鈴木義彦に読者は怒り爆発(265)

〔裁判は、弁護士の能力で判決が左右されることがあるとは思うが、裁判官の偏見や思い込みで判決の行方が決まるのは公平公正ではない。この裁判は日本の裁判史に汚点を残す。鈴木という男はウソのデパートのような奴だ。自分の欲のためにこれだけのデタラメをよく言えるものだ。それを嗜めもせずに逆に庇って正当化しようとしたのが長谷川や平林等の弁護士たちだ。弁護士も高い報酬には弱いようで、倫理観も審議もかなぐり捨てる。長谷川も平林も恥を知らず、呆れてしまう〕

〔鈴木は、和解協議後の10月23日にA氏を訪問し、和解金支払いについて打ち合わせをしていたが、翌日の10月24日付で紀井氏の「鈴木の株取引の実態が記載された確認書」が作成されている。A氏も鈴木も、この時には紀井氏の確認書の事を知らなかった事になる。そして、10月23日にもこの話は出ていない。この事件はあまりにも不可解な事が多い〕

〔鈴木の代理人の長谷川は弁護士を廃業したが、鈴木を弁護する為に弁護士生命を賭け、全知全能を使い果たしたのが理由とは思えない。鈴木の弁護にはかなりのパワーが必要だったとは思う。何しろ鈴木の数多くの嘘をもみ消し、有りもしないことをでっち上げてA氏を侮辱し誹謗中傷し続け、裁判官のA氏に対する印象を悪くすることに力を注いだ。裁判官を手なずけるという卑劣な裁判戦術は生半可のものではなかった。長谷川は裁判に勝つために「禁じ手」を連発した。それで、所属した土屋法律事務所にも弁護士会にもいられなくなったのではないのか。懲戒を受ける前に手を打ったという事だろうが、資格を返上したことで長谷川の責任が逃れられる訳がない。責任を果たす方法があるとすれば、鈴木を説得して同行し、「質問と回答書」(乙59号証)の虚偽をA氏に謝罪して再審を申し出ることしかない〕

〔政策や法律を施行するのは永田町や霞が関だから、実際に社会で活用する際には限界があると言われている。裁判所は法務省に支配され、検事が裁判官に着任することは珍しくない。裁判官の独立が憲法で謳われていても、人事で上層部からがんじがらめにされている。裁判官と検事とは立場が全く違うが、この2つの役所が同期生や先輩後輩で繋がっていれば、やりたい放題ではないのか。鈴木の裁判を見ても、裁判官は法律を理解していても人としての基本的な道徳観を無視して、自分の出世の事ばかりを優先している。これでは公平公正な裁判など出来ない〕

〔鈴木は平成9年9月からわずか8ヶ月の間に手形13枚約17億円、借用書3億8000万円、ピンクダイヤと絵画、高級時計7億4000万円の合計約28億円以上もの借入が発生した。出会って間もない鈴木に対してA氏が取った行動は通常では考えられない、とんでもない事であった。西と鈴木を信用した故の判断だったと思う。しかもピンクダイヤと絵画に至っては、言い値の3億円でA氏に買ってもらいながら、今度は3億4000万円で「売らせてくれ」と言って、ピンクダイヤを持ち出している。そして売上代金もダイヤも戻さず、絵画は一度も持参しなかった。なぜなら他に担保に出していたからだ。これは明らかに詐欺行為だ。こんな有り得ない期間に有り得ない金額を借りておきながら、その後のA氏に対する裏切りは全く許すことなど出来るはずがない。特に関係者の怒りは留まる事を知らないだろう〕

〔鈴木の悪友の青田、こいつもどうしようもない人間だ。類は友を呼ぶとはよく言ったもので、暴力団との親交があることを言いふらして一般人を威嚇し、自分より力のある人間にはペコペコして、金には鈴木と同様に強い執着を持っている。都合が悪くなると逃げる青田は人間として最低だ。鈴木と青田、オマエたちの家族や身内は、今後の人生は絶対に良い人生にはならない。世間に悪事を広めることを看過した家族や身内が良い人生を送ったことなど過去にもないはずだ〕

〔合意書は銘柄欄が空白であると裁判官は指摘したが、「本株」という記述があるのみであっても、この「本株」が宝林である事は紀井氏の証言や確認書を始めとする多く証拠や主張で明らかであって、逆に「本株が宝林ではない」とする理由は何もない。その他の部分でも「あまりに無限定」とされ認められなかったが、合意書を簡単に不採用に出来るものではなかったはずだ。この裁定の重大さを裁判官はどこまで分かっているのか、大きな疑問である〕

〔上場している金融会社でも担保を取り、期日が来れば催促をするのは当たり前なのに、A氏は鈴木に対してはそういうことも一切せず、逮捕直前に金を貸したり、在庫商品を言い値で買ってくれたりした。そんな人間がA氏のほかに誰がいるというのか。A氏から借り入れをしたことがある数十人の債務者たちには、金利がゼロの人が10人以上いるだけでなく、全員がA氏に感謝をしていてA氏を悪く言う人は一人もいない。A氏は人助けをすることはあっても、反社会的勢力と組んだプロの金融屋など有り得ないと証言している〕取材関係者より)

〔A氏は、西から鈴木が10日で1割以上の金利を鈴木が払ってまで資金繰りに充てている事実を聞かされ、何とか鈴木を助けてやって欲しいと懇願されて、平成9年9月8日に7000万円という大金を鈴木に貸し付けた。その後も何度も鈴木はA氏から資金を借り受け、この資金の中から高利の金融業者への返済に充てる事が出来たようだ。鈴木は金利の支払に追われる状況を脱して救われたに違いない。普通ならば、付き合いが浅い人物に多額の融資など出来るものではないと思う。A氏は鈴木に対して複数回で約28億円もの融資をしてあげていた。そして鈴木は確実に生き残る事が出来たわけだから、その後の鈴木のA氏に対する裏切りは、関係者にしてみれば腸が煮えくり返る思いで到底許せる筈などないのは当然の事だと思う〕(関係者より)

〔西は、鈴木との出会いから10年以上にわたる経緯を書き綴ったレポートを遺した。A4用紙にすると30枚以上にのぼる。西は平成7年(1995年)10月6日に恵比寿ウェスティンホテル2階にある「龍天門」という中華料理店の個室で初めて鈴木に会ったと書いてある。鈴木と西は面談を重ねるうちに会社の経営状態も話すようになった。鈴木はこの時すでに親和銀行問題を抱えていたようだ。西は、様々な話をするうちにFR社がいろんな事情で資金難に陥り破綻寸前状態だという事を知った。新しい金主の紹介を執拗に懇願する鈴木をA氏に紹介したのは平成9年(1997年)8月頃だったようだ。それ以降の事はサイトニュースに詳しく記載されているので割愛するが、鈴木はA氏に会う前から資金繰りのために詐欺まがいの事をしていたようだ。そんな鈴木を西は一番の恩人であるA氏に何故紹介したのだろうか。これには西なりの計算があったと思う。これがA氏と西、鈴木の物語のプロローグだった〕(関係者より)

〔鈴木は嘘のつき方や相手の心理に付け込むことに長けた知能犯である。関係者によると、借金する際に借用書を作成する時、その文書を相手の言われるままに書くことは有り得なく、前もって借用書類を自分で用意していたり、必要な文言(自分に都合の良い)を前もって書き込んでいたり、平成18年10月16日の和解協議の場においては「西の言い方が気に入らないので書かないが、信用して下さい」と言って、A氏に対しての別途2年以内に20億円の支払いを約束しながら、和解書に明記する事なくその場を乗り切っていた。その時々の状況に合わせ、自分にとって都合の良い方向に持って行くことに機転が利く全く油断できないあくどい人間だ〕

〔鈴木は裁判では平成14年6月27日のA氏との面談を「この日はA氏と会っていない」と嘘をついて否定している。これは、平成11年9月30日に便宜上の債務完済を明記した「確認書」と一致させるためだ。この6月27日の数日前に西からA氏に「今後、株の利益が大きくなるので、鈴木の債務(約40億円)を25億円に減額してやってくれませんか」との懇願があった。A氏は西の甘言を信用し、減額を了承した事から、6月27日に債務を整理するために3者面談が行われたのだった。鈴木の債務は年利15%、遅延侵害金30%を加算すると40億円を超えていたが「株の配当金が増えるので」と嘘を言い、25億円に減額してもらったが、鈴木はこれ以降もA氏に株の配当金は一銭も支払っていないので減額自体は無効だと言えるのではないだろうか。鈴木は西を介してあの手この手でA氏への債務返済を帳消しにしようとした。自分は株売買の利益金を独り占めしておきながらA氏を欺き続けている。トンデモナイ悪党なのだ〕

〔今回の裁判で、裁判官の大誤審大誤判の始まりは「合意書」「和解書」を無効にしてしまったところにあると思う。この2つを認めるか認めないかで裁判の全てが変わると言っても過言ではない。鈴木の代理人長谷川弁護士は、終始この2つの書証にこだわり無効にすることを狙っていた。「強迫」や「心裡留保」など精神的な部分に訴え、外堀から埋めて行く手法を取ったように思う。片やA氏の代理人はどうだったのか。はっきりとした目的や戦術があったとはとても思えない戦い方だった。非常に後味が悪すぎる、A氏側代理人の怠慢は許されないほど深刻だ〕

〔和解協議での鈴木の言動には誤魔化しが多い。利益金は50億円と言い、60億円に訂正した。配当分配が3等分ならば20億円ずつになる筈を25億円と計算している。A氏は気付いていたようだが「鈴木がそう言うなら」と口を挟まなかったようだ。この鈴木のいい加減な約束は元々支払う気が無かったからだと思う。和解協議が終わった後、紀井氏に電話で「香港の金の事はバレテいないだろうか」と心配していた通り、話を長引かせると他の事に波及することを警戒して早急に決着を付けたかったのだろう。ただ、品田裁判長が心裡留保を適用したために、この日の鈴木の全ての言動は「心裡留保状態だった」と言い逃れが出来るようになっていた。品田裁判長の判断が鈴木の悪事を増長させた事に変わりはない〕(以下次号)