT氏たちを信用させた。
しかし、種子田が約束した病院の担保提供は遂に実行されなかったどころか、T氏はもちろんT氏が話を持ちかけて種子田に融資をしたT氏の知人友人にも種子田は返済を滞らせた。その債務総額は冒頭にも挙げた通り、金利を含め500億円以上(平成15年5月現在で368憶円)に上っている。T氏は話を持ちかけて融資に応じた知人友人に責任を果たしながら種子田からの回収に努め、訴訟も提起したが、種子田は所在を不明にして姿をくらませたまま令和2年10月13日に病死していたことが判明した。
こうした経緯の中で、種子田に対する債権の回収が終わったわけではない。というより、種子田が20年以上も前から「牛久愛和病院は500億円以上の価値がついていますので、いざとなれば、病院を売却して返済します」とした約束を実行させるべくT氏と知人友人はさまざまに協議を重ねてきたが、債権額が結果として巨額に上っていく中で、ただの債権回収で終結させるだけではなく、回収した資金を原資に有意義な使い方を模索してはどうか、という意見がT氏から提案され、他の債権者であるT氏の知人友人も賛同したという。有意義な使い方とは、つまりはさまざまな自然災害で政府が激甚災害に指定して補助金を当該自治体に交付しても隅々にまで行き渡らない状況を補助する手助けをする非営利の団体を組織するのはどうか、国連を通じて世界中の救済基金への寄付行為も一定規模で可能ではないか、と大枠での話は合意ができたという。折から、今年に入ってコロナ禍が起き、日本経済に大きなダメージを与え始めるほど脅威となっているが、実際にも仕事を失って日常の生活が立ち行かなくなっている人たちが急増している。政府や自治体が複数の給付金の交付を行い、コロナ禍対策を高じてはいるが、今後の見通しが極めて不安定な中で民間版の救済対策を講じることができれば、誰もが歓迎するに違いない。
種子田益夫は、表向きにはいくつものゴルフ場を経営する実業家として振舞っていたが、病院事業もその一環で種子田によれば病院の買収を繰り返しているさ中にあって、運転資金の全てを種子田一人が調達する状況にあり、T氏及びT氏の知人友人からの融資の大半が病院関連資金として注ぎ込まれていたことが窺える。
長男の吉郎は病院を束ねる東京本部のトップに就いてはいても、経営ノウハウもなければ、資金を調達する能力もなかった。大学を卒業して間もなく、父親に指示されるまま、側近の田中延和氏の案内でわずか1カ月間、アメリカの医療施設を視察しただけの男に何ができるか、たかが知れている。吉郎はただ父親益夫の言いなりになっていただけである。実際の実務は田中延和氏の医療業界に持つ人脈と経験に頼る所がほぼ100%だった。
それにもかかわらず、種子田がいくつもの金融機関を巡る不正融資事件で逮捕起訴を重ね、有罪判決を受けて懲役に服していた時間が数年間にも及ぶ中で、病院経営が安定し、病院に付属する介護施設等が増強されて利益を生み出すようになると、種子田はあっさりと田中氏をわずか100万円の退職金で辞職に追い込んだ。吉郎もまた、田中氏が辞職する際に感謝の言葉一つかけることもなかったばかりか、種子田からもらったロレックスの時計を取り上げてしまった。種子田は親子そろって非人情の塊のような人間である。
種子田吉郎は先にも触れた通り医療の現場には何の経験も知識もなく、しかも医師の資格もなかったから理事長になること自体に問題があった。自民党の厚生族として力を有していた丹羽雄哉議員が動き、吉郎を強引に理事長職に就かせる働きかけを医師会や自治体に対して行ったという疑惑が吉郎の就任当初から流れていたのである。吉郎は大学の入学でも不正が疑われていたが、自身の人生が全てにおいて歪んでいることに何の反省もないのか。
父親の益夫は、顧問の一人だった弁護士の関根栄郷に知恵を絞らせ、T氏と知人友人から騙し取った資金の返済で病院を取られないようにするための工作をさせた。それはただ単に病院の買収や運資金の供給で種子田益夫の痕跡を消してしまうというだけではなく、法的に父子関係を義絶するということだったようだが、本当にそんなことが種子田の親子関係において可能だったのかどうかは疑わしく、まして、種子田益夫自身がT氏を始め複数の関係者の前で何度も繰り返して病院を担保提供することや、病院の実質オーナーが益夫自身で吉郎はダミーに過ぎないこと等を公言してきた事実は消えることは無い。
種子田益夫が死亡した直後に、それが益夫の遺言だったのか吉郎と安郎、益代の弟妹が揃って相続放棄の手続きを取った。しかし、病院の権益を吉郎たち兄妹が存分に享受しておいて、負の遺産たる債務を免除してもらうというような卑劣なことが許される訳はない。
吉郎は、関根弁護士の指示もあって一度もT氏と知人友人の前に姿を見せたこともなく、一度の挨拶もしたことが無いという無礼な人間である。そのようにみると、吉郎は父益夫以上に悪どい人間と言えるが、このままの状態がいつまでも続いて理事長職を継続することも、病院からの収益を兄妹だけで分配することも必ず叶わなくなるということを肝に銘ずることである。 (以下次号)