鈴木義彦に読者は怒り爆発(248)

〔鈴木はA氏に送った2通の手紙の中で「私一人で立案し稼いだ資金を国内外の移動という、現在最も難しいことを、なぜ、一人だけでやらなければいけないのか」と書いているが、一人で立案し稼いだとはとんだはき違えで、資金の海外流出や隠匿方法を誰が鈴木に頼んだと言うのか。株取引の最初の銘柄である宝林株の取得は西の働きによるもので、A氏が宝林株の買取資金や株価の買い支え資金を出さなければ利益は確保できなかったし、その都度3等分しないといけない金をA氏に無断で海外に送金したり運ばせたりして、ここまで恩を仇で返すような自分勝手な人間はいない。志村化工株でも西が罪を被らなければ鈴木も間違いなく東京地検に逮捕されていた。脱税ほかいくつもの違法行為を繰り返した鈴木はもちろん、犯罪行為をすべて承知のうえでの長谷川元弁護士弁護の弁護活動については、鈴木同様かそれ以上に全ての責任を負わなければならない〕

〔弁護士には立派な方も多いと思いますが、鈴木側の弁護士たちの質の悪さには驚きました。これは裁判官にも当てはまります。難解な司法試験に合格し、優れた学識を持つと思い込んでいましたが、それは誤解でした。知的であることと人間的に優れていることは異なります。弁護士は金に執着し、裁判官は昇進のために権力にへつらうことが多いようです。法の守護者がこのような姿勢では、正義は誰が守るのでしょうか〕

〔記事によるとA氏は、三重県四日市市の出身で、生家は漁師町で漁業を営んでいたという。A氏の実家は周囲の人達から「仏のAさん」と呼ばれ漁師たちから慕われていたようだ。祖父の代から生活難に陥った人達が相談に来ると出来る限りの援助をしていた事から「仏」という名前が屋号にまでなっていたそうだ。ある時、A氏の父親の葬儀に参列するためにA氏の実家の最寄駅からタクシーに乗った西が運転手に行先を告げると「仏のAさんのところですね」と言うのを聞いて驚いたという話を周囲の人間達に話していたらしい。高校を卒業後、故郷を後にしたA氏は立身出世を目指し懸命に頑張ったらしい。そして、弱冠27歳で、その頃日本で最も入居審査が厳しいと言われていた「新宿センタービル」に本社を構えるほどの成功を修めた。「団塊の世代」と言われた時代に生まれたA氏は過酷な生存競争を勝ち抜いてきたが、祖父や父親の教えは忘れなかったようだ。素晴らしい人達との出会いがあり、またその逆もあった様だが、理不尽な人間に対しては一歩も引かず自分の信念を貫いてきたという。そんなA氏の周囲には様々な人が集って来た。中には鈴木のような大悪党もいて毒牙に噛まれた事もあったようだが、その様な経験を重ねながらA氏は業界で「新宿のA氏」と呼ばれ、注目されるようになった。そんな時に西と鈴木という許しがたい悪党との出会いがあり、「仏」と呼ばれていた先祖の血が思わぬところで仇となってしまったが、A氏の反撃がこれから始まると思う。鈴木のような外道に負ける筈がない〕(関係者より)

〔裁判官は、神聖な聖職者のような立場である一方で、その本質は欲望にまみれた腹黒い存在であり、法の服を纏って真実を覆い隠し、国民を欺いている。鈴木の訴訟は、この歪んだ現実を裁判の判決で明らかにした典型的な例だ。その不当な判決は広く知られ、品田はネット上で法服をまとった詐欺師として有名になっているようだ〕

〔志村化工株事件で、東京地検は鈴木を本命視していたが、西が一人で罪を被ったために取り逃がした。その後、鈴木に対する国税当局や検察(警察)が継続して監視の目を注いできたようだ。鈴木がどれほど巧妙に巨額の資金を隠匿して、マネーロンダリングをやっても、必ず綻びが出る。関係当局に温存されてきた情報もつながり、鈴木には世界中のどこにも居場所はなくなる〕

〔鈴木の虚偽な主張や証言に裁判官が一切疑念を抱かなかったのは不自然だ。主張の変遷や矛盾が生じた場合、特に重要な問題に関しては代理人に確認が求められるべきだが、それがなされていない。それにもかかわらず、裁判長は合意書と和解書を独断と偏見で一方的に排除している。鈴木の主張や証言に根拠も証拠もないのであれば、A氏側の主張や証拠も同等に扱うべきだ。しかし、品田裁判長は西が鈴木の代理人であることを否定し、紀井氏が株取引全体の経緯を知らなかったと主張して、株取引が合意書に基づいて実行され、巨額の利益が存在していた事実を排除してしまった〕

〔鈴木は、大事な節目であっても西を代理にしてA氏と面談させ、自分は同行していない。主なものを挙げても、平成11年7月30日の15億円の受け渡し、債務完済を主張した「確認書」と13枚の手形を預かった同年の9月30日がそれだ。それにも拘わらず鈴木は「質問と回答書」(乙59号証)で「西に代理権を与えていない」と言っている。しかも信じられない事に、品田裁判長がそれらを認めている。品田裁判長は頭が可笑しいとしか言いようがない〕

〔鈴木はA氏との遭遇がなければ、親和銀行の不正融資事件で逮捕され、実刑を言い渡され、人生は終わっていたであろう。和解が成立しても、当時の鈴木には巨額の和解金を支払える余裕はなかった。自らがA氏によって救われたことを最も理解しているのは、おそらく鈴木自身だろう。それなのに、西から得た宝林株の情報を起死回生と見なし、A氏に3億円の買取資金を頼み込みながら、その利益を独占しようと画策した。最初の株取引の段階から裏切りの謀略を巡らせる鈴木の所業は、まさに冷酷極まりないものであった〕

〔青田光市は暴力団(習志野一家)の構成員たちを金や飲食で手なずけ、車を買い与えたり海外旅行に連れて行くなどして、A氏の代理人を襲わせた疑いを強く持たれた。代理人は全治3か月の重傷を負ったが、実行犯の所属する組織の組長が入院先を訪ね示談に持ち込んだ。その一方で、青田が習志野一家のNo.2(楠野伸雄 事件当時)に「付き合いはなかったことにして欲しい」と口止めした。それまでに20年もの付き合いが続いて、それを無かったことにできる訳がない。長谷川は裁判で代理人の診断書を医学大辞典まで引っ張り出して分析するような体裁を作り、「事件は偶発的に起きたもの」と反論したが、そうであれば青田が口止めに動いた事実はどう説明するのか。青田はやること全てが暴力的で、恐喝、強迫、窃盗ほか何でもありで、いつ事件が表面化してもおかしくはない〕(関係者より)

〔鈴木の裁判では、当初、原告側の勝利が確実視され、被告が支払う損害賠償の額に注目が集まっていました。この裁判は明快で善悪がはっきりし、評価が容易なものと見られていました。しかし、品田裁判長が予想外の判決を下し、関係者を驚かせました。この信じられない判決は不正不当裁判として物議を醸しており、裁判の結果に対する疑問が深刻に広がっています〕

〔西は、志村化工株で鈴木の身代わりをすることで株売買金を受ける密約を交わした。西は、その密約以外にも約30億円の配当金を受け取っていたと妻への手紙に書いていたようだ。コイツも喰えない悪党だ。鈴木以上にA氏の世話になり、助けてもらっていながら、株取引の配当金を受け取った事を報告していなかった。鈴木はA氏を裏切って1000億円以上の資産を隠匿している様だが、西は自殺した時点でも借金だらけだった。A氏は、西の息子の内河陽一郎に泣き付かれて自分の債権を棚上げにしてまで、西の死後の債務処理をしてやったようだ。西は、鈴木から受け取った30億円や買い支え資金としてA氏から引き出した莫大な資金を何に使ってしまったのか。息子の陽一郎が知っている可能性はあるが、陽一郎自身がA氏との約束を反故にして連絡を断っている様だ。この親子の恩義を欠く行動も鈴木同様許されるものではない。今の生活が続けられるほど世間は甘くない事を近々に知る事になるだろう。その時は弁護士など何の役にも立たない事も覚悟しておくべきだ〕

〔品田裁判長は、鈴木が宝林株の購入資金の出資者について主張を度々変えたことをどう受け止めたのか。通常、被告人が法廷で主張や証言を変更しても、裁判官はそれを支持しない。鈴木が嘘をついていることは否定できない。裁判官が被告の言動を注意深く観察するのが当然で、見逃すことは洞察力が不足しているか、故意であるとしか考えられない。原告の弁護士がなぜその点を追及しなかったのか疑問であり、呆れるほかない〕

〔鈴木は人との関りでウソをついて利益を自分に誘導することを常習にしてきた。そうでなければ、交渉の場でも裁判でも嘘に嘘を重ねるような恥知らずなことはしないはずだ。長谷川も鈴木と同じ類の人間で、裁判に勝つためには手段を選ばず、鈴木の嘘を丸呑みしてさらにA氏を誹謗中傷してまで裁判官たちに鈴木の主張の正当性をアピールした。鈴木も長谷川も絶対に許されるものではなく、その責任を果たさない限り、本人はもちろん家族や身内にまで未来永劫にわたって影響は及ぶ〕

〔鈴木は、裁判で「A氏と西によって脅され、監禁されかけた。西の香港事件の犯人に仕立てられそうになりました」と主張し、裁判官たちはこれを支持して「心理留保」として和解書を無効にしました。しかし、鈴木がA氏に送った手紙にはそのような事に一切触れていなかったではないですか。実際には、紀井氏が株取引の内容を西に漏らしたことや、合意書が未破棄であったり、鈴木が利益を隠匿して海外に流出させた事が明らかになったことで、鈴木の裏切りが明確になったから「和解書」を作成することになった。裁判官たちはそれに対する事実認定が全く出来ていない〕(以下次号)